塩鉄論 / 論鄒篇
大夫曰:「鄒子疾晚世之儒墨、不知天地之弘、昭曠之道、將一曲而欲道九折、守一隅而欲知萬方、猶無準平而欲知高下、無規矩而欲知方圓也。於是推大聖終始之運、以喻王公、先列中國名山通谷、以至海外。所謂中國者、天下八十一分之一、名曰赤縣神州、而分為九州。絕陵陸不通、乃為一州、有大瀛海圜其外。此所謂八極、而天地際焉。禹貢亦著山川高下原隰、而不知大道之徑。故秦欲達九州而方瀛海、牧胡而朝萬國。諸生守畦畝之慮、閭巷之固、未知天下之義也。」
新字:大夫曰:「鄒子疾晩世之儒墨、不知天地之弘、昭曠之道、将一曲而欲道九折、守一隅而欲知万方、猶無準平而欲知高下、無規矩而欲知方円也。於是推大聖終始之運、以喻王公、先列中国名山通谷、以至海外。所謂中国者、天下八十一分之一、名曰赤県神州、而分為九州。絶陵陸不通、乃為一州、有大瀛海圜其外。此所謂八極、而天地際焉。禹貢亦著山川高下原隰、而不知大道之径。故秦欲達九州而方瀛海、牧胡而朝万国。諸生守畦畝之慮、閭巷之固、未知天下之義也。」
書き下し
大夫曰く、鄒子は晚世の儒墨の、天地の弘さ、昭曠の道を知らざるを疾む。一曲を將いて九折を道わんと欲し、一隅を守りて萬方を知らんと欲するは、猶お準平無くして高下を知らんと欲し、規矩無くして方圓を知らんと欲するがごときなり。是に於て大聖終始の運を推して、以て王公に喻す。先ず中國の名山通谷を列ね、以て海外に至る。所謂る中國とは、天下八十一分の一なり。名づけて赤縣神州と曰う。而して分かれて九州と為る。陵陸を絕ちて通ぜざれば、乃ち一州と為る。大瀛海有りて其の外を圜る。此れ所謂る八極にして、天地際まる。禹貢も亦た山川の高下原隰を著すも、而も大道の徑を知らず。故に秦は九州に達して瀛海を方り、胡を牧して萬國を朝せしめんと欲す。諸生は畦畝の慮り、閭巷の固めを守り、未だ天下の義を知らざるなり。
現代語訳
大夫が言った。「鄒衍は、末の世の儒者や墨者が天地の広さ、明るく開けた道を知らないことを憎んだ。一つの曲がり角しか知らずに九つの折れ目を語ろうとし、一つの隅を守ったまま万方を知ろうとするのは、水準器なしに高低を知ろうとし、コンパスと定規なしに方円を知ろうとするようなものだ。そこで大聖の終わりと始まりの巡りを推し、王公に説き聞かせた。まず中国の名山や谷を列挙し、それから海の外へ至る。いわゆる中国とは、天下の八十一分の一にすぎない。名を赤県神州といい、それが分かれて九州となる。丘陵と陸が途切れて通じないところで一つの州となり、大きな瀛海がその外を巡っている。これがいわゆる八極であり、天地の果てである。禹貢もまた山川の高低や原野と湿地を記しているが、大いなる道の筋道は知らなかった。だから秦は九州に至って瀛海をきわめ、胡を牧して万国を参朝させようとしたのだ。書生たちは畑の畝ばかりを思い、町内の垣根を守って、いまだ天下の義を知らない」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』論鄒篇文學曰く、堯は禹をして司空たらしめ、水土を平らげ、山に隨いて木を刊り、高下を定めて九州を序す。鄒衍は聖人に非ず、怪誤を作し、六國の君を熒惑して、以て其の說を納る。此れ春秋の所謂る「匹夫にして諸侯を熒惑す」る者なり。孔子曰く、「未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼神に事えん」と。近き者すら達せず、焉んぞ能く瀛海を知らん。故に用に補う無き者は、君子為さず。治に益無き者は、君子由らず。三王は經道を信じて、德は四海に光る。戰國は嘉言を信じて、破亡すること丘山の如し。昔、秦の始皇は已に天下を吞み、萬國を幷せんと欲して、其の三十六郡を亡う。瀛海に達せんと欲して、其の州縣を失う。大義を知ること斯くの如くんば、小計を守るに如かず。
