説苑 / 權謀
齊欲妻鄭太子忽,太子忽辭,人問其故,太子曰:「人各有偶,齊大,非吾偶也。詩云:『自求多福。』在我而已矣。」後戎伐齊,齊請師于鄭。鄭太子忽率師而救齊,大敗戎師,齊又欲妻之。太子固辭,人問其故。對曰:「無事於齊,吾猶不敢。今以君命救齊之急,受室以歸,人其以我為師婚乎?」終辭之。
新字:斉欲妻鄭太子忽,太子忽辞,人問其故,太子曰:「人各有偶,斉大,非吾偶也。詩云:『自求多福。』在我而已矣。」後戎伐斉,斉請師于鄭。鄭太子忽率師而救斉,大敗戎師,斉又欲妻之。太子固辞,人問其故。対曰:「無事於斉,吾猶不敢。今以君命救斉之急,受室以帰,人其以我為師婚乎?」終辞之。
書き下し
齊鄭の太子忽に妻はさんと欲す。太子忽辭す。人其の故を問ふ。太子曰く、「人各〻偶有り。齊は大なり。吾が偶に非ざるなり。詩に云ふ、『自ら多福を求む』と。我に在るのみ」と。後戎齊を伐つ。齊師を鄭に請ふ。鄭の太子忽師を率ゐて齊を救ひ、大いに戎師を敗る。齊又た之に妻はさんと欲す。太子固く辭す。人其の故を問ふ。對へて曰く、「齊に事無きに、吾猶ほ敢へてせず。今君命を以て齊の急を救ひ、室を受けて以て歸らば、人其れ我を以て師婚と爲さんか」と。終に之を辭す。
現代語訳
斉が娘を鄭の太子忽に嫁がせようとした。太子忽はこれを辞退した。ある人がその理由を尋ねると、太子は言った。「人にはそれぞれふさわしい相手がある。斉は大国であり、私にふさわしい相手ではない。詩経にも『自ら多くの幸福を求める』とあるが、それは自分自身の中にあるものだ」と。その後、戎が斉を攻めた。斉は鄭に援軍を求めた。鄭の太子忽は軍を率いて斉を救援し、戎の軍勢を大いに打ち破った。斉はまた娘を彼に嫁がせようとしたが、太子はなおも固く辞退した。ある人がその理由を尋ねると、太子は答えた。「斉に何事もなかったときでさえ、私はあえて縁組を受けなかった。今、君命によって斉の急を救い、その功績によって妻を娶って帰るようなことをすれば、人々は私を、戦の手柄によって嫁を得た者と見なすのではないか」と。ついに最後までこれを辞退した。
解説

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『春秋左氏伝』桓公六年 太子忽、斉の縁談を辞す夏、成に會す。紀來りて齊の難を諮り謀るなり。北戎齊を伐つ。齊師を鄭に乞はしむ。鄭の大子忽師を帥ゐて齊を救ふ。六月、大いに戎の師を敗り、其の二帥大良・少良を獲、甲首三百、以て齊に獻ず。是に於て諸侯の大夫齊を戍る。齊人之に餼を饋り、魯をして其の班を為さしむ、鄭を後にす。鄭の忽其の功有るを以て、怒る。故に郎の師有り。公の未だ齊に昏せざるや、齊侯文姜を以て鄭の大子に妻はせんと欲す。大子忽辭す。人其の故を問ふ。大子曰く、「人各おの耦有り、齊は大なり、吾が耦に非ず。《詩》に云ふ、『自ら多福を求む』と。我に在るのみ、大國何をか為さん」と。君子曰く、「善く自ら謀を為す」と。其の戎の師を敗るに及ぶや、齊侯又之に妻はせんことを請ふ。固く辭す。人其の故を問ふ。大子曰く、「齊に事無きときすら、吾猶ほ敢へてせず。今君命を以て、齊の急に奔りて、室を受けて以て歸らば、是れ師を以て昏するなり。民其れ我を何とか謂はん」と。遂に諸を鄭伯に辭す。秋、大いに閲す、車馬を簡ぶなり。
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説苑・指武晉の智伯鄭を伐つ、齊の田恒之を救う、蓋を登るる有れば必ず身自ら立ち、車徒進まざる者有れば必ず之を助けしむ。壘合いて後に敢えて處り、井灶成りて後に敢えて食す。智伯曰く、「吾聞く田恒新たに國を得て其の民を愛し、內は其の財を同じくし、外は其の勤勞を同じくす、軍を治むること此くの如し、其の眾を得ること、待つべからざるなり」と。乃ち之を去るのみ。
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