戦国策 / 昭奚恤與彭城君議於王前
昭奚恤與彭城君議於王前,王召江乙而問焉。江乙曰:「二人之言皆善也,臣不敢言其後。此謂慮賢也。」
新字:昭奚恤与彭城君議於王前,王召江乙而問焉。江乙曰:「二人之言皆善也,臣不敢言其後。此謂慮賢也。」
書き下し
昭奚恤と彭城君と王前に議す。王、江乙を召して問う。江乙曰わく、「二人の言皆善し。臣敢えて其の後を言わず。此れを賢を慮ると謂う。」
現代語訳
昭奚恤と彭城君が王の御前で議論をした。王は江乙を呼んでその優劣を尋ねた。江乙は言った。「お二人の言葉はどちらも立派なものです。私はどちらが優れているかをあえて申しません。これを賢者への配慮というのです。」
解説
王の御前で対立する二人の重臣の議論について、王から優劣を問われた江乙が「どちらも立派で、優劣は申せません」と答えた短い逸話です。江乙はこれを「賢を慮る」態度だと自賛していますが、実際には派閥対立に巻き込まれることを避ける処世術とも読めます。戦国期の宮廷では、どちらの勢力についたかで身の安全が左右されたため、あえて明言を避けることが賢明な選択になる場面がありました。現代の組織内対立でも、当事者双方の顔を立てつつ自分の立場を明かさない対応が、政治的リスクを避ける手段として使われることがあります。ただし、これは責任回避にもなりうる諸刃の剣です。
この章句が説くこと
江乙処世術宮廷政治中立楚
関連する章句
-
孟子・滕文公章句下公孫丑問いて曰く、「諸侯を見ざるは、何の義ぞ。」孟子曰く、「古者は、臣為らざれば見ず。段干木は垣を踰えて之を辟け、泄柳は門を閉じて內れず。是れ皆已甚だし。迫らば斯に以て見る可し。陽貨、孔子を見んと欲して禮無しとせらるるを惡む。大夫、士に賜うこと有るに、其の家に受くること得ざれば、則ち往きて其の門に拜す。陽貨、孔子の亡きを矙(うかがう)いて、孔子に蒸豚を饋る。孔子も亦た其の亡きを矙いて、往きて之を拜せり。是の時に當り、陽貨先んぜり。豈に見ざるを得んや。曾子曰く、『肩を脅かし諂い笑うは、夏畦よりも病る。』子路曰く、『未だ同じからずして言う、其の色を觀るに、赧(タン)赧然たり。由の知る所に非ざるなり。』是に由りて之を觀れば、則ち君子養う所、知る可きのみ。」
-
『韓非子』難二第三十七紂は其の大いに人心を得るを以てして之を悪むに、己又地を軽んじて以て人心を收むるは、是れ重ねて疑わるるなり。
-
葉隠・聞書第二貴人、老人などの前にて、左右(とかく)なく学問かた、道徳の事、昔話等遠慮すべし。聞きにくし。聞きにくく。
-
菜根譚・前集事を謝するは当に正に盛んなるの時に謝すべし。身を居くは宜しく独り後るるの地に居くべし。徳を謹むは須らく至微の事に謹むべし。恩を施すは務めて報いざるの人に施すべし。
-
葉隠・聞書第十一口論の時心持(こころもち)の事。口論の仕様(しよう)はまづ相手に言はせ、過言(かごん)の弱みにつけ込む事。随分(ずいぶん)尤(もっと)もと折れて見せ、向(むこ)ふに詞(ことば)を尽くさせ、勝ちに乗つて過言を、弱みを見取つて返し、思ふ程云ふべし。
-
戦国策・客謂司馬食其客、司馬食其に謂いて曰く、「久しきを慮りて天下を以て一つにすべしと為す者は、是れ天下を知らざる者なり。独り魏を以て秦を支えんと欲する者は、是れ又た魏を知らざる者なり。茲公は此の両者を知らずと謂わば、又た茲公を知らざる者なり。然り而して茲公従を為すは、其の説何ぞや。従なれば則ち茲公重く、従ならざれば則ち茲公軽し。茲公の重きに処るや、実に期を為さず。子何ぞ疾く三国の方に堅きに及びて、自ら秦に売らざるか。秦必ず子を受けん。然らずんば、横なる者将に子を図りて以て秦に合せんとす、是れ子の資を取りて、以て子の讎に資するなり。」