説苑 / 敬慎
大功之效,在於用賢積道,浸章浸明;衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡,晉文公是其效也。晉文公出亡,修道不休,得至于饗國,饗國之時,上無明天子,下無賢方伯,強楚主會,諸侯背畔,天子失道,出居于鄭。文公於是憫中國之微,任咎犯、先軫、陽處父,畜愛百姓,厲養戎士,四年政治內定,則舉兵而伐衛,執曹伯,還敗強楚,威震天下,明王法率諸侯而朝天子,莫敢不聽,天下曠然平定,周室尊顯,故曰大功之效,在於用賢積道,浸章浸明,文公於是霸功立,期至意得湯武之心,作而忘其眾,一年三用師,且弗休息。遂進而圍許,兵亟弊不能服,罷諸侯而歸,自此而怠政事,為狄泉之盟,不親至,信衰誼缺,如羅不補,威武詘折不信,則諸侯不朝,鄭遂叛,夷狄內侵,衛遷於商止。故曰:衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡。
新字:大功之効,在於用賢積道,浸章浸明;衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡,晉文公是其効也。晉文公出亡,修道不休,得至于饗国,饗国之時,上無明天子,下無賢方伯,強楚主会,諸侯背畔,天子失道,出居于鄭。文公於是憫中国之微,任咎犯、先軫、陽処父,畜愛百姓,厲養戎士,四年政治内定,則舉兵而伐衛,執曹伯,還敗強楚,威震天下,明王法率諸侯而朝天子,莫敢不聴,天下曠然平定,周室尊顕,故曰大功之効,在於用賢積道,浸章浸明,文公於是覇功立,期至意得湯武之心,作而忘其眾,一年三用師,且弗休息。遂進而囲許,兵亟弊不能服,罷諸侯而帰,自此而怠政事,為狄泉之盟,不親至,信衰誼欠,如羅不補,威武詘折不信,則諸侯不朝,鄭遂叛,夷狄内侵,衛遷於商止。故曰:衰滅之過,在於得意而怠,浸蹇浸亡。
書き下し
大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなり。衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶ。晋の文公是れ其の効なり。晋の文公亡命に出で、道を修めて休まず、国を饗くるに至るを得たり。国を饗くるの時、上に明天子無く、下に賢方伯無く、強楚会を主どり、諸侯背畔し、天子道を失い、出でて鄭に居る。文公是に於て中国の微なるを憫れみ、咎犯・先軫・陽処父に任じ、百姓を畜愛し、戎士を厲養し、四年にして政治内に定まり、則ち兵を挙げて衛を伐ち、曹伯を執え、還りて強楚を敗り、威天下に震い、明王法もて諸侯を率いて天子に朝せしめ、敢えて聴かざる莫く、天下曠然として平定し、周室尊顕す。故に曰わく大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなりと。文公是に於て覇功立ち、期至りて意を得るに湯武の心あり、作して其の衆を忘れ、一年三たび師を用いて、且つ休息せず。遂に進みて許を囲み、兵亟しく弊れて服する能わず、諸侯を罷めて帰り、此より政事に怠り、狄泉の盟を為すに、親ら至らず、信衰え誼欠け、羅の補われざるが如く、威武詘折して信ぜられず、則ち諸侯朝せず、鄭遂に叛き、夷狄内侵し、衛商に遷りて止まる。故に曰わく、衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶと。
現代語訳
