説苑 / 權謀
安陵纏以顏色美壯,得幸於楚共王。江乙往見安陵纏,曰:「子之先人豈有矢石之功於王乎?」曰:「無有。」江乙曰:「子之身豈亦有乎?」曰:「無有。」江乙曰:「子之貴何以至於此乎?」曰:「僕不知所以。」江乙曰:「吾聞之,以財事人者,財盡而交疏;以色事人者,華落而愛衰。今子之華,有時而落,子何以長幸無解於王乎?」安陵纏曰:「臣年少愚陋,願委智於先生。」江乙曰:「獨從為殉可耳。」安陵纏曰:「敬聞命矣!」江乙去。居期年,逢安陵纏,謂曰:「前日所諭子者,通於王乎?」曰:「未可也。」居期年。江乙復見安陵纏曰:「子豈諭王乎?」安陵纏曰:「臣未得王之間也。」江乙曰:「子出與王同車,入與王同坐。居三年,言未得王之間,子以吾之說未可耳。」不悅而去。其年,共王獵江渚之野,野火之起若雲蜺,虎狼之嗥若雷霆。有狂兕從南方來,正觸王左驂,王舉旌旄,而使善射者射之,一發,兕死車下,王大喜,拊手而笑,顧謂安陵纏曰:「吾萬歲之後,子將誰與斯樂乎?」安陵纏乃逡巡而卻,泣下沾衿,抱王曰:「萬歲之後,臣將從為殉,安知樂此者誰?」於是共王乃封安陵纏於車下三百戶。故曰:「江乙善謀,安陵纏知時。」
新字:安陵纏以顔色美壮,得幸於楚共王。江乙往見安陵纏,曰:「子之先人豈有矢石之功於王乎?」曰:「無有。」江乙曰:「子之身豈亦有乎?」曰:「無有。」江乙曰:「子之貴何以至於此乎?」曰:「僕不知所以。」江乙曰:「吾聞之,以財事人者,財尽而交疏;以色事人者,華落而愛衰。今子之華,有時而落,子何以長幸無解於王乎?」安陵纏曰:「臣年少愚陋,願委智於先生。」江乙曰:「独従為殉可耳。」安陵纏曰:「敬聞命矣!」江乙去。居期年,逢安陵纏,謂曰:「前日所諭子者,通於王乎?」曰:「未可也。」居期年。江乙復見安陵纏曰:「子豈諭王乎?」安陵纏曰:「臣未得王之間也。」江乙曰:「子出与王同車,入与王同坐。居三年,言未得王之間,子以吾之説未可耳。」不悦而去。其年,共王猟江渚之野,野火之起若雲蜺,虎狼之嗥若雷霆。有狂兕従南方来,正触王左驂,王舉旌旄,而使善射者射之,一発,兕死車下,王大喜,拊手而笑,顧謂安陵纏曰:「吾万歳之後,子将誰与斯楽乎?」安陵纏乃逡巡而却,泣下沾衿,抱王曰:「万歳之後,臣将従為殉,安知楽此者誰?」於是共王乃封安陵纏於車下三百戸。故曰:「江乙善謀,安陵纏知時。」
書き下し
安陵纏顏色の美壯を以て、幸を楚の共王に得たり。江乙往きて安陵纏に見えて曰く、「子の先人豈に矢石の功王に有りしか」と。曰く、「有ること無し」と。江乙曰く、「子の身豈に亦た有りしか」と。曰く、「有ること無し」と。江乙曰く、「子の貴何を以て此に至るや」と。曰く、「僕知る所以を知らず」と。江乙曰く、「吾之を聞く、財を以て人に事ふる者は、財盡きて交疏し。色を以て人に事ふる者は、華落ちて愛衰ふと。今子の華、時有りて落ちん。子何を以て長く幸を王に解くこと無からしめんや」と。安陵纏曰く、「臣年少く愚陋なり。願はくは智を先生に委ねん」と。江乙曰く、「獨り從ひて殉と爲るのみ可なり」と。安陵纏曰く、「敬んで命を聞けり」と。江乙去る。期年を居て、安陵纏に逢ひて謂ひて曰く、「前日子に諭す所の者、王に通ぜしか」と。曰く、「未だ可ならざるなり」と。期年を居る。江乙復た安陵纏に見えて曰く、「子豈に王を諭せしか」と。安陵纏曰く、「臣未だ王の間を得ざるなり」と。江乙曰く、「子出でては王と車を同じくし、入りては王と坐を同じくす。