淮南子 / 道應訓
墨者有田鳩者,欲見秦惠王。約車申轅,留於秦,周年不得見。客有言之楚王者,往見楚王,楚王甚悅之。予以節,使於秦。至,因見。予之將軍之節。惠王見而説之。出舍,喟然而歎,告從者曰:「吾留秦三年不得見,不識道之可以從楚也。」物故有近之而遠,遠之而近者。故大人之行,不掩以繩,至所極而已矣。此所謂《管子》「梟飛而維繩」者。
新字:墨者有田鳩者,欲見秦恵王。約車申轅,留於秦,周年不得見。客有言之楚王者,往見楚王,楚王甚悅之。予以節,使於秦。至,因見。予之将軍之節。恵王見而説之。出舎,喟然而嘆,告従者曰:「吾留秦三年不得見,不識道之可以従楚也。」物故有近之而遠,遠之而近者。故大人之行,不掩以縄,至所極而已矣。此所謂《管子》「梟飛而維縄」者。
書き下し
墨者に田鳩なる者有り、秦の惠王に見えんと欲す。車を約し轅を申べ、秦に留まること周年なるも見ゆるを得ず。客に之を楚王に言う者有り。往きて楚王に見ゆるに、楚王 甚だ之を悅ぶ。予うるに節を以てし、秦に使いせしむ。至りて、因りて見ゆ。之に將軍の節を予う。惠王 見て之を説ぶ。出でて舍り、喟然として歎じ、從者に告げて曰く、「吾 秦に留まること三年 見ゆるを得ず。道の以て楚に從う可きを識らざりき」と。物 固より之に近くして遠く、之に遠くして近き者有り。故に大人の行いは、掩うに繩を以てせず、極まる所に至るのみ。此れ所謂『管子』の「梟 飛びて維繩す」なる者なり。
現代語訳
墨家に田鳩という者がいて、秦の恵王に会いたいと思った。車を仕立て轅を伸ばし、秦に留まること一年、会うことができなかった。ある客がそのことを楚王に話した。行って楚王に会うと、楚王は大いに喜んだ。割符を与えて秦へ使いさせた。着いて、それで会えた。将軍の割符を与えられた。恵王は会って喜んだ。宿に下がって、深く嘆じて従者に告げた、「私は秦に三年留まって会えなかった。楚を回る道があるとは気づかなかった」。物にはもともと、近いようで遠いもの、遠いようで近いものがある。だから大人の行いは、墨縄で覆うようなことはせず、行き着くところまで行くだけである。これが『管子』にいう「梟が飛んで縄に繋がる」ということである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
尚書・文侯之命遠きを柔らげ邇きに能くし、小民を惠康す。
-
孫子・地形篇往くべくして返り難きを、掛と曰う。掛形は、敵に備え無ければ、出でて之に勝つ。敵若し備え有らば、出でて勝たず、返り難くして、不利なり。
-
説苑・立節斉の崔杼荘公を弑す。邢蒯瞶晋に使いして反る。其の僕曰わく、「崔杼荘公を弑せり、子将に奚くにか如かんとす」と。邢蒯瞶曰わく、「之を駆れ、将に入りて死して君に報いん」と。其の僕曰わく、「君の無道なるや、四鄰の諸侯聞かざる莫し。夫子を以て之に死するは亦難からずや」と。邢蒯瞶曰わく、「善く能く言えり。然れども亦晩し。子早く我に言わば、我能く之を諫めん。諫めて聴かれずんば我能く去らん。今既に諫めず又去らず。吾聞く、其の禄を食む者は其の事に死すと。吾既に乱君の禄を食めり、又安んぞ君を治めて之に死するを得んや」と。遂に車を駆りて死に入る。其の僕曰わく、「人乱君有りて、人猶お之に死す。我治長有り、死する毋かる可けんや」と。乃ち轡を結びて車上に自刎す。君子之を聞きて曰わく、「邢蒯瞶節を守り義に死すと謂う可し。死は人の難んずる所なり。僕夫の死するや、未だ義に合う能わずと雖も、然れども亦志有るの意なり。詩に云う、『夙夜懈らず、以て一人に事う』と、邢生の謂いなり。孟子曰わく、『勇士は其の元を喪うを忘れず』と、僕夫の謂いなり」と。
-
論語・陽貨篇公山弗擾、費を以て畔く。召く。子往かんと欲す。子路説ばずして曰く、「之く末きのみ。何ぞ必ずしも公山氏に之れ之かん。」子曰く、「夫れ我を召く者は、豈に徒ならんや。如し我を用うる者有らば、吾其れ東周を為さんか。」
-
尉繚子・武議良馬も策有れば、遠道致すべし。賢士も合有れば、大道明らかにすべし。
-
論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」