大きな功績の実現は、賢者を用いて道義を積み重ねることにあり、それは次第に明らかに、次第に顕著になっていく。衰亡の過ちは、得意になって怠ることにあり、それは次第に行き詰まり次第に滅びに至る。晋の文公はまさにその実例である。晋の文公は亡命生活の中でも道義を修めることをやめず、ついに国を治める地位を得た。国を治めることになった時、上には賢明な天子はおらず、下には賢い方伯もおらず、強大な楚が諸侯の会盟を主導し、諸侯は反旗を翻し、天子は道を見失って鄭に出て居留していた。文公はこの時、中原の衰微を憐れみ、咎犯・先軫・陽処父を登用し、民を慈しみ養い、兵士を鍛え養い、四年で内政を安定させ、そして兵を挙げて衛を討ち、曹伯を捕らえ、帰還する際に強大な楚を破り、その威光は天下に轟き、賢明な王としての法によって諸侯を率いて天子に朝貢させ、従わない者はなく、天下は広々と平定され、周王室の権威は再び高まった。だから言う、大きな功績の実現は、賢者を用いて道義を積み重ねることにあり、それは次第に明らかに、次第に顕著になっていくと。文公はこうして覇者としての功業を確立したが、その絶頂期に至ると、湯王・武王に匹敵するという慢心が生まれ、勢いに任せて民衆の疲弊を顧みず、一年に三度も軍を動かして、少しも休ませなかった。ついに進軍して許を包囲したが、兵は疲弊しきって屈服させることができず、諸侯の軍を解散させて帰還した。これ以降、政治に怠慢となり、狄泉での盟約を結ぶ際にも自ら出向かず、信義は衰え礼儀は欠け、破れた網が繕われないかのように、威光と武力は屈折して信頼を失い、諸侯は朝貢しなくなり、鄭はついに離反し、夷狄が国内に侵入し、衛は商の地に遷って留まることになった。だから言う、衰亡の過ちは、得意になって怠ることにあり、それは次第に行き詰まり次第に滅びに至ると。
解説
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説苑・尊賢春秋の時、天子微弱にして、諸侯力を政め、皆叛きて朝せず。衆は寡を暴し、強は弱を劫かし、南夷と北狄と交々侵し、中国の絶えざること線のごとし。桓公是に於いて管仲・鮑叔・隰朋・賓胥無・甯戚を用い、三たび亡国を存し、一たび絶世を継ぎ、中国を救い、戎狄を攘い、卒に荊蛮を脅し、以て周室を尊び、諸侯に霸たり。晋の文公は咎犯・先軫・陽処父を用い、中国を強くし、強楚を敗り、諸侯を合わせ、天子に朝し、以て周室を顕す。楚の荘王は孫叔敖・司馬子反・将軍子重を用い、陳を征し鄭に従い、強晋を敗り、天下に敵無し。秦の穆公は百里子・蹇叔子・王子廖及び由余を用い、雍州を拠有し、西戎を攘敗す。呉は延州萊季子を用い、翼州を并せ、威を雞父に揚ぐ。鄭の僖公は千乘の国を富有し、貴きこと諸侯たれども、義を治めて人心に順わず、臣に弑せらるる者は、先に賢を得ざればなり。簡公に至りて子産・裨諶・世叔・行人子羽を用い、賊臣除かれ、正臣進み、強楚を去り、中国を合わせ、国家安寧にして、二十余年、強楚の患い無し。故に虞に宮之奇有りて、晋の献公之が為に終夜寝ねず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に側席して坐す。賢者の厭難折衝を遠ざくればなり。夫れ宋の襄公は公子目夷の言を用いず、大いに楚に辱めらる。曹は僖負羈の諫めを用いず、戎に敗死す。故に共に五始の要、治乱の端を惟うに、己を審らかにして賢に任ずるに在り。国家の賢に任じて吉なり、不肖に任じて凶なるは、往世を案じて己の事を視るに、其れ必然なり、符を合するがごとし。此れ人君たる者、慎まざるべからざるなり。国家惛乱にして良臣見わる。魯国大いに乱れ、季友の賢見わる。僖公即位して季子に任じ、魯国安寧にして、外内憂い無く、行政二十一年、季子の卒するの後、邾其の南を撃ち、斉其の北を伐ち、魯其の患いに勝えず、将に師を楚に乞いて以て全きを取らんとするのみ。故に伝に曰く、患いの起こるは必ず此れより始まると。