呂氏春秋 / 有始②
天有九野,地有九州,土有九山,山有九塞,澤有九藪,風有八等,水有六川。
新字:天有九野,地有九州,土有九山,山有九塞,沢有九藪,風有八等,水有六川。
書き下し
天に九野有り、地に九州有り、土に九山有り、山に九塞有り、澤に九藪有り、風に八等有り、水に六川有り。
現代語訳
天には九つの区画があり、地には九つの州があり、大地には九つの山があり、山には九つの要害があり、沢には九つの大湿地があり、風には八つの種類があり、水には六つの大河がある。
解説
この段は、天地自然を九野・九州・九山・九塞・九藪・八風・六川という数の体系で整理する、いわば古代中国の博物誌的世界像の総目次です。次段以降で一つずつ内容が列挙されます。天を九分し、地を九州に分けるという発想は、世界を秩序ある全体として把握しようとする陰陽家・数術の思考を反映しています。呂氏春秋はこうした自然の分類を、暦や政治の秩序と結びつけました。世界を漏れなく分類して見取り図を作る態度は、現代の分類学やデータ整理、体系的な知識管理の原型ともいえます。
この章句が説くこと
九野九州九山八風六川分類
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