説苑 / 至公
孔子生於亂世,莫之能容也。故言行於君,澤加於民,然後仕。言不行於君,澤不加於民則處。孔子懷天覆之心,挾仁聖之德,憫時俗之汙泥,傷紀綱之廢壞,服重歷遠,周流應聘,乃俟幸施道以子百姓,而當世諸侯莫能任用,是以德積而不肆,大道屈而不伸,海內不蒙其化,群生不被其恩,故喟然而歎曰:「而有用我者,則吾其為東周乎!」故孔子行說,非欲私身,運德於一城,將欲舒之於天下,而建之於群生者耳。
新字:孔子生於乱世,莫之能容也。故言行於君,沢加於民,然後仕。言不行於君,沢不加於民則処。孔子懐天覆之心,挟仁聖之徳,憫時俗之汙泥,傷紀綱之廃壊,服重歴遠,周流応聘,乃俟幸施道以子百姓,而当世諸侯莫能任用,是以徳積而不肆,大道屈而不伸,海内不蒙其化,群生不被其恩,故喟然而嘆曰:「而有用我者,則吾其為東周乎!」故孔子行説,非欲私身,運徳於一城,将欲舒之於天下,而建之於群生者耳。
書き下し
孔子亂世に生まれ、之を能く容るる莫し。故に言君に行われ、澤民に加わりて、然る後に仕う。言君に行われず、澤民に加わらざれば則ち處る。孔子天覆うの心を懷き、仁聖の德を挾み、時俗の汙泥を憫れみ、紀綱の廢壞を傷み、重きを服し遠きを歷て、周流應聘し、乃ち幸いに道を施して以て百姓を子とせんことを俟つも、當世の諸侯能く任用する莫し、是を以て德積みて肆にせず、大道屈して伸びず、海內其の化を蒙らず、群生其の恩を被らず、故に喟然として歎じて曰く、「而し我を用うる者有らば、則ち吾其れ東周を為さんか」と。故に孔子行說するは、身を私せんと欲するに非ず、德を一城に運び、將に之を天下に舒べ、之を群生に建てんと欲するのみ。
現代語訳
孔子は乱世に生まれ、世の中は彼を受け入れることができなかった。だから自分の言葉が君主に行われ、恩恵が民に及んで初めて仕官し、言葉が君主に行われず、恩恵が民に及ばなければ隠棲した。孔子は天が万物を覆うような心を抱き、仁聖の徳を身に備え、時世の汚れを憐れみ、綱紀の崩壊を悲しみ、重い荷を背負って遠方まで旅をし、諸国を巡って招聘に応じ、幸いにも自分の道を実現して民を我が子のように慈しむ機会を待ち望んだが、当時の諸侯の誰一人として彼を用いる者はなかった。そのため徳は積もっても発揮されず、大いなる道は屈して伸びず、天下はその教化を受けず、万民はその恩恵を被ることがなかった。だから嘆息して言った、「もし私を用いる者があれば、私はこの国を東の周としてみせよう」と。だから孔子が遊説して回ったのは、自分の身を利するためではなく、徳をまず一つの城邑に行き渡らせ、それを天下に押し広め、万民のために打ち立てようとしただけなのである。
解説
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説苑・至公夫子七十餘の諸侯に行說して定處無く、意天下の民をして各々其の所を得しめんと欲するも、道行われず。退きて春秋を修め、毫毛の善を采り、纖介の惡を貶し、人事浹く、王道備わり、精和聖制、上天に通じて麟至る、此れ天の夫子を知るなり。是に於て喟然として歎じて曰く、「天は至明を以て蔽うべからずと為すか、日何為れぞ食するや。地は至安を以て危うくすべからずと為すか、地何為れぞ動くや」と。天地尚お動蔽有り、是の故に賢聖世に說ばれずして其の道を行うを得ず、故に災異並び作るなり。夫子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下學して上達す、我を知る者は其れ天か」と。
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『塩鉄論』大論篇文學曰く、孔子は亂世に生まれ、堯・舜の道を思い、東西南北し、頭を灼き足を濡らす。庶幾わくは世主の悟らんことをと。悠悠たる者は皆な是れなり。君は闇く、大夫は妒む。孰か合えて媒有らん。是を以て嫫母は姿を飾りて矜誇し、西子は仿徨して家無し。窮厄して用いられざるを知らざるに非ず、天下の禍を悼痛すること、猶お慈母の死子に伏するがごとし。其の如何ともす可からざるを知る、然れども已むを惡めばなり。故に齊に適けば、景公之を欺き、衛に適けば、靈公圍み、陽虎之を謗り、桓魋之を害す。夫れ聖人を欺き害する者は、愚惑なり。聖人を傷毀する者は、狂狡なり。狡惑の人は、人に非ざるなり。夫れ何の恥か之れ有らん。孟子曰く、「近臣を觀るには主とする所を以てし、遠臣を觀るには其の主とする所を以てす」と。聖人をして容を偽り茍合せしめ、行いを論ぜず友を擇ばざらしめば、則ち何を以て孔子と為さんや。
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説苑・雜言孔子曰く、「季孫の我に千鍾を賜いてより友益々親しみ、南宮項叔の我に車に乘らしめてより、道加々行わる。故に道は時有りて而る後に重んぜられ、勢有りて而る後に行わる。夫の二子の賜い微くんば、丘の道幾んど廃せんとせり」と。