三年を居て、未だ王の間を得ずと言ふ。子吾が說の未だ可ならざるを以てするのみ」と。悅ばずして去る。其の年、共王江渚の野に獵す。野火の起ること雲蜺の若く、虎狼の嗥ること雷霆の若し。狂兕の南方より來る有り、正に王の左驂に觸る。王旌旄を舉げ、善く射る者をして之を射しむ。一發にして、兕車下に死す。王大いに喜び、手を拊ちて笑ふ。顧みて安陵纏に謂ひて曰く、「吾萬歲の後、子將に誰と斯の樂を與にせんとするか」と。安陵纏乃ち逡巡して卻き、泣きて下り衿を沾し、王を抱きて曰く、「萬歲の後、臣將に從ひて殉と爲らんとす。安んぞ此を樂しむ者の誰たるを知らん」と。是に於て共王乃ち安陵纏を車下に封ずること三百戶。故に曰く、「江乙善謀、安陵纏時を知る」と。
現代語訳
安陵纏はその美しく壮健な容姿によって、楚の共王の寵愛を得ていた。江乙が安陵纏のもとを訪ねて言った。「あなたの先祖は、王のために矢石の危険を冒すような戦功を立てたことがあるか」。「ありません」。「あなた自身にはそのような功績があるか」。「ありません」。「それならば、あなたの今の高い身分は何によって得られたのか」。「私自身、なぜだか分かりません」。江乙は言った。「私はこう聞いている。財貨によって人に仕える者は、財が尽きれば交わりも疎遠になる。容色によって人に仕える者は、その花が散れば愛情も衰える、と。今のあなたの美しさも、いずれ時が来れば衰えるだろう。あなたはどうして王からの寵愛をいつまでも解かれずにいられるようにしたいと思わないのか」と。安陵纏は「私は年若く愚かです。どうか先生の知恵にお任せしたい」と言った。江乙は「ただ、王に殉じる覚悟を示すだけでよい」と言った。安陵纏は「謹んで承りました」と答えた。江乙は立ち去った。一年ほど経って、江乙は安陵纏に再会して「先日申し上げたことは、王にお伝えできたか」と尋ねた。「まだその機会がありません」。さらに一年経ち、江乙はまた安陵纏に会って「王に申し上げられたか」と尋ねた。安陵纏は「まだ王のお心が動く機会を得ておりません」と答えた。江乙は「あなたは外出すれば王と車を同じくし、宮中では王と席を同じくしている。三年も経つのに、まだ機会を得ないと言う。それはあなたが、私の策がまだ機が熟していないと判断しているだけなのだろう」と言い、不満げに立ち去った。その年、共王は江のほとりの野で狩りを行った。野火が立ち上って雲や虹のようであり、虎や狼の吠える声は雷鳴のようであった。そこへ狂ったように暴れる兕(野牛)が南方から現れ、まさに王の左側の添え馬に襲いかかった。王は旌旗を掲げ、弓の得意な者に射させた。一矢でその兕は車の下に倒れて死んだ。王は大いに喜び、手を打って笑った。そして安陵纏を振り返って言った。「私が死んだ後、お前は一体誰とこの楽しみを共にするつもりか」と。安陵纏はそこでためらいながら後ずさりし、涙を流して衿を濡らし、王を抱きしめて言った。「あなた様が亡くなられた後には、私はお供して殉死するつもりでございます。どうしてこの楽しみを他の誰かと共にすることなどありましょうか」と。これを聞いた共王は、安陵纏に車の下で三百戸の領地を封じ与えた。だから言うのである、「江乙はよく謀り、安陵纏はよく機を知った」と。
解説

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