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説苑・辨物八荒の内に四海有り、四海の内に九州有り。天子は中州に処りて八方を制するのみ。両河の間を冀州と曰い、河南を豫州と曰い、河西を雍州と曰い、漢南を荊州と曰い、江南を揚州と曰い、済南の間を兗州と曰い、済東を徐州と曰い、燕を幽州と曰い、斉を青州と曰う。山川・汙沢・陵陸・丘阜、五土の宜しき、聖王は其の勢いに就き、其の便に因りて、其の性を失わず。高き者には黍、中なる者には稷、下なる者には稲、蒲葦菅蒯の用乏しからず、麻麦黍粱も亦尽きず、山林の禽獣、川沢の魚鱉滋殖し、王者は京師にして四方に通じて之を致す。
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『塩鉄論』園池篇大夫曰く、諸侯は國を以て家と為す、其の憂いは內に在り。天子は八極を以て境と為す、其の慮りは外に在り。故に宇小なる者は用菲く、功巨なる者は用大なり。是を以て縣官は園池を開き、山海を總べ、利を致して以て貢賦を助け、溝渠を修め、諸農を立て、田牧を廣め、苑囿を盛んにす。太僕・水衡・少府・大農は、歲ごとに諸々の田牧の利、池籞の假に入るを課し、及び北邊に任田官を置きて、以て諸用を贍す、而も猶お未だ足らず。今之を罷めんと欲す、其の源を絕ち、其の流れを杜がば、上下俱に殫き、困乏の應なり、事を省き用を節するを好むと雖も、之を如何ぞ其れ可ならんや。
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『塩鉄論』憂邊篇大夫曰く、聖主は中國の未だ寧からず、北邊の未だ安からざるを思い、故の廷尉評等をして人間の疾苦する所を問わしむ。貧賤を拯恤し、不足を周贍す。群臣の明王の德を宣べ、宇內を安んずる所以の者、未だ其の紀を得ず、故に諸生に問う。諸生の議は、天を干さざれば則ち淵に入る、乃ち閭里の治を以てせんと欲す、而るを況んや國家の大事をや、亦た幾からずや。畎畝に發し、窮巷に出で、冰水の寒きを知らず、醉いて新たに寤むるが若し、殊に與に言うに足らざるなり。
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『塩鉄論』誅秦篇大夫曰く、秦・楚・燕・齊は、周の封國なり。三晉の君、齊の田氏は、諸侯の家臣なり。內は其の國を守り、外は不義を伐ち、地は廣まり壤は進む。故に號を萬乘に立てて、諸侯と為る。宗周は禮を修め文を長ずるも、然れども國は翦弱にして、自ら存する能わず、東は六國に攝れ、西は秦を畏れ、身は以て放遷され、宗廟は祀を絕つ。先帝の大惠に賴りて、其の後を紹ぎ興し、嘉を潁川に封じ、周子男君と號す。秦既に天下を幷せ、東のかた沛水を絕ち、並せて朝鮮を滅ぼし、南のかた陸梁を取り、北のかた胡・狄を卻け、西のかた氐・羌を略し、帝號を立て、四夷を朝せしむ。舟車の通ずる所、足跡の及ぶ所、畢く至らざるは靡し。其の德に服するに非ず、其の威を畏るればなり。力多ければ則ち人朝し、力寡なければ則ち人に朝す。
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呂氏春秋・有始④何をか九州と曰う。河・漢の間を豫州と為す、周なり。兩河の間を冀州と為す、晉なり。河・濟の間を兗州と為す、衛なり。東方を青州と為す、齊なり。泗上を徐州と為す、魯なり。東南を揚州と為す、越なり。南方を荊州と為す、楚なり。西方を雍州と為す、秦なり。北方を幽州と為す、燕なり。