説苑 / 權謀
中行文子出亡至邊,從者曰:「為此嗇夫者君人也,胡不休焉,且待後車者。」文子曰:「異日吾好音,此子遺吾琴,吾好佩,又遺吾玉,是不非吾過者也,自容於我者也。吾恐其以我求容也,遂不入。」後車入門,文子問嗇夫之所在,執而殺之。仲尼聞之,曰:「中行文子背道失義以亡其國,然後得之,猶活其身,道不可遺也,若此。」
新字:中行文子出亡至辺,従者曰:「為此嗇夫者君人也,胡不休焉,且待後車者。」文子曰:「異日吾好音,此子遺吾琴,吾好佩,又遺吾玉,是不非吾過者也,自容於我者也。吾恐其以我求容也,遂不入。」後車入門,文子問嗇夫之所在,執而殺之。仲尼聞之,曰:「中行文子背道失義以亡其国,然後得之,猶活其身,道不可遺也,若此。」
書き下し
中行文子亡げて邊に出づるに至り、從者曰く、「此の嗇夫爲る者は君人なり。胡ぞ休せざる、且つ後車を待たん」と。文子曰く、「異日吾音を好めば、此の子吾に琴を遺る。吾佩を好めば、又た吾に玉を遺る。是れ吾が過を非とせざる者なり。我に容るる所以の者なり。吾其の我を以て容を求むるを恐る。遂に入らず」と。後車門に入り、文子嗇夫の在る所を問ひ、執へて之を殺す。仲尼之を聞きて曰く、「中行文子道に背き義を失ひて以て其の國を亡ぼす。然る後に之を得て、猶ほ其の身を活かす。道遺つべからざること此くの若し」と。
現代語訳
中行文子が国を追われて国境まで逃げてきたとき、従者が「この関所の役人はあなたの世話をしてくれる人です。どうして休んでいかないのですか。後続の車も待てばよいでしょう」と言った。文子は答えた。「以前、私が音楽を好んでいたときには、この者は私に琴を贈ってきた。私が佩玉を好んでいたときには、また玉を贈ってきた。これは私の過ちを咎めなかった者、つまり私に取り入ろうとした者だ。私は自分がこの者に利用され、名目にされることを恐れる」と言い、結局その関所には入らなかった。後続の車が門に入ると、文子は例の役人がどこにいるか尋ねさせ、捕らえて処刑した。孔子はこれを聞いて言った。「中行文子は道に背き義を失ってその国を滅ぼした。しかしその後になってもこの道理を会得し、なお自分の身を生き延びさせることができた。道というものは、たとえどんな境遇にあっても手放してはならないものだと、これほどよく分かる例はない」と。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孔子家語・辯政子曰わく、「夫れ道は貴ばざる可からざるなり。中行文子道に倍きて義を失い、以て其の國を亡ぼす。而れども能く賢を禮し、以て其の身を活かす。聖人禍を轉じて福と為すとは、此を謂うか。」
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『淮南子』人間訓昔者、衛君 吳に朝す。吳王 之を囚え、之を海に流さんと欲す。說く者 冠蓋 相い望むも、止むる能わず。魯君 之を聞き、鐘鼓の縣を撤し、縞素して朝す。仲尼 入り見えて曰く「君 胡爲れぞ憂色有る」と。魯君曰く「諸侯に親無く、諸侯を以て親と爲す。大夫に黨無く、大夫を以て黨と爲す。今 衛君 吳王に朝するに、吳王 之を囚えて海に流さんと欲す。孰か衛君の仁義にして此の難に遭わんと意わんや。吾 之を免れしめんと欲するも能わず。奈何と爲さん」と。仲尼曰く「若し之を免れしめんと欲せば、則ち子貢を行かしむるを請う」と。魯君 子貢を召し、之に將軍の印を授く。子貢 辭して曰く「貴きは患を解くに益無し。由る所の道に在り」と。躬を斂めて行き、吳に至り、太宰嚭に見ゆ。
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説苑・善說衛の將軍文子子貢に問いて曰く、「季文子三たび窮して三たび通ず、何ぞや。」子貢曰く、「其の窮するや賢に事え、其の通ずるや窮を舉げ、其の富むや貧を分かち、其の貴きや賤を禮す。窮して賢に事うれば則ち悔いず、通じて窮を舉ぐれば則ち朋友に忠なり、富みて貧を分かてば則ち宗族之に親しみ、貴くして賤を禮すれば則ち百姓之を戴く。其の之を得るや、固より道なり、之を失うや、命なり。」曰く、「失いて得ざる者は何ぞや。」曰く、「其の窮するや賢に事えず、其の通ずるや窮を擧げず、其の富むや貧を分かたず、其の貴きや賤を理せざれば、其の之を得るや命なり、其の之を失うや固より道なり。」
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説苑・權謀智伯衛を襲はんと欲し、乃ち佯りて其の太子顏を亡はしめ、衛に奔らしむ。南文子曰く、「太子顏の其の君爲るや、甚だ愛せらる。大罪有るに非ずして、之を亡はすや。必ず故有らん」と。然れども人亡げて受けざるは不祥なり。吏をして之を逆へしめて曰く、「車五乘を過ぐれば、慎みて內るる勿かれ」と。智伯之を聞き、乃ち止む。
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史記 孔子世家孔子陳蔡の間に在り、乃ち相与に徒役を発して孔子を野に囲む。行くを得ず、糧を絶つ。従者病み、能く興つもの莫し。孔子講誦弦歌して衰へず。子路慍りて見えて曰く、「君子も亦た窮すること有るか」と。孔子曰く、「君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」と。
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説苑・貴德孟簡子梁を相として衛を并せしも、罪有りて斉に走る、管仲迎へて之に問ひて曰く、「吾子梁を相として衛を并せし時、門下の使者幾何人ぞや」と。孟簡子曰く、「門下の使者三千余人有り」と。管仲曰く、「今幾何人と与に来れる」と。対へて曰く、「臣三人と俱にす」と。仲曰く、「是れ何ぞや」と。対へて曰く、「其の一人は父死して以て葬る無し、我之が為に葬れり。一人は母死して以て葬る無し、亦た之が為に葬れり。一人は兄獄有り、我之が為に出せり。是を以て三人来るを得たり」と。管仲車に上りて曰く、「嗟茲かな、我窮すること必せり。吾春風の人を風する能はず、吾夏雨の人を雨する能はず、吾窮すること必せり」と。