説苑 / 說叢
曾子曰:「入是國也,言信乎群臣,則留可也;忠行乎群臣,則仕可也;澤施乎百姓,則安可也。」
新字:曽子曰:「入是国也,言信乎群臣,則留可也;忠行乎群臣,則仕可也;沢施乎百姓,則安可也。」
書き下し
曾子曰く、「是の國に入るや、言群臣に信ぜられば、則ち留まるべきなり。忠群臣に行われば、則ち仕うべきなり。澤百姓に施されば、則ち安んずべきなり。」
現代語訳
曾子は言った。「ある国に入ったとき、自分の言葉がその国の群臣たちから信用されるようであれば、その国に留まってよい。忠義がその国の群臣たちの間に行き渡っているようであれば、その国に仕えてよい。恩恵がその国の百姓たちに施されているようであれば、その国で安んじて暮らしてよい。」
解説
ある国や組織に身を置くかどうかの判断基準を、言葉への信用・忠義の浸透・民への恩恵という三つの観点から示す章である。単に条件や待遇の良し悪しではなく、その組織の中で言葉が信用される土壌があるか、忠義が実際に機能しているか、恩恵が末端まで行き渡っているかを見極めるべきだという視点は、就職や転職を考える現代人にも通じる。表面的な看板ではなく、組織の実質的な健全性を見抜く目を持つことの大切さを教えている。
この章句が説くこと
組織選び信頼忠義
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