説苑 / 至公
吳王闔廬為伍子胥興師復讎於楚。子胥諫曰:「諸侯不為匹夫興師,且事君猶事父也,虧君之義,復父之讎,臣不為也。」於是止。其後因事而後復其父讎也,如子胥可謂不以公事趨私矣。
書き下し
呉王闔廬伍子胥の為に師を興して楚に讎を復せんとす。子胥諫めて曰く、「諸侯は匹夫の為に師を興さず、且つ君に事うるは猶お父に事うるがごとし、君の義を虧きて父の讎を復するは、臣為さざるなり」と。是に於て止む。其の後事に因りて後に其の父の讎を復するや、子胥の若きは公事を以て私に趨らずと謂うべし。
現代語訳
呉王闔廬は伍子胥のために軍を興し、楚に対して復讐しようとした。子胥は諫めて言った、「諸侯は一個人のために軍を興すものではありません。それに君に仕えることは父に仕えることと同じであります。君の義を損なってまで父の仇を討つようなことは、私にはできません」と。そこで王はこの出兵を取りやめた。その後、別の正当な機会に乗じて父の仇を討ったのだから、子胥のような態度こそ、公の事を私事のために利用しないと言えるだろう。
解説
父の仇討ちという私にとって最も切実な願いを叶える好機を目の前にしながら、伍子胥はそれが国家の軍事力を私的な目的のために動員することになると気づき、あえてこれを止めさせる。復讐そのものを諦めたわけではなく、後に正当な機会(呉と楚の国家間の戦争)を得て初めて本懐を遂げた点に、私情を封じるのではなく正しい手続きを待つという成熟した態度が表れている。組織のリソースを私的な目的のために動かせる立場にある者ほど、それを自制できるかどうかが問われるという教訓は、権限を持つ者への普遍的な戒めとなる。
この章句が説くこと
伍子胥公私分明復讎
関連する章句
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史記 伍子胥列伝之を久しくして、楚の平王、其の辺邑鐘離と呉の辺邑卑梁氏と俱に蠶し、両女子桑を争ひて相ひ攻むるを以て、乃ち大いに怒り、両国兵を挙げて相ひ伐つに至る。呉、公子光をして楚を伐たしめ、其の鐘離・居巣を抜きて帰る。伍子胥、呉王僚に説きて曰く、「楚破る可きなり。願はくは復た公子光を遣せ」と。公子光、呉王に謂ひて曰く、「彼の伍胥の父兄は楚に戮せらる、而して王に楚を伐つを勧むるは、以て自ら其の讎に報いんと欲するのみ。楚を伐つも未だ破る可からざるなり」と。伍胥、公子光に内志有りて、王を殺して自立せんと欲し、未だ外事を以て説く可からざるを知り、乃ち専諸を公子光に進め、退きて太子建の子の勝と野に耕す。
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『新序』善謀第九楚の平王伍子胥の父を殺す。子胥出亡し、弓を挾みて闔閭に干む。之を大とすること甚だし。勇にして是を爲すとし、而して師を興して楚を伐たんと欲す。子胥諫めて曰く、不可なり。臣之を聞く、君子は匹夫の爲に師を興さず、と。且つ君に事うるは猶お父に事うるがごときなり。君の義を虧きて、父の讎に復ゆるは、臣爲さざるなり、と。是に於いて止む。蔡の昭公楚に朝す。美裘有り。楚の令尹囊瓦之を求む。昭公予えず。是に於いて昭公を郢に拘す。數年にして后に之を歸す。昭公漢水を濟り、璧を沈めて曰く、諸侯に楚を伐つ者有らば、寡人請う前列と爲らん、と。楚人之を聞きて怒り、是に於いて師を興して蔡を伐つ。蔡救いを吳に請う。子胥諫めて曰く、蔡は罪有るに非ざるなり。楚人無道なるなり。君若し中國を憂うるの心有らば、則ち此の時の若きは可なり、と。是に於いて師を興して楚を伐ち、遂に楚人を栢舉に敗りて覇道を成す。子胥の謀なり。故に春秋美として之を襃む。