公子買をして衛に戍らしむべからず、公子遂は君命を聴かずして擅に晋に之く、内は臣下に侵され、外は兵乱に困しむ、弱の患いなり。僖公の性、前二十一年常に賢なるに非ずして、後乃ち漸く変じて不肖と為るに非ず、此れ季子の存する所の益、亡ぶる所の損なり。夫れ賢を得、賢を失うこと、其の損益の験此くのごとし。而るに人主の用うる所に忽なる、甚だ疾痛むべきなり。夫れ智賢を見るに足らざるは、如何ともする無し。若し智能く之を見るも、強いて決する能わず、猶予して用いず、大は死亡し、小は乱傾す、此れ甚だ悲哀すべきなり。宋の殤公孔父の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ孔父死せば己必ず死せんことを知りて、趨りて之を救わん。趨りて之を救う者は、是れ其の賢を知ればなり。魯の荘公季子の賢を知らざるかを以てせんか、安んぞ疾死せんとして季子を召して之に国政を授けん。之に国政を授くる者は、是れ其の賢を知ればなり。此の二君賢を知り見る能くして皆用うる能わず、故に宋の殤公は殺されて死し、魯の荘公は賊嗣す。宋の殤をして蚤く孔父に任ぜしめ、魯の荘をして素より季子を用いしめば、乃ち将に隣国を靖んずべし、而るを況んや自ら存するをや。
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呂氏春秋・不廣⑤晉の文公、諸侯を合わせんと欲す。咎犯曰く、「不可なり。天下未だ君の義を知らざるなり。」公曰く、「何若せん。」咎犯曰く、「天子、叔帶の難を避けて、出でて鄭に居る。君奚ぞ之を納れて、以て大義を定め、且つ以て譽を樹てざる。」文公曰く、「吾其れ能くせんか。」咎犯曰く、「事若し能く成らば、文の業を繼ぎ、武の功を定め、土を闢き疆を安んずること、此に於いてか在り。事若し成らずとも、周室の闕を補い、天子の難に勤め、教えを成し名を垂るること、此に於いてか在り。君其れ疑うこと勿れ。」文公之を聽き、遂に草中の戎・驪土の翟と與に、天子を成周に定む。是に於て天子、之に南陽の地を賜い、遂に諸侯に霸たり。事を舉ぐること義にして且つ利、以て大功を立てたり。文公をば智なりと謂う可し。此れ咎犯の謀なり。出亡すること十七年、國に反り四年にして霸たり、其の聽くこと皆咎犯の如き者か。
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説苑・反質晉の文公諸侯を合わせて盟いて曰く、「吾聞く、國の昏きは、聲色に由らず、必ず姦利好樂に由る。聲色とは、淫なり。貪姦とは、惑なり。夫れ淫惑の國は、亡びずんば必ず殘わる。今自り以來、美妾を以て妻を疑う無かれ、聲樂を以て政を妨ぐる無かれ、姦情を以て公を害する無かれ、貨利を以て下に示す無かれ。其れ之有る者は、是を其の根素を伐りて、華葉に流ると謂う。此くの若き者は、患有りて憂い無く、寇有りて弭むる勿かれ。言に如かざる者は之を盟いて示さん。」と。是に於て君子之を聞きて曰く、「文公其れ道を知れるか?其れ王たらざるは猶お佐無ければなり。」と。
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『新序』雜事第四晉の文公虢に田し、一老夫に遇いて問いて曰く、虢の虢爲ること久し。子此に處ること故し。虢の亡ぶるは其れ説有るか、と。對えて曰く、虢君斷ずるは則ち能わず、諫むるは則ち與にする無きなり。斷ずる能わず、又た人を用うる能わず。此れ虢の亡ぶる所以なり、と。文公以て田を輟めて歸る。趙衰に遇いて之に告ぐ。趙衰曰く、今其の人安くに在りや、と。君曰く、吾之と來たらざるなり、と。趙衰曰く、古の君子は、其の言を聽きて其の人を用う。今の君子は、其の言を聽きて其の身を棄つ。哀しいかな、晉國の憂いなり、と。文公乃ち召して之を賞す。是に於いて晉國善言を納るるを樂しみ、文公卒に以て霸たり。
