説苑 / 至公
夫子行說七十諸侯無定處,意欲使天下之民各得其所,而道不行。退而修春秋,采毫毛之善,貶纖介之惡,人事浹,王道備,精和聖制,上通於天而麟至,此天之知夫子也。於是喟然而歎曰:「天以至明為不可蔽乎?日何為而食也?地以至安為不可危乎?地何為而動?」天地尚有動蔽,是故賢聖說於世而不得行其道,故災異並作也。夫子曰:「不怨天,不尤人,下學而上達,知我者其天乎!」
新字:夫子行説七十諸侯無定処,意欲使天下之民各得其所,而道不行。退而修春秋,采毫毛之善,貶繊介之悪,人事浹,王道備,精和聖制,上通於天而麟至,此天之知夫子也。於是喟然而嘆曰:「天以至明為不可蔽乎?日何為而食也?地以至安為不可危乎?地何為而動?」天地尚有動蔽,是故賢聖説於世而不得行其道,故災異並作也。夫子曰:「不怨天,不尤人,下学而上達,知我者其天乎!」
書き下し
夫子七十餘の諸侯に行說して定處無く、意天下の民をして各々其の所を得しめんと欲するも、道行われず。退きて春秋を修め、毫毛の善を采り、纖介の惡を貶し、人事浹く、王道備わり、精和聖制、上天に通じて麟至る、此れ天の夫子を知るなり。是に於て喟然として歎じて曰く、「天は至明を以て蔽うべからずと為すか、日何為れぞ食するや。地は至安を以て危うくすべからずと為すか、地何為れぞ動くや」と。天地尚お動蔽有り、是の故に賢聖世に說ばれずして其の道を行うを得ず、故に災異並び作るなり。夫子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下學して上達す、我を知る者は其れ天か」と。
現代語訳
孔子は七十余りの諸侯を遊説して回ったが、落ち着く場所がなく、天下の民それぞれにふさわしい居場所を得させたいと願ったものの、その道は行われなかった。そこで退いて春秋を編修し、ほんのわずかな善行も取り上げ、ごく些細な悪も貶め、人の道が行き渡り、王道が備わった。その精妙で調和した聖なる制作が天に通じ、麒麟が現れた。これは天が孔子を知っていたということである。そこで孔子は嘆息して言った、「天はこの上なく明らかだから蔽われることはないはずなのに、どうして太陽は蝕むのか。大地はこの上なく安定しているから危うくなることはないはずなのに、どうして大地は動くのか」と。天地でさえ動いたり蔽われたりすることがある、だから賢者・聖人が世に受け入れられず自分の道を行うことができない時があるのであり、災異もまた並び起こるのである。孔子は言った、「天を怨まず、人をとがめず、身近なことから学んで高遠な道理に達する。私を理解しているのは、まさに天であろうか」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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説苑・至公孔子亂世に生まれ、之を能く容るる莫し。故に言君に行われ、澤民に加わりて、然る後に仕う。言君に行われず、澤民に加わらざれば則ち處る。孔子天覆うの心を懷き、仁聖の德を挾み、時俗の汙泥を憫れみ、紀綱の廢壞を傷み、重きを服し遠きを歷て、周流應聘し、乃ち幸いに道を施して以て百姓を子とせんことを俟つも、當世の諸侯能く任用する莫し、是を以て德積みて肆にせず、大道屈して伸びず、海內其の化を蒙らず、群生其の恩を被らず、故に喟然として歎じて曰く、「而し我を用うる者有らば、則ち吾其れ東周を為さんか」と。故に孔子行說するは、身を私せんと欲するに非ず、德を一城に運び、將に之を天下に舒べ、之を群生に建てんと欲するのみ。
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史記 孔子世家子貢入りて見ゆ。孔子曰く、「賜、吾が道非なるか、吾何為れぞ此に於てする」と。子貢曰く、「夫子の道至って大なり、故に天下能く夫子を容るる莫し。夫子蓋ぞ少しく貶せざる」と。孔子曰く、「賜、良農能く稼ゑて能く穡を為さず、良工能く巧みにして能く順を為さず。君子能く其の道を脩め、綱して之を紀し、統して之を理むるも、能く容を為さず。今爾爾の道を脩めずして容を為すを求む。賜、爾の志遠からず」と。
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荘子・天運孔子老聃に謂いて曰く、「丘は《詩》《書》《礼》《楽》《易》《春秋》の六経を治むること、自ら以て久しと為す。孰(つらつ)ら其の故を知れり。以て七十二君に奸(もと)め、先王の道を論じて周・召の跡を明らかにす。一君も鉤用(こうよう)する所無し。甚だしいかな。人の説き難きや、道の明らかにし難きや」と。
