史記 / 伍子胥列伝
後五年、伐越。越王句踐迎擊、敗吳於姑蘇、傷闔廬指、軍卻。闔廬病創將死、謂太子夫差曰、爾忘句踐殺爾父乎。夫差對曰、不敢忘。是夕、闔廬死。夫差既立為王、以伯嚭為太宰、習戰射。二年後伐越、敗越於夫湫。越王句踐乃以餘兵五千人棲於會稽之上、使大夫種厚幣遺吳太宰嚭以請和、求委國為臣妾。吳王將許之。伍子胥諫曰、越王為人能辛苦。今王不滅、後必悔之。吳王不聽、用太宰嚭計、與越平。
新字:後五年、伐越。越王句践迎撃、敗呉於姑蘇、傷闔廬指、軍却。闔廬病創将死、謂太子夫差曰、爾忘句践殺爾父乎。夫差対曰、不敢忘。是夕、闔廬死。夫差既立為王、以伯嚭為太宰、習戦射。二年後伐越、敗越於夫湫。越王句践乃以余兵五千人棲於会稽之上、使大夫種厚幣遺呉太宰嚭以請和、求委国為臣妾。呉王将許之。伍子胥諫曰、越王為人能辛苦。今王不滅、後必悔之。呉王不聴、用太宰嚭計、与越平。
書き下し
後五年、越を伐つ。越王句踐迎へ撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻く。闔廬創に病み将に死せんとして、太子夫差に謂ひて曰く、「爾、句踐の爾の父を殺ししを忘るるか」と。夫差対へて曰く、「敢て忘れじ」と。是の夕、闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習ふ。二年の後、越を伐ち、越を夫湫に敗る。越王句踐乃ち余兵五千人を以て会稽の上に棲み、大夫種をして幣を厚くし呉の太宰嚭に遺りて以て和を請ひ、国を委ねて臣妾と為らんことを求めしむ。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰く、「越王の人と為りは能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用ゐ、越と平らぐ。
現代語訳
五年後、呉は越を討った。越王句踐が迎え撃ち、呉を姑蘇で破って、闔廬の指に傷を負わせた。呉軍は退いた。闔廬は傷が悪化して死にかけ、太子夫差に言った。「お前は、句踐がお前の父を殺したことを忘れるか」。夫差は答えた。「決して忘れません」。その晩、闔廬は死んだ。夫差は即位して王となり、伯嚭を太宰に任じ、戦と弓射の訓練に励んだ。二年後、越を討ち、夫湫で越を破った。越王句踐は残兵五千人を率いて会稽山にたてこもり、大夫の種に多くの贈り物を持たせて呉の太宰嚭に贈り、和睦を請い、国を差し出して臣下となることを願い出た。呉王はこれを許そうとした。伍子胥は諫めて言った。「越王という人物は、苦労に耐えぬく男です。今ここで滅ぼしておかなければ、必ず後悔なさいます」。呉王は聞き入れず、太宰嚭の進言を用いて越と和睦した。
解説
この章句が説くこと
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『論語と算盤』仁義と富貴・金力悪用の実例あるいは取り扱い上の面倒があるので、正当なる売買の以外に、ごく軽微な何らかのことはあるかも知れないけれども、さきに発現した海軍収賄事件のような大仕掛けの罪悪は、いやしくも双方悪い考えが一致しなければ出来ぬ筈である。よし一方から賄賂を贈って来ても、一方がこれを受けぬと言えば仕方がない。また役人に不心得な者があって、婉曲にあるいは露骨に贈賄を促したとて、御用商人たる実業家が、自己の良心に省みて面目信用を大切に思う者ならば、必ずそんな要請には応じない筈である。やむを得ずばその取引を断っても、そんな罪悪は成立せぬようにすることが出来る筈である。私どもはしかあるべきものと固く信じている。
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