説苑 / 辨物
山川何以視子男也?能出物焉,能潤澤物焉,能生雲雨;為恩多,然品類以百數,故視子男也。書曰:「禋于六宗,望秋于山川,遍于群神矣。」
新字:山川何以視子男也?能出物焉,能潤沢物焉,能生雲雨;為恩多,然品類以百数,故視子男也。書曰:「禋于六宗,望秋于山川,遍于群神矣。」
書き下し
山川は何を以て子男に視うるや。能く物を出だし、能く物を潤沢にし、能く雲雨を生ず。恩を為すこと多しと雖も、然れども品類百を以て数う、故に子男に視うるなり。書に曰わく、「六宗に禋(いん)し、秋を山川に望みて、遍く群神に及ぶ」と。
現代語訳
山や川はなぜ子爵・男爵になぞらえられるのか。それはよく物を生み出し、よく物を潤し、よく雲雨を生み出すことができるからである。恩恵をなすことは多いとはいえ、その及ぶ品類は百のオーダーで数えられる程度である。それゆえ子爵・男爵になぞらえられるのである。書経に「六宗に対して丁重な祭りを行い、秋には山川を望み祀り、あまねく多くの神々に及ぶ」とある。
解説
五嶽・四瀆・山川という三段階の格付けは、恩恵の及ぶ範囲の大小がそのまま地位の高下に対応するという明快な論理に貫かれている。爵位という制度は恣意的な序列ではなく、どれだけ広く多くの存在を利するかという実質を反映したものだという発想は、現代の評価制度にも示唆を与える。役職の重さは影響範囲の広さと責任の大きさに見合っているか、常に問い直す姿勢が求められる。
この章句が説くこと
子男品類百恩沢
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