説苑 / 修文
成王將冠,周公使祝雍祝,王曰:「達而勿多也。」祝雍曰:「使王近於民,遠於佞,嗇於時,惠於財,任賢使能。」於此始成之時,祝辭四加而後退,公冠自以為主,卿為賓,饗之以三獻之禮。公始加玄端與皮弁,皆必朝服玄冕四加,諸侯、太子、庶子冠公為主,其禮與上同。冠於祖廟曰:「令月吉日,加子元服,去爾幼志,順爾成德。」冠禮十九見正而冠,古之通禮也。
新字:成王将冠,周公使祝雍祝,王曰:「達而勿多也。」祝雍曰:「使王近於民,遠於佞,嗇於時,恵於財,任賢使能。」於此始成之時,祝辞四加而後退,公冠自以為主,卿為賓,饗之以三献之礼。公始加玄端与皮弁,皆必朝服玄冕四加,諸侯、太子、庶子冠公為主,其礼与上同。冠於祖廟曰:「令月吉日,加子元服,去爾幼志,順爾成徳。」冠礼十九見正而冠,古之通礼也。
書き下し
成王將に冠せんとするに、周公祝雍をして祝わしむ、王曰く、「達して多くする勿かれ。」祝雍曰く、「王をして民に近く、佞に遠く、時を嗇み、財を惠み、賢を任じ能を使わしめよ。」と。此に於て始成の時、祝辭四たび加えて後退く、公冠自ら主と為り、卿賓と為り、之に饗するに三獻の禮を以てす。公始めて玄端と皮弁とを加え、皆必ず朝服玄冕にて四たび加う、諸侯・太子・庶子の冠は公主と為り、其の禮上と同じ。祖廟に冠して曰く、「令月吉日、子に元服を加う、爾幼志を去り、爾成德に順え。」冠禮十九にして正を見て冠す、古の通禮なり。
現代語訳
成王が元服しようとした際、周公は祝雍に祝辞を述べさせた。王は「意味が通じればよく、多くを語る必要はない」と言った。祝雍は「王が民に親しみ、へつらう者から遠ざかり、時節を大切にし、財を恵み、賢者を任用し有能な者を用いるように」と祝った。この最初の元服の時、祝辞を四度加えてから退いた。公自らが主催者となり、卿を賓客として迎え、三度の献酬の礼でもてなした。公が初めて玄端と皮弁の冠を加える際には、必ず朝服と玄冕をもって四度冠を加える。諸侯・太子・庶子の元服は、その国の公が主催者となり、儀礼は上記と同じである。祖廟で元服を行う際には、「めでたい月のよき日に、汝に成人の服を加える。幼い志を捨て、成人の徳に従いなさい」と唱える。元服の礼は十九歳になって正式な時期を迎えてから行うのが、古来の一般的な習わしである。
解説
この章句が説くこと
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