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説苑・正諫呉、伍子胥・孫武の謀を以て、西のかた強楚を破り、北のかた斉晋を威し、南のかた越を伐つ。越王句践之を迎え撃ち、呉を姑蘇に敗り、闔廬の指を傷つく。軍卻き、闔廬太子夫差に謂いて曰わく、「爾句践の而の父を殺せしを忘れたるか」と。夫差対えて曰わく、「敢えて忘れじ」と。是の夕闔廬死す。夫差既に立ちて王と為り、伯嚭を以て太宰と為し、戦射を習い、三年にして越を伐ち、夫湫に敗る。越王句践乃ち兵五千人を以て会稽山上に棲み、大夫種をして厚幣もて呉の太宰嚭に遣わして以て和を請わしめ、国を委ねて臣妾と為さんとす。呉王将に之を許さんとす。伍子胥諫めて曰わく、「越王人と為り能く辛苦す。今王滅ぼさずんば、後必ず之を悔いん」と。呉王聴かず、太宰嚭の計を用いて越と平らぐ。其の後五年、呉王斉の景公死し、大臣寵を争うと聞き、新君弱しとして、乃ち師を興して北のかた斉を伐たんとす。子胥諫めて曰わく、「不可なり。句践食に味を重ねず、死を弔い疾を問い、且つ能く人を用う。此の人死せずんば、必ず呉の患と為らん。今越は腹心の疾なり、斉は猶お疥癬のみ。而るに王越を先にせずして、乃ち務めて斉を伐つは、亦た謬らずや」と。呉王聴かず、斉を伐ち、大いに斉師を艾陵に敗り、遂に鄒魯の君と会して以て帰り、益々子胥の言を疏んず。其の後四年、呉将に復た北のかた斉を伐たんとす。越王句践子胥の謀を用い、乃ち其の衆を率いて以て呉を助け、重宝を以て太宰嚭に献遺す。太宰嚭既に数々越の賂を受け、其の越を愛信すること殊に甚だし。日夜呉王の為に言を為す。王嚭の計を信用す。伍子胥諫めて曰わく、「夫れ越は、腹心の疾なり。今其の游辞偽詐を信じて斉を貪る、譬えば猶お石田のごとし、用うる所無し。盤庚に曰わく、『古人に顛越して恭ならざる有り』と。是れ商の興る所以なり。願わくは王斉を釈てて越を先にせよ。然らずんば、将に之を悔ゆるも及ぶ無からん」と。呉王聴かず、子胥をして斉に使いせしむ。子胥其の子に謂いて曰わく、「吾王を諫むるも、王吾を用いず、吾今呉の滅ぶるを見んとす。女呉と俱に亡ぶるは為す無きなり」と。乃ち其の子を斉の鮑氏に属して帰りて呉王に報ず。太宰嚭既に子胥と隙有り、因りて讒して曰わく、「子胥の人と為り、剛暴少恩、其の怨望猜賊にして禍を為すなり。深く前日王斉を伐たんと欲するに、子胥以て不可と為すも、王卒に之を伐ちて大功有り、子胥計謀用いられずして、乃ち反りて怨望す。今王又復た斉を伐たんとするに、子胥専愎強諫し、用事を沮毀す。呉の敗るるを徼幸し、以て自ら其の計謀に勝たんとするのみ。今王自ら行き、国中の武力を悉くして以て斉を伐つに、子胥諫めて用いられず、因りて輟して佯病して行かず。王備えざるべからず。此れ禍を起こすこと難からず。且つ臣人をして微かに之を伺わしむるに、其の斉に使いするや、乃ち其の子を鮑氏に属せり。夫れ人臣内に意を得ずして、外諸侯に交わるは、自ら先王の謀臣を以て、今用いられずして、常に怏怏たり。願わくは王早く之を図れ」と。呉王曰わく、「子の言無くんば、吾も亦た之を疑わん」と。乃ち使いをして子胥に属鏤の剣を賜わしめて曰わく、「子此を以て死せよ」と。子胥曰わく、「嗟乎、讒臣宰嚭乱を為す、王顧りて反りて我を誅す。我若の父をして覇たらしめ、又若を立つるに時なり。諸子弟立を争いしとき、我死を以て先王に争い、幾ど立つを得ざりき。若既に立つに及び、呉国を分かちて我に与えんと欲せしも、我顧りて敢えて当らず。然るに若、何ぞ讒臣の長者を殺すを聴くに之けるや」と。