説苑 / 辨物
顏淵問於仲尼曰:「成人之行何若?」子曰:「成人之行達乎情性之理,通乎物類之變,知幽明之故,睹遊氣之源,若此而可謂成人。既知天道,行躬以仁義,飭身以禮樂。夫仁義禮樂成人之行也,窮神知化德之盛也。」
新字:顏淵問於仲尼曰:「成人之行何若?」子曰:「成人之行達乎情性之理,通乎物類之変,知幽明之故,睹遊気之源,若此而可謂成人。既知天道,行躬以仁義,飭身以礼楽。夫仁義礼楽成人之行也,窮神知化徳之盛也。」
書き下し
顔淵、仲尼に問いて曰わく、「成人の行いは何若(いかん)。」子曰わく、「成人の行いは情性の理に達し、物類の変に通じ、幽明の故を知り、遊気の源を睹る。此くの若くにして成人と謂うべし。既に天道を知り、躬を行うに仁義を以てし、身を飭むるに礼楽を以てす。夫れ仁義礼楽は成人の行いなり。神を窮め化を知るは徳の盛んなるなり。」
現代語訳
顔淵が孔子に尋ねた。「完成された人物の行いとはどのようなものでしょうか。」孔子は答えた。「完成された人物の行いとは、人情と本性の道理を極め、万物の変化に通暁し、目に見えるものと見えないものの理由を知り、気の流れの根源を見きわめることである。ここまで到達して初めて完成された人物と言えよう。すでに天の道を知った上で、行いは仁義を実践し、身は礼楽によって整える。仁義礼楽こそが完成された人物の行いであり、神秘を窮め尽くし変化の理を知ることこそ徳の極みである。」
解説
顔淵の問いに孔子が答えるこの章は、単なる知識や技能ではなく、人情の機微と万物の変化法則の両方に通じてこそ「成人」と呼べると説く。現代の組織においても、専門知識(物類の変)だけでは不十分で、人の感情や関係性(情性の理)への洞察が伴って初めて真に信頼される人材となる。技術偏重かバランス感覚重視かの分かれ目を古人はすでに見抜いていたと言える。
この章句が説くこと
成人情性仁義礼楽
関連する章句
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孔子家語・顏回顏回孔子に問いて曰わく、「成人の行い、若何。」子曰わく、「情性の理に達し、物類の変に通じ、幽明の故を知り、遊気の原を睹る。此くの若くんば、成人と謂う可し。既に能く成人にして、又之に加うるに仁義礼楽を以てす、成人の行いなり。乃ち神を窮め礼を知るが若きは、徳の盛んなるなり。」
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