説苑 / 辨物
鄭簡公使公孫成子來聘於晉,平公有疾,韓宣子贊受館客,客問君疾。對曰:「君之疾久矣,上下神祇,無不遍諭也,而無除。今夢黃熊入於寢門,不知人鬼耶?亦厲鬼耶?」子產曰:「君子明,子為政,其何厲之有?僑聞之:昔鯀違帝命,殛之于羽山,化為黃熊,以入于羽淵,是為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祠上帝,公侯祠百神,自卿以下不過其族。今周室少卑,晉實繼之,其或者未舉夏郊也?」宣子以告,祀夏郊,董伯為尸,五日瘳。公見子產賜之莒鼎。
新字:鄭簡公使公孫成子来聘於晋,平公有疾,韓宣子賛受館客,客問君疾。対曰:「君之疾久矣,上下神祇,無不遍諭也,而無除。今夢黄熊入於寝門,不知人鬼耶?亦厲鬼耶?」子産曰:「君子明,子為政,其何厲之有?僑聞之:昔鯀違帝命,殛之于羽山,化為黄熊,以入于羽淵,是為夏郊,三代舉之。夫鬼神之所及,非其族類,則紹其同位,是故天子祠上帝,公侯祠百神,自卿以下不過其族。今周室少卑,晋実継之,其或者未舉夏郊也?」宣子以告,祀夏郊,董伯為尸,五日瘳。公見子産賜之莒鼎。
書き下し
鄭の簡公公孫成子をして来たりて晋に聘せしむ。平公疾有り。韓宣子賛して館客を受く。客君の疾を問う。対えて曰わく、「君の疾久し。上下の神祇、諭(と)かざる無く遍し。而れども除くこと無し。今黄熊の寝門に入るを夢む。人鬼か、亦た厲鬼か知らず。」子産曰わく、「君子明にして、子政を為す、其れ何の厲か之れ有らん。僑之を聞く、昔鯀帝命に違い、之を羽山に殛(ころ)す。化して黄熊と為り、以て羽淵に入る。是れ夏郊たり、三代之を挙ぐ。夫れ鬼神の及ぶ所、其の族類に非ざれば、則ち其の同位を紹(つ)ぐ。是の故に天子は上帝を祠り、公侯は百神を祠り、卿自り以下は其の族を過ぎず。今周室少しく卑しく、晋実に之を継ぐ。其れ或いは未だ夏郊を挙げざるか。」宣子以て告げ、夏郊を祀り、董伯尸(し)と為り、五日にして瘳(い)ゆ。公子産を見て之に莒鼎を賜う。
現代語訳
鄭の簡公が公孫成子を晋に使者として派遣した。晋の平公は病を患っていた。韓宣子が補佐して使者を接待した。使者が晋公の病について尋ねた。応対して言った。「君の病は久しく続いています。天地上下の神々に祈らないところはなく、あまねく祈願しましたが、それでも治りません。今、黄色い熊が寝室の門に入ってくる夢を見ました。それが人の霊なのか、それとも祟る霊なのかわかりません。」子産は言った。「君主が明敏であり、あなたが政治を執っているのに、どうして祟りなどありましょうか。私はこう聞いています。昔、鯀が帝の命令に背いたため、羽山でこれを処刑しました。鯀は化して黄色い熊となり、羽淵に入りました。これが夏の郊祭の由来であり、夏・殷・周の三代がこの祭祀を行ってきました。そもそも鬼神の祟りが及ぶのは、その一族でなければ、その同じ地位を継いだ者に及びます。だから天子は上帝を祀り、公侯は多くの神々を祀り、卿以下はその一族の祖先しか祀りません。今、周王室はやや衰え、晋が実質的にその地位を継いでいます。もしかすると、まだ夏の郊祭を行っていなかったのではないでしょうか。」韓宣子はこれを報告し、夏の郊祭を行い、董伯を神主の代理として五日で快癒した。晋公は子産に会い、莒の鼎を賜った。
解説