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説苑・尊賢禹は夏を以て王たり、桀は夏を以て亡ぶ。湯は殷を以て王たり、紂は殷を以て亡ぶ。闔廬は呉を以て天下に戦勝して敵無く、而して夫差は越に見禽らる。文公は晋国を以て霸たり、而して厲公は匠麗の宮に見弑せらる。威王は斉を以て天下に強く、而して湣王は廟梁に弑死す。穆公は秦を以て名を顕し号を尊くし、而して二世は望夷に劫かさる。其の君王たる所以は同じくして、功跡の等しからざる者は、任ずる所異なればなり。是の故に成王襁褓に処りて諸侯に朝せしむるは、周公の事を用えればなり。趙の武霊王五十年にして沙丘に餓死するは、李充に任ぜし故なり。桓公管仲を得て、九たび諸侯を合わせ、一たび天下を匡す。管仲を失いて豎刁・易牙に任じ、身死して葬られず、天下の笑いと為る。一人の身、栄辱倶に施さる、任ずる所に在り。故に魏に公子無忌有りて、地を削られて復た得たり。趙は藺相如に任じて、秦兵敢えて鄢陵に出でず。唐睢に任じて、国独り特立す。楚に申包胥有りて、昭王位に反る。斉に田単有りて、襄王国を得たり。此に由りて之を観れば、国に賢佐俊士無くして、能く功を成し名を立て、危を安んじ絶を継ぐ者は、未だ嘗て有らざるなり。故に国は大を務めずして民心を得るを務め、佐は多きを務めずして賢俊を得るを務む。民心を得る者は民之に往き、賢佐有る者は士之に帰す。文王炮烙の刑を除かんことを請いて殷民従い、湯張網の者の三面を去りて夏民従い、越王旧冢を隳たずして呉人服す、其の民心に順う所以を為せばなり。故に声同じければ処異なりて相応じ、徳合すれば未だ見えずして相親しむ。賢者本朝に立てば、則ち天下の豪、相率いて之に趨く。何を以て其の然るを知るや。曰く、管仲は桓公の賊なり、鮑叔以て己より賢なりとして之を進めて相と為し、七十言にして説くこと乃ち聴かる。遂に桓公をして報讎の心を除きて国政を委ねしむ。桓公垂拱無事にして諸侯に朝せしむるは、鮑叔の力なり。管仲の能く桓公に北走して自危の心無き所以の者は、鮑叔に声を同じくすればなり。紂王子比干を殺し、箕子髪を被りて狂を佯る。陳の霊公泄冶を殺して鄧元陳を去る。是より後、殷は周に兼ねられ、陳は楚に亡ぶ。其の比干・泄冶を殺して箕子と鄧元とを失いしを以てなり。燕の昭王郭隗を得て、鄒衍・楽毅斉・趙より至り、蘇子・屈景周・楚より至る。是に於いて兵を挙げて斉を攻め、閔王を莒に棲ましむ。燕地を校し衆を計るに、斉と均しきに非ざれども、然れども能く意を信ぶこと此に至る所以の者は、士を得るに由ればなり。故に常安の国無く、恒治の民無し。賢を得れば則ち安昌、之を失えば則ち危亡す。古より今に及ぶまで、未だ然らざる者有らざるなり。明鏡は形を昭らかにする所以なり、往古は今を知る所以なり。夫れ往古の危亡する所以を悪知りて、其の安昌する所以に迹を襲うことを務めざれば、則ち未だ卻走して前人に逮ばんことを求むるに異ならざるなり。太公之を知る、故に微子の後を挙げ、比干の墓を封ず。夫れ聖人の死者に於けるすら尚お是くの如く厚し、況んや当世にして生存する者をや。則ち其の失わざるべきこと識るべし。
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史記 晋世家太史公曰く、「晉文公は、古の所謂明君なり。亡げて外に居ること十九年、困約に至る。即位して行賞するに及び、尚ほ介子推を忘る、況んや驕主をや。故に君道の其の臣下を御する、固より易からざるかな」と。