説苑 / 善說
陳子說梁王,梁王說而疑之曰:「子何為去陳侯之國而教小國之孤於此乎?」陳子曰:「夫善亦有道,而遇亦有時,昔傅說衣褐帶劍,而築於秕傳之城,武丁夕夢,旦得之,時王也;寧戚飯牛,康衢擊車輻而歌,顧見桓公得之,時霸也;百里奚自賣五羊之皮,為秦人虜,穆公得之,時強也。論若三子之行,未得為孔子駿徒也。今孔子經營天下,南有陳蔡之阨,而北干景公,二坐而五立,未嘗離也。孔子之時不行,而景公之時怠也。以孔子之聖,不能以時行,說之怠,亦獨能如之何乎?」
新字:陳子説梁王,梁王説而疑之曰:「子何為去陳侯之国而教小国之孤於此乎?」陳子曰:「夫善亦有道,而遇亦有時,昔傅説衣褐帯剣,而築於秕伝之城,武丁夕夢,旦得之,時王也;寧戚飯牛,康衢擊車輻而歌,顧見桓公得之,時覇也;百里奚自売五羊之皮,為秦人虜,穆公得之,時強也。論若三子之行,未得為孔子駿徒也。今孔子経営天下,南有陳蔡之阨,而北干景公,二坐而五立,未嘗離也。孔子之時不行,而景公之時怠也。以孔子之聖,不能以時行,説之怠,亦独能如之何乎?」
書き下し
陳子梁王に說く。梁王說びて之を疑いて曰く、「子は何為れぞ陳侯の國を去りて、小國の孤に此こに教うるか。」陳子曰く、「夫れ善なるも亦た道有り、遇うも亦た時有り。昔傅說は褐を衣て劍を帶び、秕傳の城に築く。武丁夕に夢み、旦に之を得たり、時の王なり。寧戚は牛に飯い、康衢に車輻を擊ちて歌う。顧みて桓公に見えて之を得たり、時の霸なり。百里奚は自ら五羊の皮を賣り、秦人の虜と爲る。穆公之を得たり、時の強なり。論ずるに三子の行の若きは、未だ孔子の駿徒と爲るを得ざるなり。今孔子天下を經營するに、南に陳蔡の阨有りて、北に景公を干む。二たび坐し五たび立つも、未だ嘗て離れず。孔子の時行われずして、景公の時怠るなり。孔子の聖を以て、時を以て行わるること能わず。說の怠るは、亦た獨り能く之を如何せんや。」
現代語訳
陳子は梁王に遊説した。梁王はその話を喜びつつも疑って言った。『あなたはなぜ陳侯の国を去って、この小国の孤児(私、幼い君主)に教えを説くのですか。』陳子は答えた。『そもそも善事にも道理があり、めぐり合わせにも時機があります。昔、傅説は粗末な衣を着て剣を帯び、秕伝の城壁で土木作業をしていました。武丁は夜に夢を見て、朝にはその人を見つけ出しました。これは時機に恵まれた王です。寧戚は牛を飼いながら、大通りで車の輻を叩いて歌っていました。桓公が振り返って彼を見出しました。これは時機に恵まれた覇者です。百里奚は自ら五枚の羊の皮で身を売り、秦人の捕虜となりました。穆公が彼を見出しました。これは時機に恵まれた強国です。この三人の行いを論じても、彼らはまだ孔子の弟子にすら及びません。しかし今、孔子は天下を経営しようとして、南では陳・蔡での苦難に遭い、北では景公に取り入ろうとしました。二度腰を落ち着け、五度立ち去っても、なお諦めませんでした。孔子の時機がめぐってこなかったのは、景公の側が怠慢だったからです。孔子ほどの聖人でさえ、時機に恵まれて用いられることはできませんでした。私の遊説がうまくいかないのも、独りでどうすることができましょうか。』
解説
この章句が説くこと
