説苑 / 權謀
湯欲伐桀。伊尹曰:「請阻乏貢職以觀其動。」桀怒,起九夷之師以伐之。伊尹曰:「未可。彼尚猶能起九夷之師,是罪在我也。」湯乃謝罪請服,復入貢職。明年,又不供貢職。桀怒,起九夷之師,九夷之師不起。伊尹曰:「可矣。」湯乃興師,伐而殘之。遷桀南巢氏焉。
新字:湯欲伐桀。伊尹曰:「請阻乏貢職以観其動。」桀怒,起九夷之師以伐之。伊尹曰:「未可。彼尚猶能起九夷之師,是罪在我也。」湯乃謝罪請服,復入貢職。明年,又不供貢職。桀怒,起九夷之師,九夷之師不起。伊尹曰:「可矣。」湯乃興師,伐而残之。遷桀南巣氏焉。
書き下し
湯桀を伐たんと欲す。伊尹曰く、「請ふ貢職を阻絕して以て其の動くを觀ん」と。桀怒り、九夷の師を起して以て之を伐たんとす。伊尹曰く、「未だ可ならず。彼尚ほ猶ほ能く九夷の師を起す。是れ罪我に在るなり」と。湯乃ち罪を謝し請服し、復た貢職を入る。明年、又た貢職を供せず。桀怒り、九夷の師を起さんとするも、九夷の師起らず。伊尹曰く、「可なり」と。湯乃ち師を興し、伐ちて之を殘す。桀を南巢氏に遷す。
現代語訳
湯王が桀王を討とうとした。伊尹は「まず貢物を絶って、相手の出方を見ましょう」と進言した。桀王は怒り、九夷の軍勢を動員してこれを討とうとした。伊尹は「まだ討つべき時ではありません。彼はいまだに九夷の軍勢を動かす力を持っています。この段階で挙兵すれば、罪はこちらにあることになります」と言った。そこで湯王は罪を詫びて服従を願い出て、再び貢物を納めた。翌年、湯王はまた貢物を供えなかった。桀王は怒り、再び九夷の軍勢を動員しようとしたが、今度は九夷の軍勢が集まらなかった。伊尹は「今こそ好機です」と言った。そこで湯王は軍を興し、桀を討ってこれを滅ぼし、桀を南巣氏の地に追放した。
解説
伊尹は一度目の反抗(貢物停止)で桀王がまだ諸侯を動員できることを確認すると、あえて謝罪して引き下がり、二度目の反抗で誰も従わなくなったことを見て初めて挙兵する。これは単なる忍耐ではなく、相手がまだ支持を集められる段階での攻撃は自分たちが「侵略者」という不利な立場に立たされるという、大義名分を得るための計算された二段階の試験である。現代の交渉や競合との対峙でも、力量や支持基盤が十分に落ちていない段階で仕掛ければ反発を招くだけだが、相手の求心力が本当に失われたタイミングを見極めてから動けば、周囲の支持を得たまま事を成せる。行動のタイミングを測るための「試し」の重要性を、この逸話は端的に示している。
この章句が説くこと
挙兵のタイミング大義名分二段階の試し
関連する章句
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呂氏春秋・愼大②桀、無道を為し、暴戻頑貪、天下顫え恐れて之を患う。言う者同じからず、紛紛分分として、其の情得難し。干辛、威に任せ、諸侯を凌轢して、以て兆民に及び、賢良鬱怨す。彼の龍逢を殺して、以て群凶を服す。衆庶泯泯として、皆遠志を有し、敢て直言する莫く、其の生は驚くが若し。大臣患いを同じくして、周からずして畔く。桀愈々自ら賢として、過ちを矜り非を善とす。主道重塞し、國人大いに崩る。湯乃ち惕懼し、天下の寧からざるを憂え、伊尹をして往きて曠夏を視しめんと欲するも、其の信ぜられざるを恐れ、湯由りて親自ら伊尹を射る。伊尹、夏に奔りて三年、反りて亳に報じて曰く、「桀は末嬉に迷惑し、彼の琬琰を好みて、其の衆を恤えず、衆志堪えず、上下相疾み、民心怨みを積み、皆曰く、『上天恤まず、夏の命其れ卒きん。』」湯、伊尹に謂いて曰く、「若の我に曠夏を告ぐるは、盡く詩の如し。」湯と伊尹と盟いて、以て必ず夏を滅ぼさんことを示す。伊尹又復た往きて曠夏を視んとし、末嬉に聽く。末嬉言いて曰く、「今昔、天子、西方に日有り、東方に日有り、兩日相與に鬭う、西方の日勝ち、東方の日勝たざるを夢む。」伊尹以て湯に告ぐ。商、涸旱するも、湯猶ほ師を發して、以て伊尹の盟いを信にせんとす。故に師をして東方從りして國の西に出でて、以て進ましむ。未だ刃を接せずして桀走る。之を逐い大沙に至る、身體離散し、天下の戮と為りて、正諫す可からず。後に之を悔ゆと雖も、將た奈何す可き。湯立ちて天子と為るや、夏の民大いに説び、慈親を得たるが如し。朝は位を易えず、農は疇を去らず、商は肆を變ぜず、郼に親しむこと夏のごとし。此を之れ至公と謂い、此を之れ至安と謂い、此を之れ至信と謂う。盡く伊尹の盟いを行い、旱殃を避けず、伊尹を祖して世世商を享せしむ。