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説苑・善說陳子梁王に說く。梁王說びて之を疑いて曰く、「子は何為れぞ陳侯の國を去りて、小國の孤に此こに教うるか。」陳子曰く、「夫れ善なるも亦た道有り、遇うも亦た時有り。昔傅說は褐を衣て劍を帶び、秕傳の城に築く。武丁夕に夢み、旦に之を得たり、時の王なり。寧戚は牛に飯い、康衢に車輻を擊ちて歌う。顧みて桓公に見えて之を得たり、時の霸なり。百里奚は自ら五羊の皮を賣り、秦人の虜と爲る。穆公之を得たり、時の強なり。論ずるに三子の行の若きは、未だ孔子の駿徒と爲るを得ざるなり。今孔子天下を經營するに、南に陳蔡の阨有りて、北に景公を干む。二たび坐し五たび立つも、未だ嘗て離れず。孔子の時行われずして、景公の時怠るなり。孔子の聖を以て、時を以て行わるること能わず。說の怠るは、亦た獨り能く之を如何せんや。」
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の間に困しみ、環堵の内に居り、三経の席を席とし、七日食らわず、藜羹に糝せず、弟子皆饑色有れども、詩書を読み礼を治めて休まず。子路進み諫めて曰く、「凡そ人の善を為す者は天福を以て報い、不善を為す者は天禍を以て報ゆ。今先生徳行を積み、善を為すこと久し。意うに尚お遺行有るか。奚ぞ居ること隠るるや」と。孔子曰く、「由よ、来たれ、汝知らざるなり。坐せよ、吾汝に語らん。子は夫の知者を以て知らざる無しと為すか。則ち王子比干は何為れぞ心を剖かれて死せる。諫むる者を以て必ず聴かると為すか。伍子胥は何為れぞ目を呉の東門に抉らる。子は廉なる者を以て必ず用いらると為すか。伯夷・叔齊は何為れぞ首陽山の下に餓死せる。子は忠なる者を以て必ず用いらると為すか。則ち鮑莊は何為れぞ肉枯る。荊の公子高は終身顕れず、鮑焦は木を抱きて立ちながら枯れ、介子推は山に登りて焚かれて死す。故に夫れ君子の博学深謀にして時に遇わざる者衆し、豈に独り丘のみならんや。賢と不肖とは才なり、為すと為さざるとは人なり、遇うと遇わざるとは時なり、死生は命なり。其の才有りて其の時に遇わざれば、才有りと雖も用いられず。苟くも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に舜は歴山を耕して河畔に逃れしも、立ちて天子と為れるは、則ち其の堯に遇えばなり。傅說は壌土を負い板築を釈きしも、立ちて天子を佐けしは、則ち其の武丁に遇えばなり。伊尹は有莘氏の媵臣なりしも、鼎俎を負い五味を調して天子を佐けしは、則ち其の成湯に遇えばなり。呂望は行年五十にして棘津に食を売り、行年七十にして牛を朝歌に屠り、行年九十にして天子の師と為りしは、則ち其の文王に遇えばなり。管夷吾は束縛せられ目を膠がれ、檻車の中に居りしも、車中より起ちて仲父と為りしは、則ち其の齊桓公に遇えばなり。百里奚は自ら売りて五羊の皮を取り、伯氏羊を牧わしめしも、以て卿大夫と為りしは、則ち其の秦穆公に遇えばなり。沈尹は名天下に聞こえ、以て令尹と為すべきも、孫叔敖に讓りしは、則ち其の楚莊王に遇えばなり。伍子胥は前に功多く、後に戮死せしは、其の智の益々衰えたるに非ず、前には闔廬に遇い、後には夫差に遇えばなり。夫れ驥の鹽車に厄しむは、驥の状無きに非ず、夫れ世能く知る莫ければなり。驥をして王良・造父を得しめば、驥に千里の足無からんや。芝蘭は深林に生ずるも、人無きが為に香らざるに非ず。故に学ぶ者は通ぜんが為に非ず、窮しても困しまざらんが為なり、憂えても衰えざらんが為なり。此れ禍福の始めを知りて心惑わざるなり、聖人の深く念いて独り知り独り見る所なり。舜も亦賢聖なるも、南面して天下を治めしは、唯だ其の堯に遇えばなり。舜をして桀紂の世に居らしめば、能く自ら刑戮を免るるは固に可なるも、又何の官か治むるを得ん。夫れ桀は関龍逄を殺し、紂は王子比干を殺す。是の時に当たりて、豈に関龍逄知無く、比干惠無からんや。此れ桀紂無道の世の然らしむるなり。故に君子は学を疾しみ身を修め行いを端して、以て其の時を須つなり」と。
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説苑・雜言楚の昭王、孔子を召し、将に執政たらしめて書社七百を以て封ぜんとす。子西楚王に謂いて曰く、「王の臣、兵を用うること子路の如き者有りや。諸侯に使いすること宰予の如き者有りや。五官を長とすること子貢の如き者有りや。昔、文王は酆に処り、武王は鎬に処りて百乗の地を間にし、上を伐ち主を殺して立ちて天子と為るや、世皆聖と曰う。王今孔子の賢を以て書社七百里の地を有し、三子之を佐くれば、楚の利に非ざるなり」と。楚王遂に止む。夫れ善悪の分かち難きや、聖人独り疑いを見る、況んや賢者に於いてをや。是を以て賢聖合すること罕にして、諂諛常に興る。故に千歳の乱有りて百歳の治無し。孔子の疑いを見らるる、豈に痛ましからずや。