説苑 / 權謀
晉文公伐衛,入郭,坐士令食,曰:「今日必得大垣。」公子慮俛而笑之。文公曰:「奚笑?」對曰:「臣之妻歸,臣送之,反見桑者而助之。顧臣之妻則亦有送之者矣。」文公懼,還師而歸,至國,而貉人攻其地。
新字:晉文公伐衛,入郭,坐士令食,曰:「今日必得大垣。」公子慮俛而笑之。文公曰:「奚笑?」対曰:「臣之妻帰,臣送之,反見桑者而助之。顧臣之妻則亦有送之者矣。」文公懼,還師而帰,至国,而貉人攻其地。
書き下し
晉の文公衛を伐ち、郭に入り、士を坐せしめて食せしめて曰く、「今日必ず大垣を得ん」と。公子慮俛して之を笑ふ。文公曰く、「奚を笑ふ」と。對へて曰く、「臣の妻歸るに、臣之を送り、反りて桑者の之を助くるを見る。臣の妻を顧みれば則ち亦た之を送る者有り」と。文公懼れ、師を還して歸る。國に至るに、貉人其の地を攻む。
現代語訳
晋の文公が衛を討伐し、外郭に攻め入って、兵士たちを座らせて食事を取らせながら「今日中に必ず大垣を陥落させよう」と言った。公子慮はうつむいて笑った。文公が「何を笑っているのか」と問うと、公子慮は答えた。「私の妻が実家に帰る際、私が見送りに出たのですが、帰り道で桑を摘む者を見かけ、その者を手伝ってやりました。ふと自分の妻のことを振り返ってみれば、妻にもまた同じように(誰かに)言い寄って見送ってくれる者がいるのではないかと思ったのです」と。文公はこれを聞いて恐れをなし、軍を引き返して帰国した。ところが国に到着してみると、貉人がその隙をついて晋の領地を攻めていたのであった。
解説
公子慮の笑い話は一見脈絡のない下世話な冗談に見えるが、その核心は「他人に対して仕掛けたことは、自分自身にも仕掛けられ得る」という因果応報の論理にある。文公が衛の大垣を今日中に落とそうと自信満々に語った、その慢心そのものを暗に戒める寓意として機能し、文公はその意図を正しく汲み取って恐れをなし撤退する。ところが皮肉なことに、目先の衛への侵攻を思いとどまったにもかかわらず、まさにその隙を貉人に突かれて自国を攻められてしまう。慢心を戒める教訓に気づき謙虚に振る舞ったとしても、油断していた別の方角からの脅威までは防ぎきれないという、権謀の限界をも同時に示す締めくくりの逸話である。
この章句が説くこと
因果応報慢心への戒め死角からの脅威
関連する章句
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『列子』説符篇晉の文公出でて會し、衛を伐たんと欲す。公子鋤天を仰ぎて笑う。公問う、何を笑うか、と。曰く、臣は鄰の人に其の妻を送りて私家に適かしむる者有るを笑うなり。道に桑婦を見、悅びて與に言う。然れども顧みて其の妻を視れば、亦た之を招く者有り。臣竊かに此を笑うなり、と。公其の言を寤り、乃ち止み、師を引きて還る。未だ至らずして、其の北鄙を伐つ者有り。
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説苑・正諫趙の簡子、兵を挙げて斉を攻む。軍中に敢えて諫むる者有らば罪死に至ると令す。被甲の士、名づけて公盧と曰う。簡子を望見して大いに笑う。簡子曰わく、「子何ぞ笑うや」と。対えて曰わく、「臣に夙の笑い有り」と。簡子曰わく、「以て之を解く有らば則ち可なり。以て之を解く無くんば則ち死せん」と。対えて曰わく、「桑の時に当り、臣の隣家夫と妻と俱に田に之き、桑中の女を見る。因りて往きて之を追うも得る能わず。還り反れば、其の妻怒りて之を去る。臣其の曠を笑うなり」と。簡子曰わく、「今吾国を伐ちて国を失わば、是れ吾が曠なり」と。是に於て師を罷めて帰る。
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説苑・權謀趙簡子人をして明白の乘六を以てし、先んじて一璧を以てし、遺と爲して衛に於てせしむ。衛の叔文子曰く、「意はざるを見るは、以て生くべし。故に此れ小の大に事ふる所以なり。今我未だ以て往かざるに、簡子先んじて以て來る。必ず故有らん」と。是に於て林を斬り圍を除き、蓄積を聚斂して、而る後に使者を遣る。簡子曰く、「吾が舉は、知るべからざるを爲すなり。今既に已に之を知る。乃ち衛を圍むを輟む」と。
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説苑・敬慎大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなり。衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶ。晋の文公是れ其の効なり。晋の文公亡命に出で、道を修めて休まず、国を饗くるに至るを得たり。国を饗くるの時、上に明天子無く、下に賢方伯無く、強楚会を主どり、諸侯背畔し、天子道を失い、出でて鄭に居る。文公是に於て中国の微なるを憫れみ、咎犯・先軫・陽処父に任じ、百姓を畜愛し、戎士を厲養し、四年にして政治内に定まり、則ち兵を挙げて衛を伐ち、曹伯を執え、還りて強楚を敗り、威天下に震い、明王法もて諸侯を率いて天子に朝せしめ、敢えて聴かざる莫く、天下曠然として平定し、周室尊顕す。故に曰わく大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなりと。文公是に於て覇功立ち、期至りて意を得るに湯武の心あり、作して其の衆を忘れ、一年三たび師を用いて、且つ休息せず。遂に進みて許を囲み、兵亟しく弊れて服する能わず、諸侯を罷めて帰り、此より政事に怠り、狄泉の盟を為すに、親ら至らず、信衰え誼欠け、羅の補われざるが如く、威武詘折して信ぜられず、則ち諸侯朝せず、鄭遂に叛き、夷狄内侵し、衛商に遷りて止まる。故に曰わく、衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶと。
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説苑・權謀智伯衛を襲はんと欲し、故に之に乘馬を遺り、之に璧を先んず。衛君大いに悅び、酒を酌み、諸大夫皆喜ぶ。南文子獨り喜ばずして、憂ふる色有り。衛君曰く、「大國寡人を禮す。寡人故に諸大夫に酒を酌む。諸大夫皆喜ぶに、子獨り喜ばずして憂ふる色有る者は何ぞや」と。南文子曰く、「無方の禮、無功の賞は、禍の先なり。我未だ往くこと有らざるに、彼來る有り。是を以て憂ふるなり」と。是に於て衛君乃ち梁津を修めて邊城を擬す。智伯衛の兵の境上に在るを聞き、乃ち還る。
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