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史記 / 孔子世家

孔子陳蔡の間に在り、乃ち相与に徒役を発して孔子を野に囲む。行くを得ず、糧を絶つ。従者病み、能く興つもの莫し。孔子講誦弦歌して衰へず。子路慍りて見えて曰、君子も亦た窮すること有るか。孔子曰、君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る。

書き下し

孔子陳蔡の間に在り、乃ち相与に徒役を発して孔子を野に囲む。行くを得ず、糧を絶つ。従者病み、能く興つもの莫し。孔子講誦弦歌して衰へず。子路慍りて見えて曰く、「君子も亦た窮すること有るか」と。孔子曰く、「君子固より窮す、小人窮すれば斯に濫る」と。

現代語訳

「困窮のときこそ、その人の真価が現れる——優れた者は取り乱さず、筋を守り抜く」——孔子が、陳と蔡の間で、絶体絶命の窮地に陥ったときの逸話です。孔子の一行が、陳と蔡の国境地帯で、(孔子の登用を恐れた地元の大夫たちに)野原で包囲され、身動きが取れなくなりました。食料も尽き、付き従う弟子たちは、次々と飢えと疲労で病に倒れ、立ち上がる力もありません。まさに、絶体絶命の窮地です。ところが——そのような、絶望的な状況の中でも、孔子は、いつもと変わらず、書を講じ、詩を吟じ、琴を弾いて歌うことを、少しも、やめませんでした(講誦弦歌不衰)。動じることなく、平然と、自らの学びと修養を、続けていたのです。これを見て、剛直な弟子・子路が、怒りをあらわにして、詰め寄りました。「(正しい道を説いてきた)君子でも、(このように、)窮地に陥ることが、あるのですか(君子亦有窮乎)」と。(正しく生きてきたのに、なぜこんな目に、という不満です。)孔子は、静かに、こう答えました。「君子(優れた人物)も、もとより、窮地に陥ることは、ある。しかし、(両者の違いは、)小人(つまらない人物)は、窮地に陥ると、(取り乱して、)そこで、あらゆる節度を失い、乱れてしまうのだ(君子固窮、小人窮斯濫矣)」と。優れた者も、困窮する。だが、その困窮のときに、取り乱して自らを見失うか、平然と筋を守り抜くかで、真価が分かれる、というのです。ここに、逆境と真価についての教訓があります。第一に、優れた人物でも、正しく生きていても、困窮や逆境に陥ることは、あるということ(君子固窮)。逆境に陥ること自体は、その人の価値の否定ではない。正しさは、必ずしも、順境を保証しない。第二に、そして、本当にその人の真価が現れるのは、困窮・逆境のときだということ。順境では、誰でも立派に見える。しかし、追い詰められたとき、取り乱して、節度も、筋も、失ってしまう者(小人)と、平然と、自らを保ち、筋を守り抜く者(君子)とに、はっきりと分かれる(小人窮斯濫矣)。第三に、だからこそ、逆境のときこそ、動じず、取り乱さず、自らの信じる道を、淡々と続けること(講誦弦歌不衰)。組織や人生で、正しく生きていても逆境に陥ることはあると知ること、真価は困窮・逆境のときにこそ現れると自覚すること、そして逆境のときこそ取り乱さず筋を守り抜くこと——孔子の「君子固窮」は、逆境における真価のあり方を教えます。

解説

あなたは、優れた人物でも、正しく生きていても、困窮や逆境に陥ることはある——逆境に陥ること自体は、自分の価値の否定ではないと、理解していますか?順境のときではなく、追い詰められた困窮・逆境のときにこそ、その人の真価が現れることを、自覚できていますか?逆境や窮地に陥ったとき、取り乱して節度も筋も失うのではなく、動じずに、自らの信じる道を淡々と守り抜くことができますか?

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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