説苑 / 指武
吳王闔廬與荊人戰於柏舉,大勝之,至於郢郊,五敗荊人。闔廬之臣五人進諫曰:「夫深入遠報,非王之利也,王其返乎?」五將鍥頭,闔廬未之應,五人之頭墜於馬前,闔廬懼,召伍子胥而問焉。子胥曰:「五臣者懼也。夫五敗之人者,其懼甚矣,王姑少進。」遂入郢,南至江,北至方城,方三千里,皆服於楚矣。
新字:吳王闔廬与荊人戦於柏舉,大勝之,至於郢郊,五敗荊人。闔廬之臣五人進諫曰:「夫深入遠報,非王之利也,王其返乎?」五将鍥頭,闔廬未之応,五人之頭墜於馬前,闔廬懼,召伍子胥而問焉。子胥曰:「五臣者懼也。夫五敗之人者,其懼甚矣,王姑少進。」遂入郢,南至江,北至方城,方三千里,皆服於楚矣。
書き下し
呉王闔廬荊人と柏舉に戰い、大いに之に勝ち、郢郊に至り、五たび荊人を敗る。闔廬の臣五人進みて諫めて曰く、「夫れ深く入り遠く報ゆるは、王の利に非ざるなり、王其れ返らんか」と。五將頭を鍥み、闔廬未だ之に應えず、五人の頭馬前に墜つ、闔廬懼れ、伍子胥を召して之に問う。子胥曰く、「五臣は懼るるなり。夫れ五敗の人は、其の懼るること甚だし、王姑く少しく進め」と。遂に郢に入り、南は江に至り、北は方城に至り、方三千里、皆楚に服せり。
現代語訳
呉王闔廬は荊(楚)の人々と柏挙で戦い、大いに勝利し、郢の郊外にまで至り、五たび楚軍を打ち破った。闔廬の臣下五人が進み出て諫めて言った、「そもそも深く敵地に攻め入って遠く恩讎に報いるのは、王のためになることではありません。王はそろそろお引き返しになってはいかがですか」と。五人の将は自らの首を刻んで訴えたが、闔廬はまだこれに応えなかった。すると五人の頭が馬前に落ちた。闔廬は恐れ、伍子胥を召してこれについて尋ねた。子胥は言った、「五人の臣下は恐れているのです。そもそも五度も敗れた楚の人々は、その恐れが甚だしいものでしょう。王はしばらくもう少し進軍なさるべきです」と。そこでついに郢に入城し、南は長江に至り、北は方城に至るまで、方三千里にわたって、みな楚は服従した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 伍子胥列伝楚、其の大臣郤宛・伯州犁を誅す。伯州犁の孫伯嚭、亡げて呉に奔る。呉も亦た嚭を以て大夫と為す。前に王僚が遣す所の二公子・兵を将ゐて楚を伐ちし者、道絶えて帰るを得ず。後に闔廬の王僚を弑して自立せりと聞き、遂に其の兵を以て楚に降る。楚、之を舒に封ず。闔廬立ちて三年、乃ち師を興し、伍胥・伯嚭と楚を伐ち、舒を抜き、遂に故の呉の反せる二将軍を禽にす。因りて郢に至らんと欲す。将軍孫武曰く、「民労る、未だ可ならず、且く之を待て」と。乃ち帰る。四年、呉、楚を伐ち、六と灊を取る。五年、越を伐ち、之を敗る。六年、楚の昭王、公子嚢瓦をして兵を将ゐて呉を伐たしむ。呉、伍員をして迎へ撃たしめ、大いに楚の軍を豫章に破り、楚の居巣を取る。
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史記 伍子胥列伝九年、呉王闔廬、子胥・孫武に謂ひて曰く、「始め子、郢は未だ入る可からずと言へり、今果たして何如」と。二子対へて曰く、「楚の将嚢瓦は貪にして、唐・蔡皆之を怨む。王必ず大いに之を伐たんと欲せば、必ず先づ唐・蔡を得て乃ち可なり」と。闔廬之を聴き、悉く師を興し唐・蔡と楚を伐ち、楚と漢水を夾みて陳す。呉王の弟夫概、兵を将ゐて従はんことを請ふも、王聴かず、遂に其の属五千人を以て楚の将子常を撃つ。己卯、楚の昭王出奔す。庚辰、呉王郢に入る。子常敗走し、鄭に奔る。是に於いて呉、勝ちに乗じて前み、五戦して遂に郢に至る。
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史記 伍子胥列伝後五年、越を伐つ。越王句踐迎へ撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻く。闔廬創に病み将に死せんとして、太子夫差に謂ひて曰く、「爾、句踐の爾の父を殺ししを忘るるか」と。夫差対へて曰く、「敢て忘れじ」と。是の夕、闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習ふ。二年の後、越を伐ち、越を夫湫に敗る。越王句踐乃ち余兵五千人を以て会稽の上に棲み、大夫種をして幣を厚くし呉の太宰嚭に遺りて以て和を請ひ、国を委ねて臣妾と為らんことを求めしむ。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰く、「越王の人と為りは能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用ゐ、越と平らぐ。
