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説苑 / 至公

孔子為魯司寇,聽獄必師斷,敦敦然皆立,然後君子進曰:「某子以為何若,某子以為云云。」又曰:「某子以為何若,某子曰云云。」辯矣。然後君子幾當從某子云云乎,以君子之知,豈必待某子之云云,然後知所以斷獄哉?君子之敬讓也,文辭有可與人共之者,君子不獨有也。

新字:孔子為魯司寇,聴獄必師断,敦敦然皆立,然後君子進曰:「某子以為何若,某子以為云云。」又曰:「某子以為何若,某子曰云云。」弁矣。然後君子幾当従某子云云乎,以君子之知,豈必待某子之云云,然後知所以断獄哉?君子之敬譲也,文辞有可与人共之者,君子不独有也。

書き下し

孔子魯の司寇と為り、獄を聽くに必ず衆と斷ず、敦敦然として皆立ち、然る後に君子進みて曰く、「某子以て何如と為すか、某子以て云云と為す」と。又曰く、「某子以て何如と為すか、某子云云と曰う」と。辯ずるなり。然る後に君子幾んど當に某子の云云に從うべきかと、君子の知を以てすれば、豈に必ずしも某子の云云を待ちて、然る後に獄を斷ずる所以を知らんや。君子の敬讓なり、文辭人と共にすべき者有れば、君子獨り之を有せざるなり。

現代語訳

孔子は魯の司寇(法務長官)となり、訴訟の裁定に当たっては必ず皆と共に判断を下した。皆がうやうやしく立ち並び、その後に一人の君子(担当官)が進み出て言う、「某氏はどう考えるか」「某氏はこう考える」と。また言う、「某氏はどう考えるか」「某氏はこう言った」と。こうして議論を戦わせるのである。そうした後に、この君子(裁定を下す者)はほとんど某氏の意見に従うことになるのだが、この君子の知恵をもってすれば、どうして必ず某氏の言うことを待って初めて裁くべき理由が分かるということがあろうか(自分だけでも判断できるはずである)。それでもそうするのは、君子の敬い譲る姿勢であり、皆で共有すべき言論というものがある以上、君子は独りでそれを独占しないのである。

解説

孔子ほどの見識があれば、他者の意見を待たずとも正しい判断に至れたはずである。それでもあえて衆議を経て、他者の言葉を借りる形で結論を導いた姿勢は、能力の高さと謙譲の徳が矛盾しないことを示している。判断の正しさそのものよりも、その判断がどのように共有され、誰の言葉として語られるかに配慮する態度は、優れたリーダーほど自分の答えを一人で抱え込まず、合議のプロセスを尊重すべきだという教訓を伝える。正解を知っていても、それを独占せず衆知の形に仕立て直す謙虚さこそ、人望を集める鍵となる。

この章句が説くこと

孔子司寇敬譲

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