説苑 / 指武
春秋記國家存亡,以察來世,雖有廣土眾民,堅甲利兵,威猛之將,士卒不親附,不可以戰勝取功。晉侯獲於韓;楚子玉得臣敗於城濮;蔡不待敵而眾潰。故語曰:「文王不能使不附之民;先軫不能戰不教之卒;造父王良不能以弊車不作之馬,趨疾而致遠;羿逄蒙不能以枉矢弱弓,射遠中微;故強弱成敗之要,在乎附士卒,教習之而已。」
新字:春秋記国家存亡,以察来世,雖有広土眾民,堅甲利兵,威猛之将,士卒不親附,不可以戦勝取功。晉侯獲於韓;楚子玉得臣敗於城濮;蔡不待敵而眾潰。故語曰:「文王不能使不附之民;先軫不能戦不教之卒;造父王良不能以弊車不作之馬,趨疾而致遠;羿逄蒙不能以枉矢弱弓,射遠中微;故強弱成敗之要,在乎附士卒,教習之而已。」
書き下し
春秋國家の存亡を記し、以て來世を察せしむ、廣土眾民、堅甲利兵、威猛の將有りと雖も、士卒親附せざれば、以て戰いて勝ちを取る能わず。晉侯韓に獲われ、楚の子玉得臣城濮に敗れ、蔡は敵を待たずして眾潰ゆ。故に語に曰く、「文王は不附の民を使う能わず、先軫は不教の卒を戰わしむる能わず、造父・王良は弊車不作の馬を以て、疾に趨りて遠きを致す能わず、羿・逄蒙は枉矢弱弓を以て、遠きを射て微に中つる能わず、故に強弱成敗の要は、士卒を附け之を教習するに在るのみ」と。
現代語訳
春秋は国家の存亡を記録し、それによって後世に検討させようとした。広大な土地と多くの民、堅固な甲冑と鋭利な兵器、威猛な将軍を持っていたとしても、兵士たちが心から親しみなついていなければ、戦って勝利をつかむことはできない。晋の恵公は韓の戦いで捕虜となり、楚の子玉得臣は城濮の戦いで敗れ、蔡は敵を待つまでもなく軍が自壊した。だから言い伝えにいう、「文王でさえ、なつかない民を使うことはできず、先軫でさえ、教練されていない兵を戦わせることはできず、造父や王良のような名御者でも、壊れた車と鍛えられていない馬とでは速く走って遠くまで行き着くことはできず、羿や逄蒙のような名射手でも、曲がった矢と弱い弓とでは遠くにある微細な的を射当てることはできない。だから強弱成敗の要は、ただ兵士たちを心服させ、これをよく訓練することにあるのだ」と。
解説
この章句が説くこと
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説苑・指武內治未だ得ざれば、以て外を正すべからず、本惠未だ襲わざれば、以て末を制すべからず、是を以て春秋京師を先にして諸夏を後にし、諸華を先にして夷狄を後にす。周の惠王に及び、亂世に遭うを以て、先王の體を繼ぎて、強楚王を稱し、諸侯背叛す、先王の命を申べて、天下を一統せんと欲す。京師を廣養し、以て諸夏に及ぼし、諸夏以て夷狄に及ぼすを先にせず、內治未だ得ずして、忿れば則ち力を料らず、得失を權らず、兵を興して強楚を征す、師大いに敗れ、撙辱行われず、大いに天下の笑いと為る。幸いに齊の桓公に逢いて以て安尊を得たり、故に內治未だ得ざれば以て外を正すべからず、本惠未だ襲わざれば以て末を制すべからず。
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呂氏春秋・簡選①世に言有り。曰く、市人を驅りて之を戰わしむるも、以て人の厚祿教卒に勝つ可く、老弱罷民も、以て人の精士練材に勝つ可く、離散係累も、以て人の行陳整齊に勝つ可し。鋤櫌白梃も、以て人の長銚利兵に勝つ可し。此れ兵に通ぜざる者の論なり。今此に利劍有り、以て刺せば則ち中らず、以て撃てば則ち及ばざれば、惡劍と擇ぶこと無し。是が為に鬭うに因りて惡劍を用うるは則ち不可なり。精良を簡選し、兵械銛利なるも、之を發すること則ち時ならず、之を縱つも則ち當らざれば、惡卒と擇ぶこと無し。是が為に戰うに因りて惡卒を用うるは則ち不可なり。王子慶忌・陳年すら、猶ほ劍の利を欲するなり。精良を簡選し、兵械銛利にして、能將をして之を將いしむ。古者以て王者有り、以て霸者有り、湯・武・齊桓・晉文・吳の闔廬、是れなり。
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説苑・指武司馬法に曰く、「國大なりと雖も、戰を好めば必ず亡ぶ。天下安しと雖も、戰を忘るれば必ず危うし」と。易に曰く、「君子は以て戎器を除め、不虞を戒む」と。夫れ兵は玩ぶべからず、玩べば則ち威無し。兵は廢すべからず、廢すれば則ち寇を召く。昔呉王夫差戰を好みて亡び、徐偃王武無くして亦た滅ぶ。故に明王の國を制するや、上兵を玩ばず、下武を廢せず。易に曰く、「存して亡を忘れず、是を以て身安くして國家保つべきなり」と。
