荀子 / 正論篇
世俗之為說者曰:「堯舜擅讓。」是不然。天子者,埶位至尊,無敵於天下,夫有誰與讓矣?道德純備,智惠甚明,南面而聽天下,生民之屬莫不震動從服以化順之。天下無隱士,無遺善,同焉者是也,異焉者非也。夫有惡擅天下矣。
新字:世俗之為説者曰:「堯舜擅譲。」是不然。天子者,埶位至尊,無敵於天下,夫有誰与譲矣?道徳純備,智恵甚明,南面而聴天下,生民之属莫不震動従服以化順之。天下無隠士,無遺善,同焉者是也,異焉者非也。夫有悪擅天下矣。
書き下し
世俗の説を為す者曰く、堯舜は擅譲せり、と。是れ然らず。天子なる者は、埶位至尊にして、天下に敵無し。夫れ誰と与にか譲ること有らんや。道徳純備し、智恵甚だ明らかに、南面して天下を聴き、生民の属、震動従服して以て之に化順せざるは莫し。天下に隠士無く、遺善無し。焉に同じき者は是なり、焉に異なる者は非なり。夫れ悪くんぞ天下を擅ること有らんや。
現代語訳
世間で議論を立てる者はこう言う。堯と舜は、位を人に譲り渡したのだ、と。そうではない。天子とは、その権勢と地位はこの上なく尊く、天下に肩を並べる者がいない。いったい誰に対して譲るというのか。道徳は純粋に備わり、知恵はきわめて明らかで、南に向かって座り天下の政を聴けば、生きとし生ける民はみな心を動かされて従い、教化に順わない者はいない。天下に隠れ住む賢者もいなければ、見落とされた善もない。天子と同じであれば正しく、天子と異なれば正しくない。どうして天下を人に譲り渡すことなどあろうか。
解説
五つめの俗説は、堯と舜は位を有徳の者に譲り渡した、いわゆる禅譲の話です。理想の政権交代として当時すでに広く称えられていましたが、荀子はこれを美談としてそのまま受け取りません。譲るという行為には、譲る相手が必要です。しかし天子とは、地位も権勢もこの上なく尊く、天下に肩を並べる者がいない存在で、道徳も知恵も備わり、その判断が天下の基準そのものになっている。天下に埋もれた賢者もおらず、見落とされた善もない。それならいったい誰に向かって譲るのか、と荀子は問い返すのです。大事なのは、天子は偉いから譲らないと言っているのではなく、天子とは基準そのものだから譲渡という発想になじまない、と論じている点です。位を私物のように渡したり受け取ったりするものと見る発想を、荀子は退けます。組織のトップの座も、個人の所有物ではなく役割であり基準である。そう考えれば、後継ぎの問題も譲る譲らないの話ではなくなってきます。
この章句が説くこと
擅譲禅譲天子位は私物ではない
関連する章句
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