史記 / 伍子胥列伝
無忌既以秦女自媚於平王、因去太子而事平王。恐一旦平王卒而太子立、殺己、乃因讒太子建。建母、蔡女也、無寵於平王。平王稍益疏建、使建守城父、備邊兵。頃之、無忌又日夜言太子短於王曰、太子以秦女之故、不能無怨望、願王少自備也。自太子居城父、將兵、外交諸侯、且欲入為亂矣。平王乃召其太傅伍奢考問之。伍奢知無忌讒太子於平王、因曰、王獨柰何以讒賊小臣疏骨肉之親乎。無忌曰、王今不制、其事成矣。王且見禽。於是平王怒、囚伍奢、而使城父司馬奮揚往殺太子。行未至、奮揚使人先告太子、太子急去、不然將誅。太子建亡奔宋。
新字:無忌既以秦女自媚於平王、因去太子而事平王。恐一旦平王卒而太子立、殺己、乃因讒太子建。建母、蔡女也、無寵於平王。平王稍益疏建、使建守城父、備辺兵。頃之、無忌又日夜言太子短於王曰、太子以秦女之故、不能無怨望、願王少自備也。自太子居城父、将兵、外交諸侯、且欲入為乱矣。平王乃召其太傅伍奢考問之。伍奢知無忌讒太子於平王、因曰、王独柰何以讒賊小臣疏骨肉之親乎。無忌曰、王今不制、其事成矣。王且見禽。於是平王怒、囚伍奢、而使城父司馬奮揚往殺太子。行未至、奮揚使人先告太子、太子急去、不然将誅。太子建亡奔宋。
書き下し
無忌既に秦の女を以て自ら平王に媚び、因りて太子を去りて平王に事ふ。一旦平王卒して太子立たば己を殺さんことを恐れ、乃ち因りて太子建を讒す。建の母は蔡の女なり、平王に寵無し。平王稍く益々建を疏んじ、建をして城父を守り辺兵に備へしむ。頃之、無忌又日夜太子の短を王に言ひて曰く、「太子は秦の女の故を以て、怨望無きこと能はず。願はくは王少しく自ら備へよ。太子、城父に居り兵を将ゐし自り、外、諸侯に交はり、且に入りて乱を為さんと欲す」と。平王乃ち其の太傅伍奢を召して之を考問す。伍奢、無忌の太子を平王に讒するを知り、因りて曰く、「王独り奈何ぞ讒賊の小臣を以て骨肉の親を疏んずるか」と。無忌曰く、「王今制せずは、其の事成らん。王且に禽にせられんとす」と。是に於いて平王怒り、伍奢を囚らへ、城父の司馬奮揚をして往きて太子を殺さしむ。行きて未だ至らず、奮揚、人をして先づ太子に告げしむ、「太子急に去れ、然らずんば将に誅せられんとす」と。太子建、亡げて宋に奔る。
現代語訳
無忌は秦の女を献じて平王に取り入ったので、太子のもとを去って平王に仕えるようになった。しかし、いつか平王が死んで太子が即位すれば自分は殺されると恐れ、そこで太子建を讒言した。建の母は蔡の生まれで、平王の寵愛がなかった。平王はしだいに建を遠ざけ、城父の守備につかせて辺境の防備に当たらせた。しばらくして無忌はまた日夜、太子の悪口を王に吹き込んだ。「太子は秦の女の一件で、恨みを抱かずにはいられません。どうか王よ、少しは備えをなさいませ。太子は城父に移って兵を率いて以来、外は諸侯と通じ、都に攻め入って乱を起こそうとしております」。平王は太子の教育係である伍奢を呼んで問いただした。伍奢は無忌が太子を讒言しているのを見抜いて言った。「王はどうして、讒言をこととする小人の言葉のために、血を分けた我が子を遠ざけられるのですか」。無忌は言った。「王が今のうちに抑えなければ、太子の企ては成功します。王ご自身が捕らわれの身となりましょう」。そこで平王は怒り、伍奢を捕らえて牢に入れ、城父の司馬である奮揚に、太子を殺しに行かせた。奮揚はまだ現地に着かぬうちに、人をやって先に太子に知らせた。「太子よ、急いで逃げてください。さもなくば殺されます」。太子建は逃亡して宋へ亡命した。