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国語・晋語八鄭の簡公公孫成子(こうそんせいし)をして来聘せしむ。平公疾有り。韓宣子客館を賛授す。客君の疾を問う。対えて曰く、「寡君の疾久し。上下の神祇遍く諭(つ)げざる無きも、除かるる無し。今黄熊(こうゆう)寝門に入るを夢む。知らず人殺か、抑(そもそ)も厲鬼(れいき)か」と。子産曰く、「君の明を以て、子大政を為す。其れ何の厲か之れ有らん。僑(きょう)之を聞く、昔者(むかし)鯀(こん)帝命に違い、之を羽山(うざん)に殛(きょく)す。化して黄熊と為り、以て羽淵に入る。実に夏郊と為り、三代之を挙ぐ。夫れ鬼神の及ぶ所は、其の族類に非ざれば、則ち其の同位を紹(つ)ぐ。是の故に天子は上帝を祀り、公侯は百辟(ひゃくへき)を祀り、卿より以下は其の族を過ぎず。今周室少しく卑く、晋実に之を継ぐ。其れ或いは未だ夏郊を挙げざるか」と。宣子以て告げ、夏郊を祀る。董伯(とうはく)尸(し)と為る。五日にして、公子産に見え、之に莒鼎(きょてい)を賜う。
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『春秋左氏伝』昭公七年 黄熊、寝門に入る楚子公を新臺に享し、長鬣の者をして相けしむ。好みとして大屈を以てす。既にして之を悔ゆ。薳啟彊之を聞き、公に見ゆ。公之に語る。拜賀す。公曰く、「何をか賀する」と。對へて曰く、「齊と晉と越と、此を欲すること久し。寡君適(ゆ)き與ふる無くして、諸を君に傳ふ。君其れ三鄰に備禦し、慎みて寶を守れ。敢へて賀せざらんや」と。公懼れて、乃ち之を反す。鄭の子產晉に聘す。晉侯疾む。韓宣子客を逆へ、私かにして曰く、「寡君寢疾して、今に於いて三月なり。並びに群望に走るも、加はる有りて瘳ゆる無し。今夢に黃熊寢門に入る。其れ何の厲鬼ぞや」と。對へて曰く、「君の明を以て、子大政を為す、其れ何の厲か之れ有らん。昔堯鯀を羽山に殛す。其の神化して黃熊と為り、以て羽淵に入る。實に夏の郊と為り、三代之を祀る。晉盟主と為りて、其れ或いは未だ之を祀らざるか」と。韓子夏の郊を祀る。
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史記 鄭世家后帝臧しとせず、閼伯を商丘に遷し、辰を主らしむ。商人是に因る、故に辰を商星と為す。実沈を大夏に遷し、参を主らしむ。唐人是に因り、夏・商に服事す。其の季世を唐叔虞と曰ふ。武王の邑姜方に大叔を娠むに当たり、夢に帝己に謂ふ、『余而の子に命じて虞と曰ひ、乃ち之に唐を与へ、之を参に属して其の子孫を蕃育せしめん』と。生まるるに及びて文有り其の掌に在りて『虞』と曰ふ。遂に以て之に命ず。成王唐を滅ぼして大叔を国とするに及ぶ。故に参を晋星と為す。是に由りて之を観れば、則ち実沈は参の神なり。昔金天氏に裔子有り昧と曰ふ。玄冥の師と為り、允格・台駘を生む。台駘能く其の官を業とし、汾・洮を宣べ、大沢を障り、以て太原に処る。帝用て之を嘉し、之を汾川に国とす。沈・姒・蓐・黄実に其の祀を守る。今晋汾川を主りて之を滅ぼせり。是に由りて之を観れば、則ち台駘は汾・洮の神なり。然れども是の二者は君の身を害せず。山川の神は、則ち水旱の菑に之を禜す。日月星辰の神は、則ち雪霜風雨の時ならざるに之を禜す。君の疾の若きは、飲食哀楽女色の生ずる所なり」と。平公及び叔向曰く、「善し、博物の君子なり」と。厚く之が礼を子産に為す。二十七年夏、鄭の簡公晋に朝す。冬、楚の霊王の彊きを畏れ、又楚に朝す。子産従ふ。二十八年、鄭君病む。子産をして諸侯に会せしめ、楚の霊王と申に盟ひ、斉の慶封を誅す。三十六年、簡公卒し、子定公寧立つ。秋、定公晋の昭公に朝す。定公元年、楚の公子棄疾其の君霊王を弑して自ら立ち、平王と為る。徳を諸侯に行はんと欲し、霊王の侵す所の鄭の地を鄭に帰す。四年、晋の昭公卒す。其の六卿彊く、公室卑し。