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孔子家語・終記解齊の太史子與、魯に適き、孔子に見え、孔子之と道を言う。子與悦びて曰く、「吾は鄙人なり。子の名を聞くも、子の形を睹ざること久しく、而して未だ寶貴なるを知らざりき。乃ち今より後、泰山の高きたる、淵海の大なるたるを知る。惜しいかな、夫子の明王に逢わず、道德民に加えられずして、將に寶を垂れて以て後世に貽さんとするは。」遂に退きて南宮敬叔に謂いて曰く、「今、孔子は先聖の嗣にして、弗父何より以來、世に德讓有り、天の祚くる所なり。成湯は武德を以て天下に王たり、其の配は文に在り。殷宗より以下、未だ始めより有らざるなり。孔子は衰周に生まれ、先王の典籍、錯亂して紀無し。而るに乃ち百家の遺記を論じて、其の義を考正す。堯舜を祖述し、文武を憲章し、詩を刪り書を述べ、禮を定め樂を理め、春秋を制作し、易道を贊明す。訓を後嗣に垂れ、以て法式と為す、其の文德著るし。然れども凡そ教誨する所、束修已上、三千餘人。或いは天將に素王を之に與えんと欲するか。夫れ何ぞ其れ盛んなるや。」敬叔曰く、「殆ど吾子の言の如し。夫れ物は兩つながら大なる能わず。吾聞く、聖人の後にして繼世の統に非ざれば、其れ必ず興る者有り、と。今、夫子の道至れり、乃ち將に之を窮まり無きに施さんとす。天の祚を辭せんと欲すと雖も、故に未だ得ざるのみ。」子貢之を聞き、二子の言を以て孔子に告ぐ。子曰く、「豈に是くの若きならんや。亂れて之を治め、滯りて之を起こす。吾が志より、天何ぞ與らんや。」
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説苑・雜言孔子、陳・蔡の間に困しみ、環堵の内に居り、三経の席を席とし、七日食らわず、藜羹に糝せず、弟子皆饑色有れども、詩書を読み礼を治めて休まず。子路進み諫めて曰く、「凡そ人の善を為す者は天福を以て報い、不善を為す者は天禍を以て報ゆ。今先生徳行を積み、善を為すこと久し。意うに尚お遺行有るか。奚ぞ居ること隠るるや」と。孔子曰く、「由よ、来たれ、汝知らざるなり。坐せよ、吾汝に語らん。子は夫の知者を以て知らざる無しと為すか。則ち王子比干は何為れぞ心を剖かれて死せる。諫むる者を以て必ず聴かると為すか。伍子胥は何為れぞ目を呉の東門に抉らる。子は廉なる者を以て必ず用いらると為すか。伯夷・叔齊は何為れぞ首陽山の下に餓死せる。子は忠なる者を以て必ず用いらると為すか。則ち鮑莊は何為れぞ肉枯る。荊の公子高は終身顕れず、鮑焦は木を抱きて立ちながら枯れ、介子推は山に登りて焚かれて死す。故に夫れ君子の博学深謀にして時に遇わざる者衆し、豈に独り丘のみならんや。賢と不肖とは才なり、為すと為さざるとは人なり、遇うと遇わざるとは時なり、死生は命なり。其の才有りて其の時に遇わざれば、才有りと雖も用いられず。苟くも其の時に遇わば、何の難きことか之れ有らん。故に舜は歴山を耕して河畔に逃れしも、立ちて天子と為れるは、則ち其の堯に遇えばなり。傅說は壌土を負い板築を釈きしも、立ちて天子を佐けしは、則ち其の武丁に遇えばなり。伊尹は有莘氏の媵臣なりしも、鼎俎を負い五味を調して天子を佐けしは、則ち其の成湯に遇えばなり。呂望は行年五十にして棘津に食を売り、行年七十にして牛を朝歌に屠り、行年九十にして天子の師と為りしは、則ち其の文王に遇えばなり。管夷吾は束縛せられ目を膠がれ、檻車の中に居りしも、車中より起ちて仲父と為りしは、則ち其の齊桓公に遇えばなり。百里奚は自ら売りて五羊の皮を取り、伯氏羊を牧わしめしも、以て卿大夫と為りしは、則ち其の秦穆公に遇えばなり。沈尹は名天下に聞こえ、以て令尹と為すべきも、孫叔敖に讓りしは、則ち其の楚莊王に遇えばなり。伍子胥は前に功多く、後に戮死せしは、其の智の益々衰えたるに非ず、前には闔廬に遇い、後には夫差に遇えばなり。夫れ驥の鹽車に厄しむは、驥の状無きに非ず、夫れ世能く知る莫ければなり。驥をして王良・造父を得しめば、驥に千里の足無からんや。芝蘭は深林に生ずるも、人無きが為に香らざるに非ず。故に学ぶ者は通ぜんが為に非ず、窮しても困しまざらんが為なり、憂えても衰えざらんが為なり。此れ禍福の始めを知りて心惑わざるなり、聖人の深く念いて独り知り独り見る所なり。舜も亦賢聖なるも、南面して天下を治めしは、唯だ其の堯に遇えばなり。舜をして桀紂の世に居らしめば、能く自ら刑戮を免るるは固に可なるも、又何の官か治むるを得ん。夫れ桀は関龍逄を殺し、紂は王子比干を殺す。是の時に当たりて、豈に関龍逄知無く、比干惠無からんや。此れ桀紂無道の世の然らしむるなり。故に君子は学を疾しみ身を修め行いを端して、以て其の時を須つなり」と。