孔子家語 / 正論解
晉平公會諸侯於平丘。齊侯及盟,鄭子產爭貢賦之所承,曰:「昔日天子班貢輕重,以列尊卑。貢,周之制也。卑而貢重者甸服,鄭伯,男南也。而使從公侯之貢懼弗給也。敢以為請。」自日中爭之,以至於昏。晉人許之。孔子曰:「子產於是行也,是以為國基也。詩云:『樂只君子,邦家之基。』子產,君子之於樂者。且曰合諸侯而藝貢事,禮也。」
新字:晉平公会諸侯於平丘。斉侯及盟,鄭子産争貢賦之所承,曰:「昔日天子班貢軽重,以列尊卑。貢,周之制也。卑而貢重者甸服,鄭伯,男南也。而使従公侯之貢懼弗給也。敢以為請。」自日中争之,以至於昏。晉人許之。孔子曰:「子産於是行也,是以為国基也。詩云:『楽只君子,邦家之基。』子産,君子之於楽者。且曰合諸侯而芸貢事,礼也。」
書き下し
晉の平公、諸侯を平丘に會す。齊侯盟に及び、鄭の子產貢賦の承くる所を爭いて曰く、「昔日天子貢の輕重を班ちて、以て尊卑を列す。貢は、周の制なり。卑くして貢重き者は甸服なり、鄭伯は男南なり。而るに公侯の貢に從わしめんとするは、給わざるを懼るればなり。敢えて以て請いと為す。」日中より之を爭い、以て昏に至る。晉人之を許す。孔子曰く、「子產是の行いに於けるや、是れ以て國の基と為すなり。詩に云う、『樂しめる只(こ)の君子は、邦家の基なり。』子產は、君子の樂しむに於ける者なり。且つ曰く、諸侯を合わせて貢事を藝(さだ)むるは、禮なり。」
現代語訳
晋の平公が諸侯を平丘に会し、盟約を結ばせた。斉侯が盟に加わったとき、鄭の子産は貢納の分担額をめぐって争い、こう言った。「かつて天子は貢納の軽重を分け与えて、諸侯の身分の尊卑を示されました。これが周の制度です。身分が低いのに貢納が重いのは甸服(王畿に近く貢納の重い地位)であり、鄭伯は男爵に相当する低い爵位にすぎません。それなのに公・侯と同じ貢納をさせようとするのは、とても賄いきれないことを懼れるからです。あえてこれを申し上げます。」正午から争い続け、夕暮れに至った。晋の人々はついにこれを許した。孔子は言った。「子産がこの行いをしたことは、まさに国の基を築くことである。『詩経』に『楽しむこの君子は、国家の基である』とある。子産は、君子として楽しむべき務めを果たした人物である。さらに言えば、諸侯を集めて貢納の事を取り決めることこそ、礼にかなったことなのだ。」
解説
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孔子家語・正論解鄭陳を伐ち、之に入る。子產をして捷を晉に獻ぜしめ、晉人陳の罪を問う。子產對えて曰く、「陳周の大德を亡じ、楚の眾を介恃して、弊邑を馮陵す、是を以て往年の告有り。未だ命を獲ざれば、則ち又東門の役有り。陳隧に當たる者、井堙(いんえん)し木刊(き)らる。弊邑大いに懼れ、天其の裏(うち)を誘き、弊邑の心を啟き、其の罪を知り、首を我に校(いた)す、用て敢えて功を獻ず。」晉人曰く、「何故に小を侵すか。」對えて曰く、「先王の命、惟だ罪の在る所、各々其の辟を致す。且つ昔天子は一圻、列國は一同、是より以て衰う、周の制なり。今大國は數圻多し、若し小を侵す無くんば、何を以て焉に至らんや。」晉人曰く、「其の辭順なり。」孔子之を聞き、子貢に謂いて曰く、「志之有り、言は以て志を足し、文は以て言を足す。言わざれば、誰か其の志を知らん。言いて文無ければ、行われて遠からず。晉鄭伯の爲に陳に入るは、文辭に非ざれば功と爲さず。小子慎めよ。」
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孔子家語・正論解季康子、一井の田を以て法賦を出ださんと欲し、孔子に訪わしむ。子曰く、「丘識らざるなり。」冉有三たび発して卒に曰く、「子は国老為り、子を待ちて行わんとす、之を若何ぞ子の言わざるや。」孔子対えず、而して私かに冉有に曰く、「求、汝来たれ。汝聞かざるか。先王土を制するに、田を借るに力を以てし、其の遠近を底む。里を賦するに入を以てし、其の有無を量る。力を任ずるに夫を以てし、其の老幼を議す。是に於て鰥寡孤疾老いたる者は、軍旅の出づる有れば則ち之を徴し、無ければ則ち已む。其の歳収は、田一井、禾秉を獲、缶米芻。是を過ぎずして、先王以て之を足れりと為す。君子の行いは、必ず礼に度る。施すには、其の厚きを取り、事には、其の中を挙げ、歛むるには、其の薄きに従う。是くの若くならば已みなん、丘も亦た足れりとせん。礼に度らずして、貪冒厭くこと無くんば、則ち田を賦すと雖も、将に足らざる有らんとす。且つ子孫若し之を行うを以て法を取らんとせば、則ち周公の典有り。若し法を犯さんと欲せば、則ち茍且に之を行わん、又た何ぞ訪わんや。」
