塩鉄論 / 和親篇
大夫曰:「昔徐偃王行義而滅、魯哀公好儒而削。知文而不知武、知一而不知二。故君子篤仁以行、然必築城以自守、設械以自備、為不仁者之害己也。是以古者、搜狝振旅而數軍實焉、恐民之愉佚而亡戒難。故兵革者國之用、城壘者國之固也、而欲罷之、是去表見裏、示匈奴心腹也。匈奴輕舉潛進、以襲空虛、是猶不介而當矢石之蹊、禍必不振。此邊境之所懼、而有司之所憂也。」
新字:大夫曰:「昔徐偃王行義而滅、魯哀公好儒而削。知文而不知武、知一而不知二。故君子篤仁以行、然必築城以自守、設械以自備、為不仁者之害己也。是以古者、捜狝振旅而数軍実焉、恐民之愉佚而亡戒難。故兵革者国之用、城塁者国之固也、而欲罷之、是去表見裏、示匈奴心腹也。匈奴軽舉潜進、以襲空虚、是猶不介而当矢石之蹊、禍必不振。此辺境之所懼、而有司之所憂也。」
書き下し
大夫曰く、昔、徐の偃王は義を行いて滅び、魯の哀公は儒を好みて削らる。文を知りて武を知らず、一を知りて二を知らざればなり。故に君子は仁に篤くして行う。然れども必ず城を築きて以て自ら守り、械を設けて以て自ら備う。不仁者の己を害するが為なり。是を以て古者、搜狝振旅して軍實を數う。民の愉佚して難に戒むるを亡うるを恐るればなり。故に兵革は國の用、城壘は國の固なり。而るに之を罷めんと欲するは、是れ表を去りて裏を見し、匈奴に心腹を示すなり。匈奴輕々しく舉がりて潛かに進み、以て空虛を襲わば、是れ猶お介せずして矢石の蹊に當たるがごとし。禍い必ず振わず。此れ邊境の懼るる所にして、有司の憂うる所なり。
現代語訳
大夫が言った。「昔、徐の偃王は義を行って滅び、魯の哀公は儒を好んで領地を削られた。文を知って武を知らず、一を知って二を知らなかったからだ。だから君子は仁に篤く行いながら、必ず城を築いて自らを守り、武具を備えて自らに備える。仁でない者が自分を害するからだ。だから古の人は狩りにかこつけて軍を整え、兵器や物資を数え上げた。民が安楽に流れて、難に対する戒めを失うことを恐れたのだ。兵と武具は国の用であり、城と塁は国の固めである。それを廃そうというのは、上着を脱いで下着を見せ、匈奴に腹の内を見せることだ。匈奴が身軽に起こってひそかに進み、空になったところを襲えば、それは鎧もつけずに矢と石の飛ぶ道に立つようなものだ。禍いは必ず持ちこたえられない。これが辺境の恐れるところであり、役人の憂えるところなのだ」
解説
この章句が説くこと
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