説苑 / 修文
諸侯三年一貢士,士一適謂之好德,再適謂之尊賢,三適謂之有功。有功者,天子一賜以輿服弓矢,再賜以鬯,三賜以虎賁百人,號曰命諸侯。命諸侯者,鄰國有臣弒其君,孽弒其宗,雖不請乎天子而征之可也,已征而歸其地於天子。諸侯貢士,一不適謂之過,再不適謂之傲,三不適謂之誣。誣者天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。諸侯有不貢士,謂之不率正,不率正者,天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。然後天子比年秩官之無文者而黜之,以諸侯之所貢士伐之。詩云:「濟濟多士,文王以寧。」此之謂也。
新字:諸侯三年一貢士,士一適謂之好徳,再適謂之尊賢,三適謂之有功。有功者,天子一賜以輿服弓矢,再賜以鬯,三賜以虎賁百人,号曰命諸侯。命諸侯者,鄰国有臣弒其君,孽弒其宗,雖不請乎天子而征之可也,已征而帰其地於天子。諸侯貢士,一不適謂之過,再不適謂之傲,三不適謂之誣。誣者天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。諸侯有不貢士,謂之不率正,不率正者,天子黜之,一黜以爵,再黜以地,三黜而地畢。然後天子比年秩官之無文者而黜之,以諸侯之所貢士伐之。詩云:「済済多士,文王以寧。」此之謂也。
書き下し
諸侯三年に一たび士を貢す、士一たび適えば之を好德と謂い、再び適えば之を尊賢と謂い、三たび適えば之を有功と謂う。功有る者は、天子一たび賜うに輿服弓矢を以てし、再び賜うに鬯を以てし、三たび賜うに虎賁百人を以てし、號して命諸侯と曰う。命諸侯とは、鄰國に臣其の君を弒し、孽其の宗を弒す者有れば、天子に請わずと雖も之を征すべし、已に征して其の地を天子に歸す。諸侯士を貢するに、一たび適わざれば之を過と謂い、再び適わざれば之を傲と謂い、三たび適わざれば之を誣と謂う。誣なる者は天子之を黜く、一たびは爵を以て黜き、再びは地を以て黜き、三たびにして地畢く。諸侯士を貢せざる有れば、之を正を率いずと謂う、正を率いざる者は、天子之を黜く、一たびは爵を以て黜き、再びは地を以て黜き、三たびにして地畢く。然る後天子年を比べ官の文無き者を秩して之を黜き、諸侯の貢する所の士を以て之を伐つ。詩に云う、「濟濟たる多士、文王以て寧んず。」此を之れ謂うなり。
現代語訳
諸侯は三年に一度、人材を天子に推挙する。推挙した人材が一度適格であれば「徳を好む」といい、二度適格であれば「賢者を尊ぶ」といい、三度適格であれば「功績がある」という。功績がある諸侯には、天子は一度目に車や衣服・弓矢を賜い、二度目に香酒を賜い、三度目に虎賁(近衛兵)百人を賜って「命諸侯(天子の命を受けた諸侯)」と称する。命諸侯とは、隣国で臣下がその主君を弑逆したり、庶子がその宗家を弑逆したりする事態があれば、たとえ天子に許可を求めなくとも討伐してよい特権を持ち、討伐した後にその土地を天子に返還する。諸侯が推挙した人材が、一度不適格であれば「過ち」といい、二度不適格であれば「傲慢」といい、三度不適格であれば「偽り」という。偽りとされた諸侯は天子によって処罰される。一度目は爵位を落とされ、二度目は領地を削られ、三度目で領地はすべて失われる。諸侯で人材を全く推挙しない者は「正道に従わない」とされ、正道に従わない者は天子によって処罰される。一度目は爵位を落とされ、二度目は領地を削られ、三度目で領地はすべて失われる。その上で天子は毎年、実績のない官吏を格付けして処罰し、諸侯が推挙した人材を用いてこれを討伐する。詩経に「多くの立派な人材が集えば、文王もそれによって安寧を得た」とあるのは、まさにこのことを言っているのである。
解説

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