説苑 / 至公
晉文公問於咎犯曰:「誰可使為西河守者?」咎犯對曰:「虞子羔可也。」公曰:「非汝之讎也?」對曰:「君問可為守者,非問臣之讎也。」羔見咎犯而謝之曰:「幸赦臣之過,薦之於君,得為西河守。」咎犯曰:「薦子者公也,怨子者私也,吾不以私事害公事,子其去矣,顧吾射子也!」
新字:晋文公問於咎犯曰:「誰可使為西河守者?」咎犯対曰:「虞子羔可也。」公曰:「非汝之讎也?」対曰:「君問可為守者,非問臣之讎也。」羔見咎犯而謝之曰:「幸赦臣之過,薦之於君,得為西河守。」咎犯曰:「薦子者公也,怨子者私也,吾不以私事害公事,子其去矣,顧吾射子也!」
書き下し
晉の文公咎犯に問いて曰く、「誰か西河の守と為すべき者ぞ」と。咎犯對えて曰く、「虞子羔可なり」と。公曰く、「汝の讎に非ずや」と。對えて曰く、「君守と為すべき者を問う、臣の讎を問うに非ざるなり」と。羔咎犯に見えて之に謝して曰く、「幸いに臣の過を赦し、之を君に薦め、西河の守と為るを得たり」と。咎犯曰く、「子を薦むる者は公なり、子を怨む者は私なり、吾私を以て公事を害せず、子其れ去れ、吾子を射るを顧みん」と。
現代語訳
晋の文公が咎犯に尋ねた、「誰を西河の太守にすべきか」と。咎犯は答えた、「虞子羔がよろしいでしょう」と。文公は「彼はお前の仇ではないか」と言った。咎犯は答えた、「殿は太守にすべき者を尋ねられたのであって、私の仇を尋ねられたのではありません」と。子羔は咎犯に会って礼を述べて言った、「幸いにも私の過ちをお許しくださり、殿に推薦してくださったおかげで、西河の太守になることができました」と。咎犯は言った、「そなたを推薦したのは公の立場からであり、そなたを恨んでいるのは私の感情からだ。私は私情によって公務を害することはしない。そなたはもう去るがよい、私はまだそなたを弓で射てやろうと思っているのだから」と。
解説

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