説苑 / 說叢
福者禍之門也。是者非之尊也。治者亂之先也。事無終始而患不及者,未之聞也。
新字:福者禍之門也。是者非之尊也。治者乱之先也。事無終始而患不及者,未之聞也。
書き下し
福は禍の門なり。是は非の尊なり。治は亂の先なり。事終始無くして患い及ばざる者は、未だ之を聞かざるなり。
現代語訳
幸福は禍いの入り口である。正しさは誤りの発端(尊いものほど後に誤りとなりうる)である。治世は乱世の先駆けである。物事を最初から最後まで貫き通すことなく、それでいて患いに及ばなかったという者は、いまだかつて聞いたことがない。
解説
幸福・正しさ・治世という一見望ましいものが、それぞれ禍い・誤り・乱世へと転じうる萌芽を内包しているという逆説を示す章である。順調な状態にあるときこそ、その裏に潜む禍いの種を見逃さない警戒心が必要だという教えは、好調時に油断しがちな組織や個人への戒めとなる。そして最後の「事終始無くして患い及ばざる者は、未だ之を聞かざるなり」は、物事を最初から最後まで一貫してやり遂げなければ、必ず何らかの患いを招くという結論であり、中途半端な取り組みが結局は禍いの種を残すという普遍的な真理を示している。
この章句が説くこと
福禍表裏中途半端警戒心
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『韓非子』備內第十七故に人主は以て心を己の死するを利とする者に加えざる可からず。
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史記 春申君列伝楚の考烈王子無く、春申君之を患ひ、婦人の子に宜しき者を求めて之を進むるも、卒に子無し。趙人李園其の女弟を持し、之を楚王に進めんと欲するも、其の子に宜しからざるを聞き、久しくして寵無きを恐る。李園春申君に事へて舍人と為らんことを求め、乃ち其の女弟を進め、即ち春申君に幸せらる。其の身有るを知り、李園乃ち其の女弟と謀る。園の女弟春申君に説きて曰く、「楚王の君を貴幸すること、兄弟と雖も如かざるなり。今君楚に相たること二十余年、而して王子無く、即し百歳の後将に兄弟を更立せんとせば、君又安ぞ長く寵有るを得んや。今妾自ら身有るを知る、而して人知る莫し。誠に君の重を以て妾を楚王に進めば、王必ず妾を幸せん。妾天に頼りて子男有らば、則ち是れ君の子王と為るなり、楚国尽く得可し、孰れぞ身不測の罪に臨むと」と。春申君大いに之を然りとし、乃ち李園の女弟を出だし、謹みて舍して之を楚王に言ふ。楚王召し入れて之を幸し、遂に子男を生み、立てて太子と為し、李園の女弟を以て王后と為す。楚王李園を貴び、園用事す。