説苑 / 善說
晉平公問於師曠曰:「咎犯與趙衰孰賢?」對曰:「陽處父欲臣文公,因咎犯,三年不達,因趙衰,三日而達。智不知其士眾,不智也;知而不言,不忠也;欲言之而不敢,無勇也;言之而不聽,不賢也。」
新字:晉平公問於師曠曰:「咎犯与趙衰孰賢?」対曰:「陽処父欲臣文公,因咎犯,三年不達,因趙衰,三日而達。智不知其士眾,不智也;知而不言,不忠也;欲言之而不敢,無勇也;言之而不聴,不賢也。」
書き下し
晉の平公師曠に問いて曰く、「咎犯と趙衰と孰れか賢なる。」對えて曰く、「陽處父文公に臣たらんと欲し、咎犯に因るに、三年達せず、趙衰に因るに、三日にして達す。智其の士衆を知らざるは、不智なり。知りて言わざるは、不忠なり。之を言わんと欲して敢えてせざるは、無勇なり。之を言いて聽かれざるは、不賢なり。」
現代語訳
晋の平公が師曠に尋ねた。『咎犯と趙衰とでは、どちらが賢いか。』師曠は答えた。『陽処父が文公に仕官しようとして、咎犯を頼ったところ、三年たっても取り次いでもらえませんでした。ところが趙衰を頼ったところ、三日で取り次がれました。もし咎犯が優れた人物を知らなかったのなら、それは智恵がないということです。知っていながら言わなかったのなら、それは忠実でないということです。言おうとしても言い出せなかったのなら、それは勇気がないということです。言ったのに聞き入れられなかったのなら、それは咎犯自身に賢明さが欠けていたということです。』
解説
師曠は「咎犯と趙衰、どちらが賢いか」という単純な問いに対し、陽処父の仕官の遅速という具体的な事実から出発し、考えうる原因を「知らない・言わない・言えない・聞かれない」と四通りに場合分けして、どの場合であっても咎犯に何らかの欠点があったと結論づける論法を用いた。抽象的な人物評を直接論じるのではなく、観察可能な結果から逆算して、あらゆる可能性を排除法で検証する思考の型は、根拠のない印象論に陥りがちな人物評価に対する、論理的なアプローチの手本となる。
この章句が説くこと
人物評価論理推論
関連する章句
-
説苑・至公晉の文公咎犯に問いて曰く、「誰か西河の守と為すべき者ぞ」と。咎犯對えて曰く、「虞子羔可なり」と。公曰く、「汝の讎に非ずや」と。對えて曰く、「君守と為すべき者を問う、臣の讎を問うに非ざるなり」と。羔咎犯に見えて之に謝して曰く、「幸いに臣の過を赦し、之を君に薦め、西河の守と為るを得たり」と。咎犯曰く、「子を薦むる者は公なり、子を怨む者は私なり、吾私を以て公事を害せず、子其れ去れ、吾子を射るを顧みん」と。
-
説苑・正諫晋の平公、楽を好み、其の賦斂を多くし、下に城郭を治めしめて曰わく、「敢えて諫むる者有らば死せしめん」と。国人之を憂う。咎犯なる者有り、門大夫に見えて曰わく、「臣聞く、主君楽を好むと。故に楽を以て見えんとす」と。門大夫入りて言いて曰わく、「晋人咎犯なり。楽を以て見えんと欲す」と。平公曰わく、「之を内れよ」と。止まりて殿上に坐す。則ち鐘磬竽瑟を出だす。坐すこと頃く有り。平公曰わく、「客子楽を為すか」と。咎犯対えて曰わく、「臣楽を為す能わず、臣隠を善くす」と。平公隠士十二人を召す。