説苑 / 說叢
蠋欲類蠶,○欲類蛇,人見蛇蠋,莫不身灑然;女工脩蠶,漁者持○,不惡何也?欲得錢也。逐魚者濡,逐獸者趨;非樂之也,事之權也。
新字:蠋欲類蠶,○欲類蛇,人見蛇蠋,莫不身灑然;女工脩蠶,漁者持○,不悪何也?欲得銭也。逐魚者濡,逐獣者趨;非楽之也,事之権也。
書き下し
蠋は蠶に類せんと欲し、○は蛇に類せんと欲す。人蛇蠋を見れば、身灑然たらざる莫し。女工は蠶を脩め、漁者は○を持す、惡まざるは何ぞや。錢を得んと欲すればなり。魚を逐う者は濡れ、獸を逐う者は趨る。之を樂しむに非ざるなり、事の權なり。
現代語訳
蠋(いもむし)は蚕に似ようとし、○(うつぼ・うなぎの類)は蛇に似ようとする。人は蛇や蠋を見れば、身の毛がよだたない者はいない。それなのに機織りの女は蚕を大切に育て、漁師は○(うなぎに似た生き物)を手に取って扱う。それを嫌がらないのはなぜか。金銭を得たいと思うからである。魚を追う者は水に濡れ、獣を追う者は走り回る。それを楽しんでいるのではなく、仕事上そうせざるを得ないからである。
解説
見た目には蛇や芋虫のように忌み嫌われる生き物であっても、生計のためであれば人はそれを厭わず扱うという観察から、労働や仕事の本質を突く章である。魚を追って水に濡れ、獣を追って走り回る行為も、それ自体を楽しんでいるのではなく、生活のための必要から行われているという指摘は、仕事の多くが必ずしも情熱や好みだけで成り立っているわけではないという現実を率直に示している。嫌悪感や苦労を乗り越えて仕事に向き合う人々への共感とともに、労働の動機を美化しすぎず冷静に見つめる視点を与えてくれる一文である。
この章句が説くこと
労働の本質生計権(手段)
関連する章句
-
『韓非子』內儲說上七術第三十婦人は蠶を拾い、漁者は鱧を握る。利の在る所は、則ち其の悪む所を忘れて、皆な孟賁と為る。
-
『韓非子』說林下二十三漁者は鱧を持ち、婦人は蠶を拾う。利の在る所、皆な孟賁・諸と為る。
-
説苑・雜言麋鹿群を成せば、虎豹之を避く。飛鳥列を成せば、鷹鷲撃たず。衆人聚を成せば、聖人犯さず。騰蛇は霧露に遊び、風雨に乗じて行き、千里に非ざれば止まらず。然れども暮には鱣の穴に託宿す、然る所以の者は何ぞや。心を用うること一ならざればなり。夫れ蚯蚓は内に筋骨の強無く、外に爪牙の利無し。然れども下は黄泉を飲み、上は晞土を墾す。然る所以の者は何ぞや。心を用うること一なればなり。聡なる者は耳もて聞き、明なる者は目もて見る。聡明形るれば則ち仁愛廉恥分かる。故に其の道に非ずして之を行えば、労すと雖も至らず。其の有に非ずして之を求むれば、強いると雖も得ず。智者は其の事に非ざるを為さず、廉者は其の有に非ざるを求めず。是を以て遠く容れられて名章らかなり。詩に云う、「忮まず求めず、何を用てか臧からざらん」と。此を之れ謂うなり。
-
説苑・說叢舟を吞むの魚も、蕩れて水を失えば、螻蟻に制せらるるは、其の居を離ればなり。猿猴も木を失えば、狐貉に禽せらるるは、其の處に非ざればなり。騰蛇は霧に遊びて生き、騰龍は雲に乘りて舉がる。猿は木を得て挺じ、魚は水を得て騖す。地に處ること宜しければなり。
-
説苑・說叢賢を欲する者は人に下るに如くは莫く、財を貪る者は身を全うするに如くは莫し。財は義の高きに如かず、勢は德の尊きに如かず。父は無益の子を愛する能わず、君は不軌の民を愛する能わず。君は無功の臣を賞する能わず、臣は無德の君に死する能わず。善く御する者を問わば馬に如くは莫く、善く治むる者を問わば民に如くは莫し。卑を以て尊と為し、屈を以て伸と為すは、聖人の因る所、上は天に法る。
-
説苑・說叢君子は其の備え有れば則ち事無し。君子は愧を以て食らわず、辱を以て得ず。君子は其の志を得るを樂しみ、小人は其の事を得るを樂しむ。君子は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼさず。