説苑 / 權謀
太子商臣怨令尹子上也。楚攻陳,晉救之。夾泜水而軍。陽處父知商臣之怨子上也,因謂子上曰:「少卻,吾涉而從子。」子上卻。因令晉軍曰:「楚遁矣。」使人告商臣曰:「子上受晉賂而去之。」商臣訴之成王,成王遂殺之。
新字:太子商臣怨令尹子上也。楚攻陳,晉救之。夾泜水而軍。陽処父知商臣之怨子上也,因謂子上曰:「少却,吾渉而従子。」子上却。因令晉軍曰:「楚遁矣。」使人告商臣曰:「子上受晉賂而去之。」商臣訴之成王,成王遂殺之。
書き下し
太子商臣令尹子上を怨む。楚陳を攻め、晉之を救ふ。泜水を夾みて軍す。陽處父商臣の子上を怨むを知り、因りて子上に謂ひて曰く、「少しく卻け、吾涉りて子に從はん」と。子上卻く。因りて晉軍に令して曰く、「楚遁げたり」と。人をして商臣に告げしめて曰く、「子上晉の賂を受けて之を去れり」と。商臣之を成王に訴ふ。成王遂に之を殺す。
現代語訳
太子商臣は令尹の子上を恨んでいた。楚が陳を攻め、晋がこれを救援した。両軍は泜水を挟んで対陣した。晋の陽処父は商臣が子上を恨んでいることを知っていたので、子上に「少し兵を退いてください。私が川を渡ってあなたに合流しましょう」と持ちかけた。子上は兵を退いた。すると陽処父は晋軍に「楚軍は逃げ去った」と布告させ、さらに人を遣わして商臣に「子上は晋の賄賂を受け取って兵を退いたのだ」と告げさせた。商臣はこのことを成王に訴え、成王はついに子上を処刑してしまった。
解説
陽処父は商臣と子上の間にすでにあった不和という亀裂を見抜き、そこに偽情報という楔を打ち込むだけで、敵国の有能な将軍を戦わずして葬り去る。子上自身は何も悪事を働いておらず、ただ相手の策略にはまって兵を退いただけなのに、そのわずかな行動が「裏切りの証拠」として利用され、既に彼を恨んでいた商臣によって決定的な破滅へと追い込まれる。この逸話が教えるのは、組織内にすでに存在する不和や対立感情は、外部の敵にとって格好の攻撃対象になるという厳しい現実である。内部の亀裂を放置しておくことは、それ自体が敵の武器になり得るという警戒心を、この短い反間の物語は静かに伝えている。
この章句が説くこと
反間の計内部の不和亀裂という武器
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