解説
この章句が説くこと
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史記 楚世家無忌又日夜太子建を王に讒して曰く、「無忌秦の女を入れしより、太子怨み、亦た王に望むこと無き能はず。王少しく自ら備へよ。且つ太子城父に居り、兵を擅にし、外に諸侯と交はり、且に入らんと欲す」と。平王其の傅伍奢を召して之を責む。伍奢無忌の讒を知り、乃ち曰く、「王奈何ぞ小臣を以て骨肉を疎んずる」と。無忌曰く、「今制せずんば、後に悔いん」と。是に於て王遂に伍奢を囚ふ。乃ち司馬奮揚をして太子建を召さしめ、之を誅せんと欲す。太子之を聞き、亡げて宋に奔る。無忌曰く、「伍奢に二子有り。殺さざる者は楚国の患と為らん。盍ぞ其の父を免すを以て之を召さざる。必ず至らん」と。是に於て王使ひをして奢に謂はしむ、「能く二子を致さば則ち生きん。能はずんば将に死せん」と。奢曰く、「尚は至らん。胥は至らず」と。王曰く、「何ぞや」と。奢曰く、「尚の人と為りは、廉にして、節に死し、慈孝にして仁なり。召されて父を免すと聞かば、必ず至りて、其の死を顧みず。胥の人と為りは、智にして謀を好み、勇にして功を矜る。来たらば必ず死するを知る。必ず来たらず。然れども楚国の憂ひと為る者は必ず此の子ならん」と。是に於て王人をして之を召さしめて曰く、「来たれ。吾爾の父を免さん」と。伍尚伍胥に謂ひて曰く、「父免さるると聞きて奔ること莫きは、不孝なり。父戮せられて報ゆること莫きは、無謀なり。能を度りて事に任ずるは、知なり。子其れ行け。我其れ帰りて死せん」と。伍尚遂に帰る。伍胥弓を彎き矢を属け、出でて使者を見て曰く、「父罪有り。何を以て其の子を召すことを為す」と。将に射んとす。使者還り走る。遂に出でて呉に奔る。伍奢之を聞きて曰く、「胥亡ぐ。楚国危ふきかな」と。楚人遂に伍奢及び尚を殺す。十年、楚の太子建の母居巣に在り、呉に開く。呉公子光をして楚を伐たしめ、遂に陳・蔡を敗り、太子建の母を取りて去る。楚恐れ、郢に城く。初め、呉の辺邑卑梁と楚の辺邑鐘離の小童と桑を争ふ。両家交々怒りて相攻め、卑梁の人を滅ぼす。卑梁の大夫怒り、邑の兵を発して鐘離を攻む。楚王之を聞きて怒り、国の兵を発して卑梁を滅ぼす。
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史記 伍子胥列伝伍子胥は、楚人なり、名は員。員の父は伍奢と曰ふ。員の兄は伍尚と曰ふ。其の先は伍挙と曰ひ、直諫を以て楚の荘王に事へて、顕るる有り、故に其の後世は楚に名有り。楚の平王に太子有り、名を建と曰ふ。伍奢をして太傅と為し、費無忌をして少傅と為さしむ。無忌、太子建に忠ならず。平王、無忌をして太子の為に婦を秦より取らしむ。秦の女好し、無忌馳せて帰り、平王に報じて曰く、「秦の女は絶だ美なり、王自ら取る可し、而して更に太子の為に婦を取れ」と。平王遂に自ら秦の女を取りて絶だ之を愛幸し、子の軫を生む。更に太子の為に婦を取る。
