説苑 / 雜言
孔子曰:「丘死之後,商也日益,賜也日損;商也好與賢己者處,賜也好說不如己者。」
新字:孔子曰:「丘死之後,商也日益,賜也日損;商也好与賢己者処,賜也好説不如己者。」
書き下し
孔子曰く、「丘死するの後、商や日々益し、賜や日々損せん。商は己より賢れる者と処るを好み、賜は己に如かざる者を説くを好めばなり」と。
現代語訳
孔子は言った。「私が死んだ後、商(子夏)は日ごとに進歩するだろうが、賜(子貢)は日ごとに衰えていくだろう。商は自分より優れた人物と一緒にいることを好むが、賜は自分より劣った人物を相手にすることを好むからだ」と。
解説
同じように優秀な弟子でありながら、日頃どのような相手と過ごすことを好むかという一点の違いが、長い目で見た成長と衰退を分けるという孔子の観察は鋭い。現代においても、自分より力のある人々の中に身を置いて刺激を受け続ける人は成長を続けるが、自分より劣る相手と過ごして優越感に浸ることを好む人は、いつしか成長が止まってしまう。この章が教えるのは、誰と時間を共にするかという交友関係の選択そのものが、意識せぬうちに人生の伸びしろを決定づけているという、環境選択の重要性である。
この章句が説くこと
交友選択向上心環境の力
関連する章句
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孔子家語・六本孔子曰わく、「吾死するの後、則ち商や日々に益し、賜や日々に損せん。」曾子曰わく、「何の謂いぞや。」子曰わく、「商や、己より賢れる者と処るを好み、賜や、己に若かざる者を説ぶを好む。其の子を知らざれば、其の父を視よ。其の人を知らざれば、其の友を視よ。其の君を知らざれば、其の使う所を視よ。其の地を知らざれば、其の草木を視よ。故に曰わく、『善人と居るは、芝蘭の室に入るが如し、久しくして其の香を聞かず、即ち之れと化す。不善人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し、久しくして其の臭を聞かず、亦た之れと化す。』丹の蔵する所は赤く、漆の蔵する所は黒し。是を以て君子は必ず其の与に処る所を慎むなり。」
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説苑・雜言孔子将に行かんとするに、蓋無し。弟子曰く、「子夏に蓋有り、以て行く可し」と。孔子曰く、「商の人と為りや、甚だ財に短し。吾聞く、人と交わる者は、其の長ずる所を推し、其の短なる所を違く、故に能く久長なりと」と。
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説苑・雜言孔子曰く、「其の子を知らずんば、其の友とする所を視よ。其の君を知らずんば、其の使う所を視よ」と。又曰く、「善人と居るは、蘭芷の室に入るが如し、久しくして其の香を聞かざるは、則ち之と化すればなり。悪人と居るは、鮑魚の肆に入るが如し、久しくして其の臭を聞かざるは、亦之と化すればなり。故に曰く、丹の蔵する所は赤く、烏の蔵する所は黒し。君子は蔵する所を慎む」と。
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説苑・雜言東郭子惠、子貢に問いて曰く、「夫子の門は何ぞ其れ雑なるや」と。子貢曰く、「夫れ隱括の旁には枉木多く、良医の門には疾人多く、砥礪の旁には頑鈍多し。夫子は道を脩めて以て天下を俟つ、来る者止まず、是を以て雑なるなり。詩に云う、『苑たる彼の柳斯、鳴く蜩●●。漼たる有る淵、莞葦淠淠たり』と。大なる者の旁は、容れざる所無きを言うなり」と。
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説苑・雜言子夏、仲尼に問いて曰く、「顔淵の人と為りや、何如」と。曰く、「回の信は、丘よりも賢れり」と。曰く、「子貢の人と為りや、何如」と。曰く、「賜の敏は、丘よりも賢れり」と。曰く、「子路の人と為りや、何如」と。曰く、「由の勇は、丘よりも賢れり」と。曰く、「子張の人と為りや、何如」と。曰く、「師の荘は、丘よりも賢れり」と。是に於いて子夏席を避けて問いて曰く、「然らば則ち四者は何為れぞ先生に事うるや」と。曰く、「坐せよ、吾汝に語らん。回は能く信ずれども反ること能わず、賜は能く敏なれども屈すること能わず、由は能く勇なれども怯なること能わず、師は能く荘なれども同ずること能わず。此の四子を兼ぬることは、丘為さざるなり。夫れ所謂至聖の士とは、必ず進退の利、屈伸の用を見る者なり」と。
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孔子家語・致思孔子将に行かんとして、雨ふりて蓋無し。門人曰わく、「商や之有り。」 孔子曰わく、「商の人と為るや、甚だ財に恡し。吾人と交わるに、其の長ずる所を推し、其の短なる所を違くと聞く、故に能く久しきなり。」