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説苑・尊賢周の威公甯子に問いて曰く、「士を取るに道有りや」と。対えて曰く、「有り。窮する者は之を達せしめ、亡ぶる者は之を存せしめ、廃する者は之を起こせば、四方の士は則ち四面より至る。窮する者達せず、亡ぶる者存せず、廃する者起こらざれば、四方の士は則ち四面より畔く。夫れ城固きも自ら守る能わず、兵利なるも自ら保つ能わず、士を得て之を失えば、必ず其の間有り。夫れ士存すれば則ち君尊く、士亡ぶれば則ち君卑し」と。周の武公曰く、「士壹に此くの如きか」と。対えて曰く、「君聞かざるか、夫れ楚の平王士有り、曰く楚傒胥丘・負客、王将に之を殺さんとし、出でて晋に亡ぐ。晋人之を用い、是れ城濮の戦いを為す。又士有り苗賁皇と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ鄢陵の戦いを為す。又士有り上解于と曰う、王将に之を殺さんとし、出でて晋に走る。晋人之を用い、是れ両棠の戦いを為す。又士有り伍子胥と曰う、王其の父兄を殺し、出でて呉に走る。闔閭之を用い、是に於いて師を興して郢を襲う。故に楚の大いに梁・鄭・宋・衛の君に罪を得るも、猶お未だ遽かに此に至らざるなり。此れ四たび其の士に罪を得て、三たび其の民の骨を暴し、一たび其の国を亡ぼす。此に由りて之を観れば、士存すれば則ち国存し、士亡ぶれば則ち国亡ぶ。子胥怒りて之を亡ぼし、申包胥怒りて之を存す。士胡ぞ貴からざるべけんや」と。
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説苑・尊賢春秋の時、天子微弱にして、諸侯力を政め、皆叛きて朝せず。衆は寡を暴し、強は弱を劫かし、南夷と北狄と交々侵し、中国の絶えざること線のごとし。桓公是に於いて管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・甯戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘い、卒に荊蛮を脅し、以て周室を尊び、諸侯に霸たり。晋の文公は咎犯・先軫・陽処父を用い、中国を強くし、強楚を敗り、諸侯を合わせ、天子に朝し、以て周室を顕す。楚の荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征し鄭に従い、強晋を敗り、天下に敵無し。秦の穆公は百里子・蹇叔子・王子廖及び由余を用い、雍州を拠有し、西戎を攘敗す。呉は延州萊季子を用い、翼州を并せ、威を雞父に揚ぐ。鄭の僖公は千乘の国を富有し、貴きこと諸侯たれども、義を治めて人心に順わず、臣に弑せらるる者は、先に賢を得ざればなり。簡公に至りて子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣除かれ、正臣進み、強楚を去り、中国を合わせ、国家安寧にして、二十余年、強楚の患い無し。故に虞に宮之奇有りて、晋の献公之が為に終夜寝ねず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に側席して坐す。賢者の厭難折衝を遠ざくればなり。夫れ宋の襄公は公子目夷の言を用いず、大いに楚に辱めらる。曹は僖負羈の諫めを用いず、戎に敗死す。故に共に五始の要、治乱の端を惟うに、己を審らかにして賢に任ずるに在り。国家の賢に任じて吉なり、不肖に任じて凶なるは、往世を案じて己の事を視るに、其れ必然なり、符を合するがごとし。此れ人君たる者、慎まざるべからざるなり。国家惛乱にして良臣見わる。魯国大いに乱れ、季友の賢見わる。僖公即位して季子に任じ、魯国安寧にして、外内憂い無く、行政二十一年、季子の卒するの後、邾其の南を撃ち、斉其の北を伐ち、魯其の患いに勝えず、将に師を楚に乞いて以て全きを取らんとするのみ。故に伝に曰く、患いの起こるは必ず此れより始まると。公子買をして衛に戍らしむべからず、公子遂は君命を聴かずして擅に晋に之く、内は臣下に侵され、外は兵乱に困しむ、弱の患いなり。僖公の性、前二十一年常に賢なるに非ずして、後乃ち漸く変じて不肖と為るに非ず、此れ季子の存する所の益、亡ぶる所の損なり。夫れ賢を得、賢を失うこと、其の損益の験此くのごとし。而るに人主の用うる所に忽なる、甚だ疾痛むべきなり。夫れ智賢を見るに足らざるは、如何ともする無し。若し智能く之を見るも、強いて決する能わず、猶予して用いず、大は死亡し、小は乱傾す、此れ甚だ悲哀すべきなり。宋の殤公孔父の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ孔父死せば己必ず死せんことを知りて、趨りて之を救わん。趨りて之を救う者は、是れ其の賢を知ればなり。魯の荘公季子の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ疾死せんとして季子を召して之に国政を授けん。之に国政を授くる者は、是れ其の賢を知ればなり。此の二君賢を知り見る能くして皆用うる能わず、故に宋の殤公は殺されて死し、魯の荘公は賊嗣す。宋の殤をして蚤く孔父に任ぜしめ、魯の荘をして素より季子を用いしめば、乃ち将に隣国を靖んずべし、而るを況んや自ら存するをや。
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説苑・指武晉の智伯鄭を伐つ、齊の田恒之を救う、蓋を登るる有れば必ず身自ら立ち、車徒進まざる者有れば必ず之を助けしむ。壘合いて後に敢えて處り、井灶成りて後に敢えて食す。智伯曰く、「吾聞く田恒新たに國を得て其の民を愛し、內は其の財を同じくし、外は其の勤勞を同じくす、軍を治むること此くの如し、其の眾を得ること、待つべからざるなり」と。乃ち之を去るのみ。