説苑 / 說叢
民有五死,聖人能去其三,不能去其二。饑渴死者,可去也;凍寒死者,可去也;罹五兵死者,可去也。壽命死者,不可去也;癰疽死者,不可去也。饑渴死者,中不充也;凍寒死者,外勝中也,罹五兵死者,德不忠也;壽命死者,歲數終也;癰疽死者,血氣窮也。故曰中不止,外淫作;外淫作者,多怨怪;多怨怪者,疾病生。故清靜無為,血氣乃平。
新字:民有五死,聖人能去其三,不能去其二。饑渴死者,可去也;凍寒死者,可去也;罹五兵死者,可去也。寿命死者,不可去也;癰疽死者,不可去也。饑渴死者,中不充也;凍寒死者,外勝中也,罹五兵死者,徳不忠也;寿命死者,歳数終也;癰疽死者,血気窮也。故曰中不止,外淫作;外淫作者,多怨怪;多怨怪者,疾病生。故清静無為,血気乃平。
書き下し
民に五死有り、聖人能く其の三を去るも、其の二を去る能わず。饑渴の死者は、去るべきなり。凍寒の死者は、去るべきなり。五兵に罹りて死する者は、去るべきなり。壽命の死者は、去るべからざるなり。癰疽の死者は、去るべからざるなり。饑渴の死者は、中充たざればなり。凍寒の死者は、外中に勝てばなり。五兵に罹りて死する者は、德忠ならざればなり。壽命の死者は、歲數終わればなり。癰疽の死者は、血氣窮まればなり。故に曰く、中止まらざれば、外淫作す。外淫作すれば、怨怪多し。怨怪多ければ、疾病生ずと。故に清靜無為なれば、血氣乃ち平らかなり。
現代語訳
民には五つの死に方がある。聖人はそのうち三つは取り除くことができるが、二つは取り除くことができない。飢えや渇きによる死は、取り除くことができる。凍えによる死は、取り除くことができる。武器による死は、取り除くことができる。しかし寿命による死は、取り除くことができない。癰(できもの)や疽(悪性のはれもの)による死も、取り除くことができない。飢えや渇きによる死は、体の内側が満たされていないからである。凍えによる死は、外の寒さが体内の温もりに勝るからである。武器による死は、徳が足りず忠義が至らなかったからである。寿命による死は、定められた年数が尽きたからである。癰疽による死は、血気が窮まり尽きたからである。だから言う。「内側が安定していなければ、外側で過剰な乱れが起こる。外側で過剰な乱れが起これば、怨みや怪しいことが多くなる。怨みや怪しいことが多くなれば、病が生じる。」だから心を清らかに静め無理な作為をしなければ、血気はおのずと平らかに保たれるのである。
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言魯の哀公、孔子に問いて曰く、「智者は寿ぶるか」と。孔子曰く、「然り。人に三死有りて命に非ざる者は、人自ら之を取るなり。夫れ寝処時ならず、飲食節ならず、佚労度を過ぐる者は、疾共に之を殺す。下位に居りて上其の君に忤らい、嗜欲厭くこと無くして、求めて止まざる者は、刑共に之を殺す。少きを以て衆を犯し、弱きを以て強きを侮り、忿怒力を量らざる者は、兵共に之を殺す。此の三者は、命に非ざるなり、人自ら之を取るなり。詩に云う、『人にして儀無くんば、死せずして何を為さん』と。此を之れ謂うなり」と。
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