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『春秋左氏伝』昭公二十年 伍奢、讒を信ずるを諫む二十年、春、王の二月、己丑、日南至す。梓慎氛を望みて曰く、「今茲宋に亂有り、國幾ど亡びん。三年にして後に弭まん。蔡に大喪有らん」と。叔孫昭子曰く、「然らば則ち戴・桓なり。汏侈無禮、已に甚し。亂の在る所なり」と。費無極楚子に言ひて曰く、「建と伍奢と、將に方城の外を以て叛かんとす。自ら以て猶ほ宋・鄭のごとしと為す。齊・晉又交々之を輔く。將に以て楚を害せんとす。其の事集まれり」と。王之を信じ、伍奢に問ふ。伍奢對へて曰く、「君一たび過つこと多し。何ぞ讒を信ずる」と。王伍奢を執ふ。城父の司馬奮揚をして大子を殺さしむ。未だ至らずして、使ひして之を遣らしむ。三月、大子建宋に奔る。王奮揚を召す。奮揚城父の人をして己を執へしめて以て至る。王曰く、「言余が口より出でて、爾の耳に入る。誰か建に告げし」と。對へて曰く、「臣之に告ぐ。君王臣に命じて曰く、『建に事ふること余に事ふるが如くせよ』と。臣不佞にして、苟くも貳する能はず。初めを奉じて以て還(めぐ)らし、後の命に忍びず。故に之を遣る。既にして之を悔ゆるも、亦た及ぶ無きのみ」と。王曰く、「而(なんぢ)敢へて來るは、何ぞや」と。對へて曰く、「使はされて命を失ひ、
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呂氏春秋・愼行②荊の平王に臣有り、費無忌と曰う。太子建を害み、之を去らんと欲す。王、建の為に妻を秦より取るに美なり。無忌、王に勸めて奪う。王已に之を奪いて、太子を疏ず。無忌、王に說きて曰く、「晉の霸たるや、諸夏に近ければなり。而るに荊は僻なり。故に與に爭うこと能わず。大いに城父に城きて、太子を置き、以て北方を求めしめ、王は南方を収むるに若かず。是れ天下を得るなり。」王說び、太子をして城父に居らしむ。居ること一年、乃ち之を惡りて曰く、「建、連尹と將に方城の外を以て反せんとす。」王曰く、「已に我が子為り。又尚ほ奚をか求めん。」對えて曰く、「妻の事を以て怨む。且つ自ら以為えらく、猶ほ宋のごとし、と。齊・晉又之を輔け、將に以て荊を害せんとす。其の事已に集れり。」王之を信じ、連尹を執らえしむ。太子建は出奔す。左尹郤宛は、國人之を說ぶ。無忌又之を殺さんと欲し、令尹子常に謂いて曰く、「郤宛は令尹に酒を飲ましめんと欲す。」又郤宛に謂いて曰く、「令尹、酒を子の家に飲まんと欲す。」郤宛曰く、「我賤人なり。以て令尹を辱くするに足らず。令尹必ず來たりて辱くせば、我且に何を以てか之を給待せん。」無忌曰く、「令尹は甲兵を好む。子出だして之を門に寘き、令尹至りなば、必ず之を觀ん。已にして因りて以て酬と為せ。」饗日に及び、門の左右に惟して甲兵を寘く。無忌因りて令尹に謂いて曰く、「吾幾んど令尹に禍いせんとす。郤宛將に令尹を殺さんとす。甲門に在り。」令尹、人をして之を視しむるに、信なり。遂に郤宛を攻めて、之を殺す。國人大いに怨み、胙を進むる者、令尹を非らざるもの莫し。沈尹戍、令尹に謂いて曰く、「夫の無忌は、荊の讒人なり。太子建を亡せしめ、連尹奢を殺し、王の耳目を屏う。今令尹又之を用い、衆く不辜を殺し、以て大謗を興し、患い幾んど令尹に及ばんとす。」令尹子常曰く、「是れ吾が罪なり。敢て良く圖らざらんや。」乃ち費無忌を殺し、盡く其の族を滅ぼし、以て其の國を說ばす。動くに其の義を論ぜず、人を害するを知るも、人の己を害するを知らず、以て其の族を滅ぼすは、費無忌の謂か。
