葉隠 / 聞書第二
惡事は我が身にかぶり、上の批判は申出でぬと覺悟せよ御位牌釋迦堂より御移しなされ候を、何某見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様の儀は御無用に候。然れども仰達せらるゝ儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞よくなり申す事に候。若し相濟まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。惡事は我が身にかぶり申すこそ當介にて候。今の如くして先づ召置かれ候時は、誰ぞ氣の附き申すす者もこれなく、何の沙汰もなく相濟み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候樣に致す樣これあるべく候。」と申し候て、差留め置き申し候。斯樣の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷在り候へば、しかと、よき時節がふり來るものに候。大方、惡事は内輪から言崩すもの、親子兄弟入魂の間などは格別と存じ、隱密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自國他國日本國に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内證にて仕方惡しき人は、やがて世上に惡名唱へ申し候。内輪ほど愼み申すべき事なり。
新字:悪事は我が身にかぶり、上の批判は申出でぬと覺悟せよ御位牌釈迦堂より御移しなされ候を、何某見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様の儀は御無用に候。然れども仰達せらるゝ儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介にて候。今の如くして先づ召置かれ候時は、誰ぞ気の附き申すす者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言崩すもの、親子兄弟入魂の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内證にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱へ申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。
書き下し
悪事は我が身にかぶり、上(かみ)の批判は申し出でぬと覚悟せよ。御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。
現代語訳
不都合な事は自分がかぶり、主君の落ち度は口に出さぬと覚悟せよ。位牌を釈迦堂から移された件を、ある者が見つけて主君に申し上げるべきかと相談してきたので、こう答えた。「もっともなことだが、そのような具申は無用だ。もし申し上げれば、あなたの体面はよくなろうが、うまく事が運ばなければ、かえってよくない話だと取り沙汰され、あなたの外聞ばかりが立つことになる。不都合は自分がかぶってこそ、事に当たる者だ。今のまま放っておけば、誰も気づかず、何の騒ぎもなく済むこと。そのうち時節を見て、沙汰なしに元どおり直せばよい」。こう言って差し止めた。こうした事から主君の不始末が世間に知れることがある。心にとめておけば、必ず直す好機が巡ってくるものだ。だいたい不都合は内輪から漏れて崩れるもので、親子兄弟の親しい間柄だからと安心し「内密だ、口外するな」などと話せば、やがて広がり、後には自国他国、日本中に漏れ聞こえることも珍しくない。また召使いなどでも、内々でやり方の悪い者は、やがて世間で悪評を立てられる。内輪ほど慎むべきである。
解説
この章句が説くこと
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論語 季氏篇季氏將伐顓臾。冉有、季路見於孔子。孔子曰:求!無乃爾是過與?夫顓臾,昔者先王以為東蒙主,且在邦域之中矣,是社稷之臣也,何以伐為?
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葉隠・聞書第二事によりては、主君の仰付けをも、諸人の愛想をも盡かして、だ〜を踏廻りて打破つのけねばならぬ事あり。畢竟は、御爲一偏の心入さへ出來れば、紛れぬものなり。何某、御前様附にて御死去の時、上より差留めらる〜と申し候て、髮を剃り申されず、表より相附けられ候人さへ剃髮仕り、無興に候故、附役共剃り申し候。斯様の時などは、御意にても差圖にても聞入れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武藏覺悟仕り候。上の御外聞にて候へば、承引仕らずと申し切る筈となり。
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呂氏春秋・務大④鄭君問於被瞻曰:「聞先生之義,不死君,不亡君,信有之乎?」被瞻對曰:「有之。夫言不聽,道不行,則固不事君也。若言聽道行,又何死亡哉?」故被瞻之不死亡也,賢乎其死亡者也。
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葉隠・聞書第二思死に極むるが戀の極致、主從の間もこの心で濟む 此の事此の中も承り候。此の節の御話斯くの如きなり。戀の部りの至極は忍戀なり。戀死なむ後の煙のそれと知れ終ひにもらさぬ中の思ひはかくの如きなり。命の内に、それと知らするは深き戀にあらず、思死の、長けの高き事に限りなし。たとへ、向より、「斯樣にてはなきか。」と問はれても、「全く思ひもよらず。」と云ひて、唯思死に極むるが至極なり。廻り遠き事にてはなく候や。此の前語り候へば、請合ふ者共ありしが、其の家中を煙仲間と申し候なり。此の事、萬づの心得にわたるべし。主從の間など、此の心にて濟むなり。又人の陰にて嗜むが卽ち公界なり。獨り居るくらがりにて、賤しき擧動をなさず、人の目にかゝらぬ胸の内に、賤しき事を思はぬ樣に、心がけねば公界にて綺麗には見えず、俄に嗜みては垢が見ゆるものとなり。