説苑 / 辨物
五嶽者,何謂也?泰山,東嶽也;霍山,南嶽也;華山,西嶽也;常山,北嶽也;嵩高山,中嶽也。五嶽何以視三公?能大布雲雨焉,能大斂雲雨焉;雲觸石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下,施德博大,故視三公也。
新字:五嶽者,何謂也?泰山,東嶽也;霍山,南嶽也;華山,西嶽也;常山,北嶽也;嵩高山,中嶽也。五嶽何以視三公?能大布雲雨焉,能大斂雲雨焉;雲触石而出,膚寸而合,不崇朝而雨天下,施徳博大,故視三公也。
書き下し
五嶽とは何の謂いぞや。泰山は東嶽なり、霍山は南嶽なり、華山は西嶽なり、常山は北嶽なり、嵩高山は中嶽なり。五嶽は何を以て三公に視(なぞら)うるや。大いに雲雨を布くこと能い、大いに雲雨を斂(おさ)むること能う。雲は石に触れて出で、膚寸にして合し、朝を崇(お)えずして天下に雨ふらす。徳を施すこと博大なり、故に三公に視うるなり。
現代語訳
五嶽とは何を指すのか。泰山は東の嶽であり、霍山は南の嶽であり、華山は西の嶽であり、常山は北の嶽であり、嵩高山は中央の嶽である。五嶽はなぜ三公になぞらえられるのか。それは大いに雲や雨を広く行き渡らせることができ、また大いに雲や雨を収めることもできるからである。雲は岩に触れて湧き出て、わずかな間に集まり合い、一朝を待たずして天下に雨を降らせる。その施す恩徳の広大さゆえに、三公になぞらえられるのである。
解説
五嶽が三公になぞらえられる根拠は、位の高さそのものではなく「雲雨を布き、天下を潤す」という実質的な機能にある点が注目に値する。地位の重さは象徴ではなく、恩恵をどれだけ広く行き渡らせられるかという実際の働きによって裏づけられるべきだという発想である。組織における上位者も、肩書きの権威に安住するのではなく、自らの決定や行動がどれだけ広く多くの人を潤しているかによって、その地位の正当性を絶えず問い直す必要があるだろう。

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五嶽三公施徳博大
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