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説苑・正諫呉、伍子胥・孫武の謀を以て、西のかた強楚を破り、北のかた斉晋を威し、南のかた越を伐つ。越王句践之を迎え撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻き、闔廬太子夫差に謂いて曰わく、「爾句践の而の父を殺せしを忘れたるか」と。夫差対えて曰わく、「敢えて忘れじ」と。是の夕闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習い、三年にして越を伐ち、夫湫に敗る。越王句践乃ち兵五千人を以て会稽山上に棲み、大夫種をして厚幣もて呉の太宰嚭に遣わして以て和を請わしめ、国を委ねて臣妾と為さんとす。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰わく、「越王人と為り能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用いて越と平らぐ。其の後五年、呉王斉の景公死し、大臣寵を争うと聞き、新君弱しとして、乃ち師を興して北のかた斉を伐たんとす。子胥諫めて曰わく、「不可なり。句践食に味を重ねず、死を弔い疾を問い、且つ能く人を用う。此の人死せずんば、必ず呉の患と為らん。今越は腹心の疾なり、斉は猶お疥癬のみ。而るに王越を先にせずして、乃ち務めて斉を伐つは、亦た謬らずや」と。呉王聴かず、斉を伐ち、大いに斉師を艾陵に敗り、遂に鄒魯の君と会して以て帰り、益々子胥の言を疏んず。其の後四年、呉将に復た北のかた斉を伐たんとす。越王句践子胥の謀を用い、乃ち其の衆を率いて以て呉を助け、重宝を以て太宰嚭に献遺す。太宰嚭既に数々越の賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚だし。日夜呉王の為に言を為す。王嚭の計を信用す。伍子胥諫めて曰わく、「夫れ越は、腹心の疾なり。今其の游辞偽詐を信じて斉を貪る、譬えば猶お石田のごとし、用うる所無し。盤庚に曰わく、『古人に顛越して恭ならざる有り』と。是れ商の興る所以なり。願わくは王斉を釈てて越を先にせよ。然らずんば、将に之を悔ゆるも及ぶ無からん」と。呉王聴かず、子胥をして斉に使いせしむ。子胥其の子に謂いて曰わく、「吾王を諫むるも、王吾を用いず、吾今呉の滅ぶるを見んとす。女呉と俱に亡ぶるは為す無きなり」と。乃ち其の子を斉の鮑氏に属して帰りて呉王に報ず。太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰わく、「子胥の人と為り、剛暴少恩、其の怨望猜賊にして禍を為すなり。深く前日王斉を伐たんと欲するに、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り、子胥計謀用いられずして、乃ち反りて怨望す。今王又復た斉を伐たんとするに、子胥専愎強諫し、用事を沮毀す。呉の敗るるを徼幸し、以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫めて用いられず、因りて輟して佯病して行かず。王備えざるべからず。此れ禍を起こすこと難からず。且つ臣人をして微かに之を伺わしむるに、其の斉に使いするや、乃ち其の子を鮑氏に属せり。夫れ人臣内に意を得ずして、外諸侯に交わるは、自ら先王の謀臣を以て、今用いられずして、常に怏怏たり。願わくは王早く之を図れ」と。呉王曰わく、「子の言無くんば、吾も亦た之を疑わん」と。乃ち使いをして子胥に属鏤の剣を賜わしめて曰わく、「子此を以て死せよ」と。子胥曰わく、「嗟乎、讒臣宰嚭乱を為す、王顧りて反りて我を誅す。我若の父をして覇たらしめ、又若を立つるに時なり。諸子弟立を争いしとき、我死を以て先王に争い、幾ど立つを得ざりき。若既に立つに及び、呉国を分かちて我に与えんと欲せしも、我顧りて敢えて当らず。然るに若、何ぞ讒臣の長者を殺すを聴くに之けるや」と。乃ち舎人に告げて曰わく、「必ず吾が墓上に樹うるに梓を以てし、器と為すべからしめ、而して吾が眼を抉りて之を呉の東門に著け、以て越寇の呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自ら刺し殺す。呉王之を聞きて大いに怒り、乃ち子胥の屍を取り、鴟夷革を以て盛り、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐れみ、乃ち祠を江上に立て、因りて名づけて胥山と曰う。後十余年、越呉を襲い、呉王還りて与に戦うも勝たず、大夫をして越に行成せしむるも許されず。呉王将に死せんとして曰わく、「吾子胥の言を用いざるを以て此に至れり。死者知る無くんば則ち已みなん。死者知る有らば、吾何の面目を以て子胥に見えんや」と。遂に絮を蒙りて面を覆いて自ら刎ず。
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説苑・權謀吳王夫差越を破り、又た陳を伐たんとす。楚の大夫皆懼れて曰く、「昔闔廬能く其の衆を用ゐ、故に我を柏舉に破れり。今聞く夫差又た甚しと」と。子西曰く、「二三子、睦まざるを恤へよ、吳を患ふること無かれ。昔闔廬は食ふに味を貳せず、處るに席を重ねず、擇びて費を取らず。國に在りては、天災あれば親戚の乏困する者に之を供す。軍に在りては、食の熟する者半ばにして後に食す。其の嘗むる所の者は、卒乘必ず與る。是を以て民罷勞せず、死して曠しからざるを知る。今夫差は、次に臺榭陂池有り、宿に妃嬙嬪御有り。一日の行、欲する所必ず成し、玩好必ず從へ、珍異是れ聚む。夫差先づ自ら己を敗る、焉んぞ能く我を敗らんや」と。
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史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。