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『春秋左氏伝』昭公元年 実沈と台駘晉侯疾有り。鄭伯公孫僑をして晉に如きて聘し、且つ疾を問はしむ。叔向焉に問ひて曰く、「寡君の疾病なり。卜人曰く、『實沈・臺駘祟りを為す』と。史之を知る莫し。敢へて問ふ、此れ何の神ぞや」と。子產曰く、「昔高辛氏に二子有り。伯を閼伯と曰ひ、季を實沈と曰ふ。曠林に居り、相能くせざるなり。日に干戈を尋(もち)ひ、以って相征討す。后帝臧(よみ)せず、閼伯を商丘に遷し、辰を主らしむ。商人是れ因る。故に辰を商星と為す。實沈を大夏に遷し、參を主らしむ。唐人是れ因り、以って夏・商に服事す。其の季世を唐叔虞と曰ふ。武王の邑姜、方に大叔を震(はら)むに當たり、夢に帝己(おのれ)に謂ふ、『余而(なんぢ)の子に命(な)づけて虞と曰はしめ、將に之に唐を與へ、諸を參に屬して其の子孫を蕃育せしめん』と。生まるるに及び、文の其の手に在る有り、虞と曰ふ。遂に以って之に命づく。成王唐を滅ぼして大叔を焉に封ずるに及ぶ。故に參を晉星と為す。
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『智囊』迎刃・子產鄭の良霄既に誅せらるるや、国人相驚き、或いは夢に伯有の介して行き、曰く、「壬子に余は将に帯を殺さんとし、明年壬寅に余又た将に段を殺さんとす」と。駟帯及び公孫段は果たして期の如く卒し、国人益ます大いに懼る。子産は公孫泄及び良止を立てて以て之を撫し、乃ち止む。子太叔其の故を問う。子産曰く、「鬼は帰する所有れば、乃ち厲を為さず。吾は之が帰と為るなり」と。太叔曰く、「公孫は何為れぞ」と。子産曰く、「説なり」と。〔馮述評〕但だ人鬼の故に通ずるのみならず、尤も妙なるは泄を立つるの一著に在り。鬼道にして人之を行う、真に能く民義を務めて鬼神に惑わざる者なり。
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史記 趙世家公孫支書して之を蔵す。秦の讖是に於て出づ。献公の乱、文公の霸、而して襄公秦の師を殽に敗りて帰りて淫を縦にす。此れ子の聞く所なり。今主君の疾は之と同じ。三日を出でずして疾必ず閒えん。閒ゆれば必ず言有らん」と。居ること二日半にして、簡子寤む。大夫に語りて曰く、「我帝の所に之きて甚だ楽しむ。百神と鈞天に游び、広楽九奏萬舞す。三代の楽に類せず、其の声人の心を動かす。一熊有り来りて我を援らんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。又一羆有り来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて、以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へんとし、七世にして亡びん。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、亦有つこと能はざらん。今余、虞舜の勲を思ひ、適々余将に其の胄女孟姚を以て而の七世の孫に配せんとす』と」と。董安于言を受けて書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。他日、簡子出づ。人有り道に当たる。之を辟くれども去らず。従者怒り、将に之を刃せんとす。道に当たる者曰く、「吾主君に謁する有らんと欲す」と。従者以て聞す。簡子之を召して曰く、「譆、吾子を見る所有ること晣かなり」と。道に当たる者曰く、「左右を屏けよ。願はくは謁する有らん」と。簡子人を屏く。道に当たる者曰く、「主君の疾のとき、臣帝の側に在り」と。簡子曰く、「然り、之有り。子の我を見る、我何をか為す」と。道に当たる者曰く、「帝主君をして熊と羆とを射しめ、皆死す」と。簡子曰く、「是なり。且つ何ぞや」と。道に当たる者曰く、「晋国且に大難有らんとし、主君之に首たらん。帝主君をして二卿を滅ぼさしめんとす。夫れ熊と羆とは皆其の祖なり」と。簡子曰く、「帝我に二笥の皆副有るを賜ふ、何ぞや」と。