説苑 / 至公
諸侯之義死社稷,大王委國而去,何也?夫聖人不欲強暴侵陵百姓,故使諸侯死國守其民。大王有至仁之恩,不忍戰百姓,故事勳育戎氏以犬馬珍幣,而伐不止。問其所欲者,土地也。於是屬其群臣耆老,而告之曰:「土地者,所以養人也,不以所以養而害其慈也,吾將去之。」遂居岐山之下。邠人負幼扶老從之,如歸父母。三遷而民五倍其初者,皆興仁義趣上之事。君子守國安民,非特鬥兵罷殺士眾而已。不私其身惟民,足用保民,蓋所以去國之義也,是謂至公耳。
新字:諸侯之義死社稷,大王委国而去,何也?夫聖人不欲強暴侵陵百姓,故使諸侯死国守其民。大王有至仁之恩,不忍戦百姓,故事勲育戎氏以犬馬珍幣,而伐不止。問其所欲者,土地也。於是属其群臣耆老,而告之曰:「土地者,所以養人也,不以所以養而害其慈也,吾将去之。」遂居岐山之下。邠人負幼扶老従之,如帰父母。三遷而民五倍其初者,皆興仁義趣上之事。君子守国安民,非特鬥兵罷殺士眾而已。不私其身惟民,足用保民,蓋所以去国之義也,是謂至公耳。
書き下し
諸侯の義は社稷に死すとは、大王國を委てて去るは何ぞや。夫れ聖人は強暴をして百姓を侵陵せしめんことを欲せず、故に諸侯をして國に死して其の民を守らしむ。大王至仁の恩有り、百姓を戰わしむるに忍びず、故に勳育戎氏に事うるに犬馬珍幣を以てするも、伐すること止まず。其の欲する所を問えば、土地なり。是に於て其の群臣耆老を屬めて、之に告げて曰く、「土地なる者は、人を養う所以なり。養う所以を以て其の慈を害せず、吾將に之を去らんとす」と。遂に岐山の下に居る。邠人幼を負い老を扶けて之に從うこと、父母に歸するが如し。三たび遷りて民其の初めに五倍する者は、皆仁義を興し上に趣くの事なり。君子の國を守り民を安んずるは、特に兵を鬥わせ士眾を罷殺するのみに非ず。其の身を私せず民を惟い、用を足して民を保つは、蓋し國を去るの義たる所以なり、是を至公と謂うのみ。
現代語訳
諸侯の義は社稷(国家)のために死ぬことだというのに、太王が国を捨てて去ったのはなぜか。そもそも聖人は、強暴な者が民衆を侵し虐げることを望まない。だから諸侯には国のために死んで民を守らせる。太王には至仁の恩があり、民を戦わせることに忍びなかった。そこで勲育戎(異民族)に犬や馬、珍しい財貨で仕えたが、それでも侵略は止まなかった。相手が欲しがるものを尋ねると土地だという。そこで群臣や長老を集めて告げた、「土地というものは人を養うためのものだ。養うためのもので、かえってその慈しみを害するわけにはいかない。私はここを去ろう」と。そして岐山の麓に移り住んだ。邠(ひん)の人々は幼子を背負い老人を助けてこれに従い、まるで父母のもとに帰るかのようであった。三度移り住むうちに民が最初の五倍になったのは、みな仁義に感化されて上(太王)に趣いたからである。君子が国を守り民を安んじるとは、ただ兵を戦わせ兵士を殺し尽くすことだけではない。自分の身を私することなく民を思いやり、必要を満たして民を保つこと、これこそ国を去るという判断の正しさの由縁であり、これを至公というのである。
解説
この章句が説くこと
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呂氏春秋・審爲②太王亶父、邠に居りしとき、狄人、之を攻む。事うるに皮帛を以てすれども受けず、事うるに珠玉を以てすれども肯ぜず。狄人の求むる所の者は地なり。太王亶父曰く、「人の兄と居りて其の弟を殺し、人の父と處りて其の子を殺すは、吾為すに忍びざるなり。皆勉めて處れ。吾が臣為ると狄人の臣たると、奚を以て異ならん。且つ吾之を聞く、養う所以を以て養う所を害せず、と。」策を杖つきて去る、民相連りて之に從い、遂に國を岐山の下に成せり。太王亶父、能く生を尊べりと謂う可し。能く生を尊ぶものは、富貴と雖も養を以て身を傷わず。貧賤と雖も利を以て形を累わさず。今其の先人の爵祿を受くれば、則ち必ず之を失うことを重んず。生の自ら來たる所の者は久し、而るに之を失うことを輕んずるは、豈に惑わずや。
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荘子・譲王大王亶父(たいおうたんぽ)邠(ひん)に居る。狄人(てきじん)之を攻む。之に事(つか)うるに皮帛を以てするも受けず。之に事うるに犬馬を以てするも受けず。之に事うるに珠玉を以てするも受けず。狄人の求むる所の者は土地なり。大王亶父曰く、「人の兄と与に居りて其の弟を殺し、人の父と与に居りて其の子を殺すは、吾忍びざるなり。子皆な勉めて居れ。吾が臣たると狄人の臣たると、奚(なに)を以て異ならんや。且つ吾之を聞く、用うる所を以て養う所を害せずと」と。因りて杖策して之を去る。民相連なりて之に従い、遂に国を岐山の下に成す。夫れ大王亶父は能く生を尊ぶと謂うべし。能く生を尊ぶ者は、貴富なりと雖も養を以て身を傷(そこな)わず、貧賎なりと雖も利を以て形を累(わずら)わさず。今世の人、高官尊爵に居る者は、皆な之を失うを重(おも)んず。利を見て軽々しく其の身を亡ぼす。豈に惑わずや。
