説苑 / 說叢
君子之過猶日月之蝕也,何害於明?小人可也,猶狗之吠盜,狸之夜見,何益於善?夫智者不妄為,勇者不妄殺。
新字:君子之過猶日月之蝕也,何害於明?小人可也,猶狗之吠盗,狸之夜見,何益於善?夫智者不妄為,勇者不妄殺。
書き下し
君子の過つは猶お日月の蝕くるがごときなり、何ぞ明に害あらんや。小人の可なるは、猶お狗の盜に吠え、狸の夜見るがごとし、何ぞ善に益あらんや。夫れ智者は妄りに為さず、勇者は妄りに殺さず。
現代語訳
君子が過ちを犯すのは、ちょうど日食や月食のようなものであり、それによってその本来の明るさが損なわれることはない。小人がたまたま正しい振る舞いをするのは、犬が盗人に吠えたり、狸が夜に物を見たりするようなもので、それが善そのものにどれほどの益をもたらすだろうか(たまたまであって本質的な善ではない)。そもそも知恵ある者はみだりに事を行わず、勇気ある者はみだりに人を殺さない。
解説
君子の過ちと小人のたまたまの善行を対比し、一時の現象と本質的な性質とを区別すべきだという鋭い視点を示す章である。日食や月食が一時的に天体を覆っても、太陽や月そのものの輝きが損なわれるわけではないように、君子がたまたま過ちを犯しても、その人格の本質的な明るさは変わらないという比喩は秀逸である。逆に小人がたまたま良い行いをしても、それは犬が本能的に盗人に吠えるのと同じで、意図された善ではないため本質的な評価には値しないという指摘は、一時の言動だけで人を評価することの浅はかさを教えている。
この章句が説くこと
一時と本質君子小人評価の基準
関連する章句
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『淮南子』泰族訓故に君子の過つや、猶お日月の蝕するがごとし。何ぞ明を害せんや。小人の可なるは、猶お狗の晝に吠え、鴟の夜に見るがごとし。何ぞ善に益あらんや。夫れ知者は妄りに發せず、善を擇びて之を爲し、義を計りて之を行う。故に事 成りて功 賴むに足るなり。身 死して名 稱するに足るなり。知能有りと雖も、必ず仁義を以て之が本と爲して、然る後に立つ可きなり。知能 蹐馳して、百事 並び行わる。聖人は一に仁義を以て之が準繩と爲す。之に中たる者を之を君子と謂い、中たらざる者を之を小人と謂う。君子は死亡すと雖も、其の名 滅びず。小人は勢を得と雖も、其の罪 除かれず。
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論語・子張篇子貢曰く、君子の過ちや、日月の食の如し。過つや、人皆之を見る。更むるや、人皆之を仰ぐ。
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貞観政要・誠信且つ君子と小人と、貌は同じくして心は異なる。君子は人の悪を掩い、人の善を揚ぐ。難に臨みて苟も免れず、身を殺して以て仁を成す。小人は不仁を恥じず、不義を畏れず。惟だ利の在る所、人を危うくして自ら安んず。夫れ苟も人を危うくするに在らば、則ち何ぞ至らざる所あらんや。今、将に治を致さんことを求めんと欲せば、必ず之を君子に委ぬ。事に得失有らば、或いは之を小人に訪う。其の君子を待するや則ち敬して疎なり。小人に遇するや必ず軽くして狎(な)る。狎るれば則ち言いて尽くさざる無く、疎なれば則ち情は上に通ぜず。是れ則ち毀誉は小人に在り、刑罰は君子に加わる。実に興喪の在る所なり。慎まざるべけんや。此れ乃ち孫卿の所謂る、「智者をして之を謀らしめて、愚者と之を論ず。修潔の士をして之を行わしめて、汙鄙の人と之を疑う。其の功を成さんことを欲するも、得べけんや」と。夫れ中智の人、豈に小恵無からんや。然れども才は国を経(おさ)むるに非ず、慮は遠きに及ばず。力を竭くし誠を尽くすと雖も、猶お傾敗を免れず。況んや内に奸利を懐き、顔を承け旨に順う者は、其の禍患を為すこと、亦た深からずや。夫れ直木を立てて影の直からざるを疑うは、精神を竭くし、思慮を労すと雖も、其の得ざること、亦た已に明らかなり。
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荀子・栄辱篇材性知能は、君子も小人も一なり。栄を好み辱を悪(にく)み、利を好み害を悪むは、是れ君子小人の同じくする所なり。其の之を求むる所以の道の若きは則ち異なれり。小人なる者は、疾(つと)めて誕(たん)を為して人の己を信ぜんことを欲し、疾めて詐を為して人の己に親しまんことを欲し、禽獣の行いをして人の己を善しとせんことを欲す。之を慮るに知り難く、之を行うに安んじ難く、之を持するに立ち難し。成るも則ち必ず其の好む所を得ず、必ず其の悪む所に遇う。故に君子なる者は、信なり、而も亦た人の己を信ぜんことを欲す。忠なり、而も亦た人の己に親しまんことを欲す。脩正治辨(しゅうせいちべん)なり、而も亦た人の己を善しとせんことを欲す。之を慮るに知り易く、之を行うに安んじ易く、之を持するに立ち易し。成れば則ち必ず其の好む所を得、必ず其の悪む所に遇わず。是の故に窮すれども隠れず、通ずれば則ち大いに明らかに、身死して名は弥(いよいよ)白(あき)らかなり。小人は頸を延べ踵を挙げて願わざるは莫く、曰く「知慮材性、固より以て人に賢(まさ)る有り」と。夫れ其の己と異なる無きを知らざるなり。則ち君子は注錯(ちゅうそ)の当たり、而して小人は注錯の過つなり。故に孰(つらつ)ら小人の知能を察すれば、以て其の余り有りて、君子の為す所を為すべきを知るに足る。之を譬うれば越人は越に安んじ、楚人は楚に安んじ、君子は雅に安んずるがごとし。是れ知能材性の然らしむるに非ず、是れ注錯習俗の節の異なればなり。仁義徳行は、常に安きの術なり、然れども未だ必ずしも危うからずんばあらざるなり。汙僈(おまん)突盗は、常に危うきの術なり、然れども未だ必ずしも安からずんばあらざるなり。故に君子は其の常に道(よ)り、小人は其の怪に道るなり。
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説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。
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