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荘子・譲王湯将に桀を伐たんとす。卞随(べんずい)に因りて謀る。卞随曰く、「吾が事に非ざるなり」と。湯曰く、「孰(たれ)か可なる」と。曰く、「吾は知らざるなり」と。湯又た瞀光(ぼうこう)に因りて謀る。瞀光曰く、「吾が事に非ざるなり」と。湯曰く、「孰か可なる」と。曰く、「吾は知らざるなり」と。湯曰く、「伊尹は何如」と。曰く、「強力にして垢(はじ)を忍ぶ。吾は其の他を知らざるなり」と。湯遂に伊尹と与に桀を伐つを謀る。
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『墨子』非攻下夏王桀に逮び至りて、天に命有り。日月、時ならず、寒暑、雜り至り、五榖、焦れ死し、鬼、國に呼び、鸖、鳴くこと十餘。夕べに乃ち湯に鑣宫に命じ、用て夏の大命を受けしむ。「夏の徳、大いに亂る。予れ既に其の命を天に卒えたり。往きて之を誅せよ。必ず女をして之に堪えしめん」と。湯、焉ち敢えて其の衆を奉率し、是を以て有夏の境に鄉かう。帝、乃ち隂をして暴かに有夏の城を毁たしむ。少少ありて、神有り來りて告げて曰く、「夏の徳、大いに亂る。往きて之を攻めよ。予れ必ず汝をして大いに之に堪えしめん。予れ既に命を天に受く。天、命じて火を夏の城の間、西北の隅に融隆せしむ」と。湯、桀の衆を奉じて以て克ち、諸侯を薄に屬せしめ、天命を薦め章らかにして、四方に通ず。而して天下の諸侯、敢えて賔服せざる莫し。則ち此れ湯の桀を誅せし所以なり。
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呂氏春秋・簡選②殷湯は、良車七十乘、必死六千人、戊子を以て郕に戰い、遂に推移・大犧を禽にし、鳴條自り登り、乃ち巢門に入り、遂に夏を有つ。桀既に奔走す。是に於て大いに仁慈を行い、以て黔首を恤む。桀の事に反し、其の賢良を遂げしめ、民の喜ぶ所に順う。遠近之に歸し、故に天下に王たり。
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『管子』輕重甲桓公管子に問いて曰く、「夫れ湯は七十里の薄を以て、桀の天下を兼ぬ、其の故は何ぞや」と。管子對えて曰く、「桀なる者は、冬に杠を為らず、夏に柎を束ねず、以て凍溺を觀る。牝虎を㢮ちて市に充たし、以て其の驚駭を觀る。湯に至りては然らず、競を夷らげて粟を積み、饑うる者は之を食らわしめ、寒ゆる者は之に衣し、資らざる者は之を振う、天下の湯に歸すること流水の若し。此れ桀の其の天下を失う所以なり」と。桓公曰く、「桀は湯をして是を為すを得しむ、其の故は何ぞや」と。管子曰く、「女華なる者は、桀の愛する所なり、湯之に事うるに千金を以てす。曲逆なる者は、桀の善しとする所なり、湯之に事うるに千金を以てす。内には則ち女華の隂有り、外には則ち曲逆の陽有り、隂陽の議合して、其の天子と成るを得たり。此れ湯の隂謀なり」と。
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『新序』刺奢第六桀瑤臺を作り、民力を罷らし、民財を殫くす。酒池糟隄を爲り、靡靡の樂を縱にす。一たび鼓して牛飲する者三千人。羣臣相い持して歌いて曰く、江水沛沛たり、舟楫敗れたり、我が王廢れたり、趣きて薄に歸らん、薄も亦た大なり、と。又た曰く、樂しいかな樂しいかな、四牡蹻たり、六轡沃たり、不善を去りて善に從わば、何ぞ樂しからざらん、と。伊尹天命の至るを知り、觴を舉げて桀に吿げて曰く、君王臣の言を聽かずんば、亡ぶること日無からん、と。桀拍然として作ち、啞然として笑いて曰く、子何ぞ妖言する。吾に天下有るは、天に日有るが如きなり。日に亡ぶること有らんや。日亡べば吾も亦た亡びん、と。是に於いて履を接ぎて趨り、遂に湯に適く。湯立てて相と爲す。故に伊尹官を去りて殷に入り、殷王として夏亡ぶ。