説苑 / 敬慎
老子曰:「得其所利,必慮其所害;樂其所成,必顧其所敗。人為善者,天報以福;人為不善者,天報以禍也。故曰:禍兮福所倚;福兮禍所伏;戒之,慎之!君子不務,何以備之?夫上知天、則不失時;下知地、則不。日夜慎之,則無災害。」
新字:老子曰:「得其所利,必慮其所害;楽其所成,必顧其所敗。人為善者,天報以福;人為不善者,天報以禍也。故曰:禍兮福所倚;福兮禍所伏;戒之,慎之!君子不務,何以備之?夫上知天、則不失時;下知地、則不。日夜慎之,則無災害。」
書き下し
老子曰わく、「其の利する所を得れば、必ず其の害する所を慮る。其の成る所を楽しめば、必ず其の敗るる所を顧みる。人善を為す者は、天報ゆるに福を以てす。人不善を為す者は、天報ゆるに禍を以てするなり。故に曰わく、禍は福の倚る所、福は禍の伏する所なりと。之を戒めよ、之を慎め。君子務めずんば、何を以て之に備えん。夫れ上天を知れば、則ち時を失わず。下地を知れば、則ち。日夜之を慎めば、則ち災害無し」と。
現代語訳
老子は言った、「利益を得れば、必ずそれに伴う害を考えなければならない。成功を楽しむなら、必ずその裏にある失敗の可能性を顧みなければならない。人が善を行えば、天は福をもって報いる。人が不善を行えば、天は禍をもって報いる。だから言う、禍は福が寄りかかるところであり、福は禍が潜んでいるところであると。これを戒め、これを慎むべきである。君子がこれに務めなければ、何をもって備えとするのか。上は天の道理を知れば、時を失うことがない。下は地の道理を知れば、足るを知る。日夜これを慎めば、災いは起こらない」と。
解説
禍兮福所倚、福兮禍所伏という老子の有名な言葉が示す通り、この章は幸福と災禍が表裏一体であり、どちらも固定された状態ではなく常に反転しうるものだと説く。利益を得たときにこそその裏にある損失の芽を、成功を収めたときにこそその裏にある失敗の兆しを見ておくべきだという教えは、好調なときほど油断が生まれやすい人間の心理を先取りした警句である。現代のビジネスにおいても、業績が絶好調のときに次の危機の種が蒔かれることは珍しくなく、順風のときこそ逆風への備えを怠らない姿勢が、長期にわたる安定の鍵となる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
禍福は糾える縄の如し慎み備えあれば憂いなし
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『慎思録』巻之三老子曰く、禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、と。愚謂へらく、倚伏の理は、隠微にして見難く、畏るべきの甚しきなり。是れ衆人の知らざる所にして、智者の独り知る所なり。盧子諒の所謂福は禍の始と為り、禍は福の階と作る、及び塞翁の予め言ふ所も、亦皆此の意のみ。
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文子・符言老子曰く、時の行動以て従えば、道を知らざる者は福も禍と為る。天を蓋と為し、地を軫と為し、善く道を用うる者は終に尽くること無し。地を軫と為し、天を蓋と為し、善く道を用うる者は終に害無し。彼の五行を陳ぬれば必ず勝つこと有るも、天の覆う所は称わざる無し。故に「知りて知らざるは上なり、知らずして知るは病なり」と。
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文子・微明老子曰く、不義を以て之を得、又た布施せざれば、患い其の身に及ぶ。人の為す能わず、又た以て自ら為す無し。愚人と謂うべし。梟の其の子を愛するに異なる無し。故に「持して之を盈たすは、其の已むに如かず。揣えて之を鋭くすれば、長く保つべからず」。徳の中に道有り、道の中に徳有り。其の化は極むべからず。陽の中に陰有り、陰の中に陽有り。万事尽く然り、勝げて明らかにすべからず。福至れば祥存し、禍至れば祥先んず。祥を見て善を為さざれば、則ち福来たらず。不祥を見て善を行えば、則ち禍至らず。利と害は門を同じくし、禍と福は隣を同じくす。神聖の人に非ざれば之を能く分かつ莫し。故に曰く「禍は福の倚る所、福は禍の伏す所、孰か其の極を知らん」。人の将に疾まんとするや、必ず先ず魚肉の味を甘しとし、国の将に亡びんとするや、必ず先ず忠臣の語を悪む。故に疾の将に死せんとする者は、良医と為すべからず。国の将に亡びんとする者は、忠謀を為すべからず。身に修めて、然る後に以て民を治むべし。家に居りて理治まれば、然る後に官長に移すべし。故に曰く「之を身に修むれば、其の徳乃ち真なり。之を家に修むれば、其の徳乃ち余り有り。之を国に修むれば、其の徳乃ち豊かなり」。民の生活する所以は、衣と食なり。事の衣食に周ければ則ち功有り、衣食に周からざれば則ち功無し。事に功無ければ徳長からず。
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『慎思録』巻之二古人曰く、名を成すは毎に窮苦の日に在り、事を敗るは多く志を得る時に因る、と。愚謂ふ、此れも亦た老子の所謂禍は福の倚る所、福は禍の伏す所なり。是れ倚伏の理なり。禍有りと雖も憂ふべからず。福有りと雖も喜ぶべからず。是れ塞翁の意なり。
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文子・微明老子曰く、道なる者は小微を敬し、動きて礼を失わず、百射重ねて戒むれば、禍乃ち滋らず。福を計るは及ぶ勿く、禍を慮るは過ぎよ。同日に相を被むるも、蔽する者は傷つかず、愚者も備え有れば智者と功を同じくす。夫れ愛を積めば福を成し、憎を積めば禍を成す。人皆な患いを救うを知りて、患いをして生ぜざらしむるを知る莫し。夫れ患いをして生ぜざらしむるは易く、救いを患いに施すは難し。今の人は患いをして生ぜざらしむるに務めずして、救いを患いに施すに務む。神人と雖も為に謀る能わず。患禍の由りて来る所は、万万方無し。聖人は深く居りて以て患いを避け、静黙して以て時を待つ。小人は禍福の門を知らず、動きて刑に陥り、曲に之が備えを為すと雖も、以て身を全うするに足らず。故に上士は先ず患いを避けて後に利に就き、先ず辱を遠ざけて後に名を求む。故に聖人は常に無形の外に事に従い、已成の内に心を留めず。是を以て禍患至る由無く、非誉も塵垢する能わず。
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文子・微明老子曰く、江河の大なる、溢るるも三日を過ぎず。飄風暴雨は、日中にも須臾に出でずして止む。徳積む所無くして憂えざる者は、其の及ぶを亡うなり。夫れ憂うる者は昌ゆる所以なり、喜ぶ者は亡ぶる所以なり。故に善き者は弱を以て強と為し、禍を転じて福と為す。道は沖にして之を用うれば又た満たざるなり。