戦国策 / 公叔使馮君於秦
公叔使馮君於秦,恐留,教陽向說秦王曰:「留馮君以善韓臣,非上知也。主君不如善馮君,而資之以秦。馮君廣王而不聽公叔,以與太子爭,則王澤布,而害於韓矣。」
新字:公叔使馮君於秦,恐留,教陽向説秦王曰:「留馮君以善韓臣,非上知也。主君不如善馮君,而資之以秦。馮君広王而不聴公叔,以与太子争,則王沢布,而害於韓矣。」
書き下し
公叔馮君を秦に使いせしむるや、留められんことを恐れ、陽向に教えて秦王に說かしめて曰く、「馮君を留めて以て韓臣に善くするは、上知に非ざるなり。主君馮君に善くして、之に資するに秦を以てするに如かず。馮君王を廣めて公叔を聽かず、以て太子と爭わしめば、則ち王澤布きて、韓に害あらん。」
現代語訳
公叔が馮君を秦への使者として送ったとき、秦に引き留められることを恐れ、陽向に命じて秦王にこう説かせた。「馮君を引き留めて韓の臣下に恩を売ろうとするのは、上策とは言えません。むしろ王(秦王)は馮君によくして、秦の力を貸してやるのがよいでしょう。馮君が王の威光を頼みに公叔の意見を聞かず、太子と対立するようになれば、王の恩恵が(韓国内に)広がり、かえって韓を分裂させ弱体化させることになるからです。」
解説
この章は、韓の重臣・公叔が、自国の使者が秦に引き留められることを警戒し、逆手にとって秦に「引き留めるより、味方につけて韓の内部対立を煽らせたほうが得だ」と説かせる話です。表面上は秦に有利な提案に見えますが、実際には秦の介入によって韓の政争が激化することを見越した、間接的な自国の弱体化誘導という高度な駆け引きが隠れています。一見自国に不利な助言のようでも、相手国の思惑を逆用して自分の望む結果(この場合は使者の解放)を引き出す発想は、交渉において「相手にとっての得」を巧みに再定義する技術として参考になります。
この章句が説くこと
人質回避内部対立の誘発秦韓関係逆説得
関連する章句
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