咎犯曰わく、「隠臣竊かに昧死を顧みて御せん」と。平公諾す。咎犯其の左臂を申べて五指を詘む。平公隠官に問いて曰わく、「之を占うに何と為すか」と。隠官皆曰わく、「知らず」と。平公曰わく、「之を帰せ」と。咎犯則ち其の一指を申べて曰わく、「是れ一なり。遊びを便にして赭を尽くし城闕を峻くす。二なり。柱梁繡を衣て、士民褐無し。三なり。侏儒余酒有りて、死士渴す。四なり。民に飢色有りて、馬に栗秩有り。五なり。近臣敢えて諫めず、遠臣敢えて達せず」と。平公曰わく善しと。乃ち鐘鼓を屏け、竽瑟を除き、遂に咎犯と国を治むるに参ず。
-
説苑・尊賢楊因趙の簡主に見えて曰く、「臣郷に居りて三たび逐われ、君に事えて五たび去らる。君の士を好むを聞き、故に走せ来たりて見ゆ」と。簡主之を聞き、食を絶ちて歎じ、跽きて行く。左右諫めて曰く、「郷に居りて三たび逐わるは、是れ衆に容れられざるなり。君に事えて五たび去らるは、是れ上に忠ならざるなり。今君士有るの人を過ぐるを見ゆ」と。簡主曰く、「子知らざるなり。夫れ美女は、醜婦の仇なり。盛徳の士は、乱世の疏んずる所なり。正直の行いは、邪枉の憎む所なり」と。遂に出でて之に見え、因りて授くるに相を以てし、国大いに治まる。是に由りて之を観れば、遠近の人、以て察せざるべからざるなり。
-
説苑・善說趙簡子成摶に問いて曰く、「吾聞く夫の羊殖なる者は賢大夫なりと、是の行い奚如。」對えて曰く、「臣摶知らざるなり。」簡子曰く、「吾之を聞くに子友として親しむと。子にして知らざるは何ぞや。」摶曰く、「其の人と爲りや數々變ず。其の十五なるや、廉にして以て其の過ちを匿さず。其の二十なるや、仁にして以て義を喜ぶ。其の三十なるや、晉の中軍尉と爲り、勇にして以て仁を喜ぶ。其の年五十なるや、邊城の將と爲り、遠き者復た親しむ。今臣見ざること五年なり。其の變ぜんことを恐る、是を以て敢えて知らざるなり。」簡子曰く、「果たして賢大夫なり、變ずる每に上を益す。」
-
説苑・權謀孔子漆雕馬人に問ひて曰く、「子臧文仲・武仲・孺子容に事ふ。三大夫の者、孰か賢と爲す」と。漆雕馬人對へて曰く、「臧氏の家に龜有り、名づけて蔡と曰ふ。文仲立ちて三年に一兆を爲し、武仲立ちて三年に二兆を爲し、孺子容立ちて三年に三兆を爲す。馬人之を立つるのみ。夫の三大夫の賢不賢に至りては、馬人識らざるなり」と。孔子曰く、「君子なる哉、漆雕氏の子。其の人の美を言ふや、隱にして顯なり。其の人の過を言ふや、微にして著なり。故に智も及ぶ能はず、明も見る能はず、數〻卜すること無きを得んや」と。
-
『淮南子』脩務訓昔 晉の平公 官をして鍾を爲らしむ。鍾 成りて、師曠に示す。師曠曰く「鍾の音 調わず」と。平公曰く「寡人 以て工に示すに、工 皆な以て調うと爲す。而るに以て調わずと爲すは、何ぞや」と。師曠曰く「後世をして音を知る者無からしめば則ち已む。若し音を知る者有らば、必ず鍾の調わざるを知らん」と。故に師曠の善く鍾を調えんと欲するは、以て後の音を知る者有るが爲なり。三代 我と行を同じくし、五伯 我と智を齊しくす。彼 獨り聖智の實有りて、我 曾て閭裏の聞、窮巷の知有る無き者は何ぞ。彼は身を並べて節を立て、我は誕謾にして悠忽なればなり。