説苑 / 權謀
石益謂孫伯曰:「吳將亡矣!吾子亦知之乎?」孫伯曰:「晚矣,子之知之也。吾何為不知?」石益曰:「然則子何不以諫?」孫伯曰:「昔桀罪諫者,紂焚聖人,剖王子比干之心。袁氏之婦,絡而失其紀,其妾告之,怒棄之。夫亡者,豈斯人知其過哉?」
新字:石益謂孫伯曰:「吳将亡矣!吾子亦知之乎?」孫伯曰:「晩矣,子之知之也。吾何為不知?」石益曰:「然則子何不以諫?」孫伯曰:「昔桀罪諫者,紂焚聖人,剖王子比干之心。袁氏之婦,絡而失其紀,其妾告之,怒棄之。夫亡者,豈斯人知其過哉?」
書き下し
石益孫伯に謂ひて曰く、「吳將に亡びんとす。吾子も亦た之を知るか」と。孫伯曰く、「晚し、子の之を知るや。吾何爲れぞ知らざらん」と。石益曰く、「然らば則ち子何ぞ以て諫めざる」と。孫伯曰く、「昔桀諫者を罪し、紂聖人を焚き、王子比干の心を剖く。袁氏の婦、絡して其の紀を失ふや、其の妾之を告げしに、怒りて之を棄つ。夫れ亡ぶる者は、豈に斯の人其の過を知らんや」と。
現代語訳
石益が孫伯に「呉はまさに滅びようとしている。あなたもそれを知っているか」と言った。孫伯は「遅いな、あなたがそれに気づくのは。私がどうして知らないでいられようか」と答えた。石益が「それならば、あなたはどうして諫めないのか」と問うと、孫伯は言った。「昔、桀は諫める者を罰し、紂は聖人(を自称する者)を焼き殺し、王子比干の心臓を切り裂いた。また袁氏の妻は、糸を紡いでいてその糸筋を乱してしまったとき、それを告げた侍女に怒って彼女を追い出した。そもそも滅びる者というのは、そもそも自分の過ちを知ろうとしないものなのだ」と。
解説
石益は「なぜ諫めないのか」と孫伯を問い詰めるが、孫伯の答えは諫言の無力さを歴史上の暴君の実例で裏づける。滅びる者に共通するのは、能力の欠如ではなく、自分の過ちを指摘されることそのものを拒絶する姿勢である。糸の乱れを指摘された程度のことで侍女を追い出す袁氏の妻の逸話は、暴君の物語と並べることで、この構造が権力の大小を問わず誰にでも起こり得ることを示している。現代でも、耳の痛い指摘に対して内容の是非より先に「指摘してきた者」を排除しようとする組織や人物は、まさにこの「亡ぶる者」の型にはまっている。諫言が届かないのではなく、届く前に潰されるのだという冷徹な現実を、この逸話は突きつける。
この章句が説くこと
諫言の拒絶自らの過ち滅びの型
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