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六韜・守土文王太公に問ひて曰く、「土を守るは奈何」と。太公曰く、「其の親を疏(うと)んずる無かれ、其の衆を怠る無かれ。其の左右を撫し、其の四旁を御す。人に国柄を借す無かれ。人に国柄を借せば、則ち其の権を失ふ。壑(たに)を掘りて丘に附する無かれ、本を舎(す)てて末を治むる無かれ。日中には必ず彗(ほ)し、刀を操れば必ず割き、斧を執れば必ず伐る。日中に彗さざる、是を時を失ふと謂ふ。刀を操りて割かざるは、利の期を失ふ。斧を執りて伐らざれば、賊人将に来たらんとす。涓涓(けんけん)として塞がざれば、将に江河と為らんとす。熒熒(けいけい)として救はざれば、炎炎たるを奈何せん。両葉去らざれば、将に斧柯(ふか)を用ゐんとす。是の故に人君は必ず富に従事す。富まざれば以て仁を為す無く、施さざれば以て親を合する無し。其の親を疏んずれば則ち害あり、其の衆を失へば則ち敗る。人に利器を借す無かれ。人に利器を借せば、則ち人の害する所と為りて、其の正を終へざるなり」と。文王曰く、「何をか仁義と謂ふ」と。太公曰く、「其の衆を敬し、其の親を合す。其の衆を敬すれば則ち和し、其の親を合すれば則ち喜ぶ。是を仁義の紀と謂ふ。人をして汝の威を奪はしむる無かれ。其の明に因り、其の常に順ふ。順ふ者は之に任ずるに徳を以てし、逆らふ者は之を絶つに力を以てす。之を敬して疑ふ無くば、天下和して服す」と。
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説苑・至公書に曰く、「偏せず黨せず、王道蕩蕩たり」と。至公を言うなり。古に大公を行う者有り、帝堯是れなり。貴きこと天子と為り、富むこと天下を有つも、舜を得て之に傳え、其の子孫を私せず。天下を去ること遺つが若く、天下に於て猶然たり、況んや其の天下より細なるをや。帝堯に非ずんば孰か能く之を行わん。孔子曰く、「巍巍乎たり!惟れ天を大と為し、惟れ堯之に則る」と。易に曰く、「首無くして、吉なり」と。此れ蓋し人君の至公なり。夫れ公を以て天下に與うれば、其の德大なり。之を此に推し、之を彼に刑せば、萬姓の戴く所、後世の則る所なり。彼の人臣の公なるは、官事を治むれば則ち私家を營まず、公門に在れば則ち貨利を言わず、公法に當たれば則ち親戚に阿らず、公を奉じて賢を舉ぐれば則ち仇讎を避けず、事君に忠に、利下に仁に、之を推すに恕道を以てし、之を行うに不黨を以てす、伊呂是れなり。故に顯名今に存す、是を之れ公と謂う。詩に云う、「周道は砥の如く、其の直きこと矢の如し、君子の履む所、小人の視る所」と。此を之れ謂うなり。夫れ公は明を生じ、偏は暗を生じ、端愨は達を生じ、詐偽は塞を生じ、誠信は神を生じ、夸誕は惑を生ず、此の六者は、君子の愼む所なり、而して禹桀の分かるる所以なり。詩に云う、「疾威なる上帝、其の命多く僻なり」と。不公を言うなり。
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説苑・君道邾の文公繹に徙らんことを卜す。史曰く、「民に利あるも君に利あらず」と。君曰く、「苟くも民に利あらば、寡人の利なり。天烝民を生じて之に君を樹つるは、以て之を利するなり。民既に利あらば、孤必ず与らん」と。侍者曰く、「命長かるべきなり、君胡ぞ為さざる」と。君曰く、「命は民を牧するに在り、死の短長は時なり。民苟くも利あらば、吉孰か大ならん」と。遂に繹に徙る。
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説苑・貴德武王殷に克ち、太公を召して問ひて曰く、「将に其の士衆を奈何にせんとするか」と。太公対へて曰く、「臣聞く、其の人を愛する者は屋上の烏をも兼ね、其の人を憎む者は其の余胥をも悪む、と。厥の敵を咸く劉し、余す有ら靡からしめんこと、何如」と。王曰く、「不可なり」と。太公出でて邵公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。邵公対へて曰く、「罪有る者は之を殺し、罪無き者は之を活かさん、何如」と。王曰く、「不可なり」と。邵公出でて周公入る。王曰く、「之を奈何にせんか」と。周公曰く、「各々其の宅に居らしめ、其の田を田せしめ、旧新を変ずる無く、唯だ仁のみ是れ親しめ、百姓過ち有らば、予一人に在らん」と。武王曰く、「広大なるかな、天下を平らぐるや。凡そ士君子を貴ぶ所以の者は、其の仁にして徳有るを以てなり」と。