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の間に困しみ、環堵の内に居り、三経の席を席とし、七日食らわず、藜羹に糝せず、弟子皆饑色有れども、詩書を読み礼を治めて休まず。子路進み諫めて曰く、「凡そ人の善を為す者は天福を以て報い、不善を為す者は天禍を以て報ゆ。今先生徳行を積み、善を為すこと久し。意うに尚お遺行有るか。奚ぞ居ること隠るるや」と。孔子曰く、「由よ、来たれ、汝知らざるなり。坐せよ、吾汝に語らん。子は夫の知者を以て知らざる無しと為すか。則ち王子比干は何為れぞ心を剖かれて死せる。諫むる者を以て必ず聴かると為すか。伍子胥は何為れぞ目を呉の東門に抉らる。子は廉なる者を以て必ず用いらると為すか。伯夷・叔齊は何為れぞ首陽山の下に餓死せる。子は忠なる者を以て必ず用いらると為すか。則ち鮑莊は何為れぞ肉枯る。荊の公子高は終身顕れず、鮑焦は木を抱きて立ちながら枯れ、介子推は山に登りて焚かれて死す。故に夫れ君子の博学深謀にして時に遇わざる者衆し、豈に独り丘のみならんや。賢と不肖とは才なり、為すと為さざるとは人なり、遇うと遇わざるとは時なり、死生は命なり。其の才有りて其の時に遇わざれば、才有りと雖も用いられず。苟くも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に舜は歴山を耕して河畔に逃れしも、立ちて天子と為れるは、則ち其の堯に遇えばなり。傅說は壌土を負い板築を釈きしも、立ちて天子を佐けしは、則ち其の武丁に遇えばなり。伊尹は有莘氏の媵臣なりしも、鼎俎を負い五味を調して天子を佐けしは、則ち其の成湯に遇えばなり。呂望は行年五十にして棘津に食を売り、行年七十にして牛を朝歌に屠り、行年九十にして天子の師と為りしは、則ち其の文王に遇えばなり。管夷吾は束縛せられ目を膠がれ、檻車の中に居りしも、車中より起ちて仲父と為りしは、則ち其の齊桓公に遇えばなり。百里奚は自ら売りて五羊の皮を取り、伯氏羊を牧わしめしも、以て卿大夫と為りしは、則ち其の秦穆公に遇えばなり。沈尹は名天下に聞こえ、以て令尹と為すべきも、孫叔敖に讓りしは、則ち其の楚莊王に遇えばなり。伍子胥は前に功多く、後に戮死せしは、其の智の益々衰えたるに非ず、前には闔廬に遇い、後には夫差に遇えばなり。夫れ驥の鹽車に厄しむは、驥の状無きに非ず、夫れ世能く知る莫ければなり。驥をして王良・造父を得しめば、驥に千里の足無からんや。芝蘭は深林に生ずるも、人無きが為に香らざるに非ず。故に学ぶ者は通ぜんが為に非ず、窮しても困しまざらんが為なり、憂えても衰えざらんが為なり。此れ禍福の始めを知りて心惑わざるなり、聖人の深く念いて独り知り独り見る所なり。舜も亦賢聖なるも、南面して天下を治めしは、唯だ其の堯に遇えばなり。舜をして桀紂の世に居らしめば、能く自ら刑戮を免るるは固に可なるも、又何の官か治むるを得ん。夫れ桀は関龍逄を殺し、紂は王子比干を殺す。是の時に当たりて、豈に関龍逄知無く、比干惠無からんや。此れ桀紂無道の世の然らしむるなり。故に君子は学を疾しみ身を修め行いを端して、以て其の時を須つなり」と。
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荀子・宥坐篇孔子、南のかた楚に適(ゆ)き、陳・蔡の間に厄(やく)せらる。七日火食せず、藜羹(れいこう)に糝(さん)せず。弟子皆飢色有り。子路進みて之に問いて曰く、「由(ゆう)之を聞く、善を為す者は天之に報ゆるに福を以てし、不善を為す者は天之に報ゆるに禍を以てすと。今、夫子は徳を累(かさ)ね義を積み美を懐き、之を行うこと日久し。奚(なん)ぞ居ること之れ隠(くる)しきや」と。孔子曰く、「由、識(し)らず。