乃ち舎人に告げて曰わく、「必ず吾が墓上に樹うるに梓を以てし、器と為すべからしめ、而して吾が眼を抉りて之を呉の東門に著け、以て越寇の呉を滅ぼすを観ん」と。乃ち自ら刺し殺す。呉王之を聞きて大いに怒り、乃ち子胥の屍を取り、鴟夷革を以て盛り、之を江中に浮かぶ。呉人之を憐れみ、乃ち祠を江上に立て、因りて名づけて胥山と曰う。後十余年、越呉を襲い、呉王還りて与に戦うも勝たず、大夫をして越に行成せしむるも許されず。呉王将に死せんとして曰わく、「吾子胥の言を用いざるを以て此に至れり。死者知る無くんば則ち已みなん。死者知る有らば、吾何の面目を以て子胥に見えんや」と。遂に絮を蒙りて面を覆いて自ら刎ず。
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説苑・指武呉王闔廬荊人と柏舉に戰い、大いに之に勝ち、郢郊に至り、五たび荊人を敗る。闔廬の臣五人進みて諫めて曰く、「夫れ深く入り遠く報ゆるは、王の利に非ざるなり、王其れ返らんか」と。五將頭を鍥み、闔廬未だ之に應えず、五人の頭馬前に墜つ、闔廬懼れ、伍子胥を召して之に問う。子胥曰く、「五臣は懼るるなり。夫れ五敗の人は、其の懼るること甚だし、王姑く少しく進め」と。遂に郢に入り、南は江に至り、北は方城に至り、方三千里、皆楚に服せり。
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説苑・至公子胥將に呉に之かんとし、其の友申包胥に辭して曰く、「後三年、楚亡びずんば、吾子に見えざらん」と。申包胥曰く、「子其れ勉めよ、吾未だ以て子を助くべからず、子を助くるは是れ宗廟を伐つなり、子を止むるは以て友為ること無し。然りと雖も、子は之を亡ぼし、我は之を存す、是に於てか楚の一存一亡を觀んか」と。後三年、呉師楚を伐ち、昭王出走す、申包胥命を受けずして西のかた秦伯に見えて曰く、「呉道無く、兵強く人眾く、將に天下を征せんとし、楚に始まる。寡君出走し、雲夢に居り、下臣をして急を告げしむ」と。哀公曰く、「諾、吾固より將に之を圖らんとす」と。申包胥朝を罷めず、秦の庭に立ちて、晝夜哭し、七日七夜聲を絕たず。哀公曰く、「臣此くの如き有り、救わざるべけんや」と。師を興して楚を救う、呉人之を聞き、兵を引きて還る、昭王反り、復た申包胥に封ぜんと欲す、申包胥辭して曰く、「亡を救うは名の為にするに非ざるなり、功成りて賜を受くるは、是れ勇を賣るなり」と。辭して受けず、遂に退隱し、終身見えず。詩に云う、「凡そ民喪有れば、匍匐して之を救う」と。
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呂氏春秋・首時②伍子胥、吳王に見えんと欲すれども得ず。客に之を王子光に言う者有り。之を見て、其の貌を惡み、其の説を聽かずして之を辭す。客之を王子光に請う。王子光曰く、「其の貌適々吾の甚だしく惡む所なり。」客以て伍子胥に聞す。伍子胥曰く、「此れ易き故なり。願わくは王子をして堂上に居らしめ、重帷よりして其の衣若しくは手を見て、因りて之に説かんことを請う。」王子許す。伍子胥之を説くこと半、王子光帷を舉げて、其の手を搏りて之と坐す。説き畢りて、王子光大いに説ぶ。伍子胥以為らく、呉國を有つ者は必ず王子光ならんと。退きて野に耕すこと七年。王子光、呉王僚に代わりて王と為るや、子胥に任ず。子胥乃ち法制を修め、賢良に下り、練士を選び、戰鬭を習わしむること六年。然る後大いに楚に柏舉に勝ち、九たび戰いて九たび勝ち、北ぐるを追うこと千里、昭王出でて隨に奔る。遂に郢を有ち、親ら王宮を射、荊の平の墳を鞭うつこと三百。嚮の耕せるは、其の父の讎を忘るるに非ざるなり。時を待てるなり。