説苑 / 正諫
趙簡子舉兵而攻齊,令軍中有敢諫者罪至死,被甲之士,名曰公盧,望見簡子大笑;簡子曰:「子何笑?」對曰:「臣有夙笑。」簡子曰:「有以解之則可,無以解之則死。」對曰:「當桑之時,臣鄰家夫與妻俱之田,見桑中女,因往追之,不能得,還反,其妻怒而去之,臣笑其曠也。」簡子曰:「今吾伐國失國,是吾曠也。」於是罷師而歸。
新字:趙簡子舉兵而攻斉,令軍中有敢諫者罪至死,被甲之士,名曰公盧,望見簡子大笑;簡子曰:「子何笑?」対曰:「臣有夙笑。」簡子曰:「有以解之則可,無以解之則死。」対曰:「当桑之時,臣鄰家夫与妻倶之田,見桑中女,因往追之,不能得,還反,其妻怒而去之,臣笑其曠也。」簡子曰:「今吾伐国失国,是吾曠也。」於是罷師而帰。
書き下し
趙の簡子、兵を挙げて斉を攻む。軍中に敢えて諫むる者有らば罪死に至ると令す。被甲の士、名づけて公盧と曰う。簡子を望見して大いに笑う。簡子曰わく、「子何ぞ笑うや」と。対えて曰わく、「臣に夙の笑い有り」と。簡子曰わく、「以て之を解く有らば則ち可なり。以て之を解く無くんば則ち死せん」と。対えて曰わく、「桑の時に当り、臣の隣家夫と妻と俱に田に之き、桑中の女を見る。因りて往きて之を追うも得る能わず。還り反れば、其の妻怒りて之を去る。臣其の曠を笑うなり」と。簡子曰わく、「今吾国を伐ちて国を失わば、是れ吾が曠なり」と。是に於て師を罷めて帰る。
現代語訳
趙の簡子が兵を挙げて斉を攻めようとした。軍中で「あえて諫める者があれば死罪にする」と命じた。甲冑を着けた兵士で、公盧という名の者がいた。簡子を見て大笑いした。簡子は「お前はなぜ笑うのか」と言った。答えて「私には以前からの笑い話がございます」と言った。簡子は「それを説明できるならよいが、できなければ死刑にする」と言った。答えて言った、「桑の季節のこと、私の隣の家の夫婦が一緒に畑に行き、桑畑の中に女がいるのを見ました。そこで夫はその女を追いかけましたが、追いつけませんでした。戻ってくると、妻は怒って彼のもとを去ってしまいました。私はその男の空しさを笑っているのです」と。簡子は言った、「今、私が斉を討とうとして自国を失うなら、それは私のその空しさと同じことだ」と。そこで軍を退いて帰国した。
解説

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