吾女(なんじ)に語らん。女、知者を以て必ず用いらると為すか。王子比干(ひかん)は心を剖(さ)かれざりしか。女、忠者を以て必ず用いらると為すか。関龍逢(かんりょうほう)は刑せられざりしか。女、諫むる者を以て必ず用いらると為すか。呉の子胥(ししょ)は姑蘇の東門の外に磔(たく)せられざりしか。夫れ遇うと遇わざるとは、時なり。賢と不肖とは、材なり。君子博く学び深く謀るも、時に遇わざる者多し。是に由りて之を観れば、世に遇わざる者衆(おお)し。何ぞ独り丘のみならんや。且つ夫れ芷蘭(しらん)は深林に生ずるも、人無きを以て芳(かん)ばしからざるに非ず。君子の学は、通ずるが為に非ず。窮して困(くる)しまず、憂えて意の衰えざるが為なり。禍福終始を知りて心惑わざるが為なり。夫れ賢と不肖とは材なり。為すと為さざるとは人なり。遇うと遇わざるとは時なり。死と生とは命なり。今、其の人有るも、其の時に遇わざれば、賢と雖も其れ能く行われんや。苟(いや)しくも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に君子は博く学び深く謀り、身を修め行いを端(ただ)しくして、以て其の時を俟(ま)つ」と。孔子曰く、「由、居(お)れ、吾女に語らん。昔、晋の公子重耳(ちょうじ)の覇心は曹に生じ、越王句践(こうせん)の覇心は会稽に生じ、斉の桓公小白の覇心は莒(きょ)に生ず。故に居ること隠(くる)しからざる者は思い遠からず、身佚(やす)からざる者は志広からず。女、庸(なん)ぞ吾が之を桑落の下に得ざるを知らんや」と。
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孔子家語・在厄楚の昭王孔子を聘し、孔子往きて拝礼す。路陳・蔡に出づ。陳・蔡の大夫相い与に謀りて曰わく、「孔子聖賢にして、其の刺譏する所、皆諸侯の病に中る。若し楚に用いられなば、則ち陳・蔡危うし。」遂に徒兵をして孔子を距がしむ。孔子行くを得ず、糧を絶つこと七日。外通ずる所無く、藜羹充たず、従者皆病む。孔子愈々慷慨として講誦し、弦歌衰えず。乃ち子路を召して問いて曰わく、「詩に云う、『兕に匪ず虎に匪ず、彼の曠野に率う』と。吾が道非なるか、奚為れぞ此に至るや。」子路慍り、色を作して対えて曰わく、「君子は困しむ所無し。意うに夫子未だ仁ならざるか。人の吾を信ぜざるなり。意うに夫子未だ智ならざるか。人の吾を行かしめざるなり。且つ由や、昔者諸を夫子に聞く、『善を為す者、天之に報ゆるに福を以てし、不善を為す者、天之に報ゆるに禍を以てす』と。今夫子徳を積み義を懐き、之を行うこと久し。奚ぞ居の窮まるや。」子曰わく、「由よ、未だ之を識らざるなり。吾汝に語らん。汝仁者を以て、必ず信ぜらると為さば、則ち伯夷・叔斉首陽に餓死せず。汝智者を以て、必ず用いらると為さば、則ち王子比干心を剖かれず。汝忠者を以て、必ず報いらると為さば、則ち関竜逢刑せられず。汝諫者を以て、必ず聴かると為さば、則ち伍子胥殺されず。夫れ遇・不遇は時なり、賢・不肖は才なり。君子博く学び深く謀りて、時に遇わざる者、衆し。何ぞ独り丘のみならんや。且つ芝蘭は深林に生じ、人無きを以て芳しからざるにあらず。君子道を修め徳を立て、窮困を謂いて節を改むること無し。之を為す者は、人なり。生死は、命なり。是を以て晋の重耳の覇心有るは、曹・衛に生ず。越王勾践の覇心有るは、会稽に生ず。故に下に居りて憂い無き者は、則ち思い遠からず。身を処りて常に逸なる者は、則ち誌広からず。庸ぞ其の終始を知らんや。」
