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説苑 / 修文

衣服容貌者,所以悅目也;聲音應對者,所以悅耳也;嗜慾好惡者,所以悅心也。君子衣服中,容貌得,則民之目悅矣;言語順,應對給,則民之耳悅矣;就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎心,暢乎體,形乎動靜,雖不在位,謂之素行。故忠心好善而日新之,獨居樂德,內悅而形。詩曰:「何其處也?必有與也;何其久也?必有以也。」惟有以者,惟能長生久視,而無累於物也。

新字:衣服容貌者,所以悅目也;声音応対者,所以悅耳也;嗜慾好悪者,所以悅心也。君子衣服中,容貌得,則民之目悅矣;言語順,応対給,則民之耳悅矣;就仁去不仁,則民之心悅矣。三者存乎心,暢乎体,形乎動静,雖不在位,謂之素行。故忠心好善而日新之,独居楽徳,內悅而形。詩曰:「何其処也?必有与也;何其久也?必有以也。」惟有以者,惟能長生久視,而無累於物也。

書き下し

衣服容貌とは、目を悅ばしむる所以なり。聲音應對とは、耳を悅ばしむる所以なり。嗜慾好惡とは、心を悅ばしむる所以なり。君子衣服中り、容貌得れば、則ち民の目悅ぶ。言語順い、應對給なれば、則ち民の耳悅ぶ。仁に就き不仁を去れば、則ち民の心悅ぶ。三者心に存し、體に暢び、動靜に形るれば、位に在らずと雖も、之を素行と謂う。故に忠心善を好みて日に之を新たにし、獨居して德を樂しみ、內悅びて形る。詩に曰く、「何ぞ其れ處るや?必ず與有ればなり。何ぞ其れ久しきや?必ず以有ればなり。」と。惟だ以有る者のみ、惟だ能く長生久視して、物に累わされること無し。

現代語訳

衣服や容貌は、人の目を喜ばせるためのものである。声や受け答えは、人の耳を喜ばせるためのものである。好みや嫌悪の情は、人の心を喜ばせるためのものである。君子の衣服が場にかない、容貌が整っていれば、民の目は喜ぶ。言葉遣いが穏やかで受け答えが的確であれば、民の耳は喜ぶ。仁に近づき不仁から離れていれば、民の心は喜ぶ。この三つが心に宿り、身体に行き渡り、動静のあらゆる場面に現れれば、たとえ官職についていなくても、それを「素行(日頃の行い)」という。だから真心をもって善を好み日々自らを新たにし、独りでいても徳を楽しみ、内なる喜びが自然と外に現れる。詩経に「なぜそこに落ち着いていられるのか、それは支えとなる仲間がいるからだ。なぜそれほど長く続くのか、それは拠り所となる理由があるからだ」とある。まさに拠り所を持つ者だけが、長く生き永らえ、外物に振り回されることがないのである。

解説

見た目・言葉・好悪という三つの「悦ばせる力」が、地位や役職とは無関係に日頃の行い(素行)として蓄積されるという指摘は、肩書きに頼らない人望の作り方を説いている点で示唆に富む。特に「独居して徳を楽しむ」という一節は、誰も見ていない時こそ人格が鍛えられるという、現代で言う一貫性のあるインテグリティの重要性を先取りしている。拠り所(仲間や理由)を持つ者だけが長く安定していられるという結びは、孤立した成功が長続きしないことへの警句としても読める。

この章句が説くこと

素行内面の充実一貫性

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