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孔子家語・正論解鄭に鄉校有り。鄉校の士、執政を非論す。鬷明鄉校を毀たんと欲す。子產曰く、「何を以て毀つと為すや。夫れ人朝夕退きて遊び、以て執政の善否を議す。其の善しとする所は、吾則ち之を行い、其の否とする所は、吾則ち之を改む。之を若何ぞ其れ毀たんや。我聞く、忠言以て怨みを損ずと、威を立てて以て怨みを防ぐを聞かず。怨みを防ぐは、猶お水を防ぐがごとし。大決の犯す所は、人を傷つくること必ず多し、吾克く救う能わざるなり。小決して之を導かしむるに如かず、吾聞く所にして之を藥するに如かず。」孔子是の言を聞きて曰く、「吾是を以て之を觀るに、人子產を不仁と謂うも、吾信ぜざるなり。」
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説苑・政理子產、鄭に相たり。簡公、子產に謂いて曰く、「內政は出す毋かれ、外政は入る毋かれ。夫れ衣裘の美ならざる、車馬の飾らざる、子女の潔からざるは、寡人の醜なり。國家の治まらざる、封疆の正しからざるは、夫子の醜なり。」子產、鄭に相たり、簡公の身を終うるまで、內には國中の亂無く、外には諸侯の患無し。子產の政に從うや、能を擇びて之を使う。馮簡子は事を斷ずるに善く、子太叔は決するに善くして文あり、公孫揮は四國の為す所を知りて其の大夫の族姓を辨じ、變じて立ちどころに至り、又善く辭令を為す。裨諶は謀るに善く、野に於ては獲るも邑に於ては否らず。事有れば乃ち裨諶を載せて之と野に適き、謀りて可否を使め、告げて馮簡子をして之を斷ぜしめ、公孫揮をして之が辭令を為さしめ、成りて乃ち子太叔受けて之を行わしめ、以て賓客に應對す。是を以て鮮に敗事有り。
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孔子家語・六本孔子、斉の景公に見ゆ。公悦びて、廩丘の邑を置きて以て養と為さんことを請う。孔子辞して受けず。入りて弟子に謂いて曰わく、「吾聞く、君子は功を賞せられて賞を受くと。今吾斉君に言うも、君未だ之れを行うこと有らず、而して吾に邑を賜う。其れ丘を知らざること亦た甚だし。」是に於いて遂に行る。
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孔子家語・正論解鄭の子産、疾有り。子太叔に謂いて曰く、「我死せば、子必ず政を為さん。唯だ徳有る者のみ能く寛を以て民を服せしむ。其の次は猛に如くは莫し。夫れ火烈しければ民望みて之を畏る、故に死する者鮮し。水は濡弱にして、民狎れて之を翫ぶ、則ち死する者多し。故に寛は難し。」子産卒す。子太叔政を為す。猛にするに忍びずして寛にす、鄭国掠盗多し。太叔之を悔いて曰く、「吾早く夫子に従わば、必ず此に及ばざりしならん。」孔子之を聞きて曰く、「善いかな。政寛なれば則ち民慢る、慢れば則ち猛を以て之を糾す。猛なれば則ち民残なわる、民残なわれば則ち之を施すに寛を以てす。寛以て猛を済い、猛以て寛を済う、寛猛相済いて、政是を以て和す。詩に曰く、『民亦た労れたり、汔んど小康なるべし。此の中国を恵み、以て四方を綏んぜよ。』寛を以て之を施し、詭随を縦にする毋かれ。以て無良を謹み、寇虐を式め遏め、慘として明を畏れざるを、之を糾すに猛を以てするなり。遠きを柔らげ邇きを能くし、以て我が王を定む、之を平らかにするに和を以てするなり。」又曰く、「競わず絿がず、剛ならず柔ならず。政を布くこと優優たり、百禄是れ遒まる。和の至りなり。」子産の卒するや、孔子之を聞き、涕を出して曰く、「古の遺愛なり。」