説苑 / 指武
聖人之治天下也,先文德而後武力。凡武之興為不服也。文化不改,然後加誅。夫下愚不移,純德之所不能化而後武力加焉。
新字:聖人之治天下也,先文徳而後武力。凡武之興為不服也。文化不改,然後加誅。夫下愚不移,純徳之所不能化而後武力加焉。
書き下し
聖人の天下を治むるや、文德を先にして武力を後にす。凡そ武の興るは服せざる爲なり。文化改まらずして、然る後に誅を加う。夫れ下愚移らず、純德の化する能わざる所にして、然る後に武力焉に加う。
現代語訳
聖人が天下を治める時には、まず文徳(教化)を優先し、武力を後回しにする。そもそも武力が興るのは、相手が服従しない場合のためである。教化によっても改まらない場合に、そこで初めて誅罰を加える。そもそも極めて愚かで移ろわない者、純粋な徳による感化が及ばない者に対して、初めて武力をそこに加えるのである。
解説
この章は篇全体を貫く文武の順序を端的に定式化する。武力は最初の手段としてではなく、教化を尽くしてなお改まらない者に対する最後の手段として位置づけられる。ここで重要なのは、武力の使用そのものを否定しているのではなく、その発動の順序と条件を厳格に定めている点である。組織におけるルールの厳格な運用や処分も同様であり、まず対話や指導を尽くし、それでも変わらない場合に初めて厳しい措置を取るという段階を踏むことが、正当性と有効性の両方を担保するという教訓を伝える。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
文徳武力順序
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『匡正論』・文と武はもとひとつの安民の道文武之義知れ易きに似て其實知れ易きに非るにや、俗士動もすれば其實を失ふものあり、夫文と云は中華先聖王の立賜へる道を狀りて云たる也、其道をさして文と云は如何となれば、先天に天文と云、地に地理と云、先王の道の大原より出て、天に法りて道を立玉ひ、禮樂の敎粲然たる以天下を安治する道なる故に文とは云也、武と云は文字に於ても止戈を義とする也、又戡亂也と注して、天下の亂逆を靜むるをさして云也、故に武の本意は民を安ずるの仁心より亂逆を靜て國土を安ぜん爲にて、先王安民の道の一端にて、治る時は文を用ひ亂る時は武を用ふと云までの事にて、畢竟文武は唯一道なり、後世の如き文道武道と云樣なる別にては無き也、古の君子の先王の道を學と云ふは學宮の中に優游而六藝を學び行ひ自然に其位を成す、各性質の偏有に因て盛德の上にて見れば、文事の人ともなり、されば古も文武兼備の人を以て盛德とする事にて、其故は軍事あれば六卿皆出て將軍となる事なれば、文武の才にあらざれば卿とは成がたきなり、三代の君子みな劍を帶するも是故也、後世秦漢以後の文武宮を殊にし政を殊にする比ひには非ずと知るべし、故に詩經に尹吉甫稱して、文武吉甫萬邦爲憲と云へり、又禮記に勇而有强力者、天下無事、則用之於禮儀、天下有事、則用之於戰勝、則無敵、用之禮儀則順治、外無敵、內順治、此之謂盛德と云へり、君子の勇强は匹夫兵卒の比ひに非る事可見也、又左傳僖公二十七年に、晉國將軍の才を撰び、卻縠と云人禮樂を說び詩書に敦なるを以て擢て將軍となせし事あり、後世より見れば、將軍の才の撰び方格別なる樣なれども、
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