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『淮南子』人間訓費無忌 荊の平王に復して曰く「晉の霸たる所以の者は、諸夏に近ければなり。而して荊の之と爭う能わざる所以の者は、其の僻遠なるを以てなり。楚王 若し諸侯を從えんと欲せば、大いに城父に城きて、太子建をして守らしめ、以て北方を來し、王 自ら其の南を收むるに若かず。是れ天下を得るなり」と。楚王 之を悅び、因りて太子建に命じて城父を守らしめ、伍子奢に命じて之に傅たらしむ。居ること一年、伍子奢 人を王の側に游ばしめ、太子 甚だ仁にして且つ勇、能く民心を得と言わしむ。王 以て費無忌に告ぐ。無忌曰く「臣 固より之を聞けり。太子 內に百姓を撫し、外に諸侯を約す。齊・晉 又た之を輔く。將に以て楚を害せんとす。其の事 已に構われたり」と。王曰く「我が太子と爲る。又た尚お何をか求めん」と。曰く「秦女の事を以て王を怨む」と。王 因りて太子建を殺して伍子奢を誅す。此れ所謂 譽められて禍と爲る者なり。
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史記 楚世家陳・蔡に君として、方城の外焉に属す。苛慝作らず、盗賊伏隠し、私欲違はず、民に怨心無し。先神之に命じ、国民之を信ず。羋姓に乱有らば、必ず季実に立つは、楚の常なり。子比の官は、則ち右尹なり。其の貴寵を数ふれば、則ち庶子なり。神の命ずる所を以てすれば、則ち又之に遠し。民に懐ふこと無し。将た何を以て立たん」と。宣子曰く、「斉の桓・晋の文も亦た是ならずや」と。対へて曰く、「斉の桓は、衛姫の子なり。釐公に寵有り。鮑叔牙・賓須無・隰朋有りて以て輔と為し、莒・衛有りて以て外主と為し、高・国有りて以て内主と為す。善に従ふこと流るるが如く、恵みを施して倦まず。国を有つこと、亦た宜ならずや。昔我が文公は、狐季姫の子なり。献公に寵有り。学を好みて倦まず。生まれて十七年にして、士五人有り。先大夫子余・子犯有りて以て腹心と為し、魏犫・賈佗有りて以て股肱と為し、斉・宋・秦・楚有りて以て外主と為し、欒・郤・狐・先有りて以て内主と為す。亡ぐること十九年、志を守ること彌々篤し。恵・懐民を棄て、民従ひて之に与す。故に文公国を有つこと、亦た宜ならずや。子比は民に施すこと無く、外に援け無し。晋を去るも、晋送らず。楚に帰るも、楚迎へず。何を以て国を有たん」と。子比果たして終へず。卒に立つ者は棄疾なり。叔向の言の如し。平王の二年、費無忌をして秦に如きて太子建の為に婦を取らしむ。婦好し。来たりて、未だ至らざるに、無忌先に帰り、平王に説きて曰く、「秦の女好し。自ら娶るべし。太子の為に更に求めよ」と。平王之を聴き、卒に自ら秦の女を娶り、熊珍を生む。更に太子の為に娶る。是の時伍奢太子の太傅為り、無忌少傅為り。無忌太子に寵無く、常に太子建を讒悪す。建時に年十五なり。其の母は蔡の女なり。王に寵無く、王稍く益々建を疎外す。六年、太子建をして城父に居り、辺を守らしむ。
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