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の境に難に遭い、糧を絶つ。弟子皆饑色有り。孔子両柱の間に歌う。子路入りて見えて曰く、「夫子の歌うは、礼なるか」と。孔子応えず、曲終わりて曰く、「由よ、君子の楽しみを好むは驕り無からんが為なり、小人の楽しみを好むは懾れ無からんが為なり。其れ誰か之を知らん。子我を知らずして我に従う者か」と。子路悦ばず、干を援りて舞う。三たび終わりて出づ。七日に至るに及び、孔子楽を脩めて休まず。子路慍りて見えて曰く、「夫子の楽を脩むるは、時なるか」と。孔子応えず、楽終わりて曰く、「由よ、昔者、齊桓の霸心は莒に生じ、句踐の霸心は会稽に生じ、晉文の霸心は驪氏に生ず。故に居りて幽ならざれば、則ち思い遠からず。身約せられざれば則ち智広からず。庸んぞ知らんや之に遇わざるを」と。是に於いて興り、明日厄を免る。子貢轡を執りて曰く、「二三子夫子に従いて此の難に遇う、其れ忘る可からず」と。孔子曰く、「悪んぞ是れ何ぞや。語に云わずや、三たび肱を折りて良医と成ると。夫れ陳・蔡の間は、丘の幸いなり。二三子丘に従う者は皆幸いの人なり。吾聞く、人君困しまざれば王を成さず、列士困しまざれば行を成さずと。昔者、湯は呂に困しみ、文王は羑里に困しみ、秦穆公は殽に困しみ、齊桓は長勺に困しみ、句踐は会稽に困しみ、晉文は驪氏に困しむ。夫れ困の道たる、寒の煖に及ぶより、煖の寒に及ぶがごときなり、唯だ賢者のみ独り知りて之を言い難しとす。易に曰く、『困は亨りて貞し、大人は吉にして、咎無し。言有れども信ぜられず』と。聖人の人と与にして言い難く信じ難き所なり」と。
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説苑・雜言楚の昭王、孔子を召し、将に執政たらしめて書社七百を以て封ぜんとす。子西楚王に謂いて曰く、「王の臣、兵を用うること子路の如き者有りや。諸侯に使いすること宰予の如き者有りや。五官を長とすること子貢の如き者有りや。昔、文王は酆に処り、武王は鎬に処りて百乗の地を間にし、上を伐ち主を殺して立ちて天子と為るや、世皆聖と曰う。王今孔子の賢を以て書社七百里の地を有し、三子之を佐くれば、楚の利に非ざるなり」と。楚王遂に止む。夫れ善悪の分かち難きや、聖人独り疑いを見る、況んや賢者に於いてをや。是を以て賢聖合すること罕にして、諂諛常に興る。故に千歳の乱有りて百歳の治無し。孔子の疑いを見らるる、豈に痛ましからずや。
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説苑・至公孔子亂世に生まれ、之を能く容るる莫し。故に言君に行われ、澤民に加わりて、然る後に仕う。言君に行われず、澤民に加わらざれば則ち處る。孔子天覆うの心を懷き、仁聖の德を挾み、時俗の汙泥を憫れみ、紀綱の廢壞を傷み、重きを服し遠きを歷て、周流應聘し、乃ち幸いに道を施して以て百姓を子とせんことを俟つも、當世の諸侯能く任用する莫し、是を以て德積みて肆にせず、大道屈して伸びず、海內其の化を蒙らず、群生其の恩を被らず、故に喟然として歎じて曰く、「而し我を用うる者有らば、則ち吾其れ東周を為さんか」と。故に孔子行說するは、身を私せんと欲するに非ず、德を一城に運び、將に之を天下に舒べ、之を群生に建てんと欲するのみ。