説苑 / 權謀
楚公子午使於秦,秦囚之,其弟獻三百金於叔向,叔向謂平公曰:「何不城壺丘?秦楚患壺丘之城。若秦恐而歸公子午,以止吾城也,君乃止,難亦未構,楚必德君。」平公曰:「善。」乃城之。秦恐,遂歸公子午使之晉,晉人輟城,楚獻晉賦三百車。
新字:楚公子午使於秦,秦囚之,其弟献三百金於叔向,叔向謂平公曰:「何不城壺丘?秦楚患壺丘之城。若秦恐而帰公子午,以止吾城也,君乃止,難亦未構,楚必徳君。」平公曰:「善。」乃城之。秦恐,遂帰公子午使之晋,晋人輟城,楚献晋賦三百車。
書き下し
楚の公子午秦に使ひして、秦之を囚ふ。其の弟三百金を叔向に獻ず。叔向平公に謂ひて曰く、「何ぞ壺丘に城かざる。秦・楚壺丘の城を患へん。若し秦懼れて公子午を歸し、以て吾が城くを止めしめば、君乃ち止めよ。難亦た未だ構へず、楚必ず君に德とせん」と。平公曰く、「善し」と。乃ち之を城く。秦懼れ、遂に公子午を歸して之を晉に使はしむ。晉人城くを輟め、楚晉の賦三百車を獻ず。
現代語訳
楚の公子午が秦への使者として赴いたところ、秦はこれを捕らえて幽閉した。公子午の弟は三百金を叔向に献上して助けを求めた。叔向は晋の平公に「なぜ壺丘に城を築かないのですか。秦も楚も壺丘に城を築かれることを懸念するでしょう。もし秦が恐れて公子午を送り返し、我らの築城を止めさせようとするなら、あなた様はそこで築城をやめればよいのです。事はまだ本格的な争いにまで至っていませんし、楚は必ずあなた様に恩義を感じるでしょう」と進言した。平公は「よかろう」と言い、そこで築城を始めた。秦は恐れをなし、公子午を送り返して晋への使者とした。晋はそこで築城を取りやめ、楚は晋に対して賦(貢納の車)三百台を献上した。
解説

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