説苑 / 權謀
石乞侍坐於屈建。屈建曰:「白公其為亂乎?」石乞曰:「是何言也?白公至於室無營所,下士者三人與己相若,臣者五人,所與同衣者千人。白公之行若此,何故為亂?」屈建曰:「此建之所謂亂也。以君子行,則可於國家行。過禮則國家疑之,且苟不難下其臣,必不難高其君矣。建是以知夫子將為亂也。」處十月,白公果為亂。
新字:石乞侍坐於屈建。屈建曰:「白公其為乱乎?」石乞曰:「是何言也?白公至於室無営所,下士者三人与己相若,臣者五人,所与同衣者千人。白公之行若此,何故為乱?」屈建曰:「此建之所謂乱也。以君子行,則可於国家行。過礼則国家疑之,且苟不難下其臣,必不難高其君矣。建是以知夫子将為乱也。」処十月,白公果為乱。
書き下し
石乞屈建に侍坐す。屈建曰く、「白公其れ亂を爲さんか」と。石乞曰く、「是れ何の言ぞや。白公室に至りて營む所無く、士を下すこと己と相若く者三人、臣とする者五人、與に衣を同じくする者千人なり。白公の行此くの若し。何の故にか亂を爲さん」と。屈建曰く、「此れ建の謂ふ所の亂なり。君子の行を以てせば、則ち國家に行ふべし。禮を過ぐれば則ち國家之を疑ふ。且つ苟くも其の臣を下すを難しとせざれば、必ず其の君を高くするを難しとせず。建是を以て夫子の將に亂を爲さんとするを知るなり」と。十月を處るに、白公果して亂を爲す。
現代語訳
石乞は屈建のそばに座っていた。屈建が「白公はいずれ乱を起こすのではないか」と言うと、石乞は答えた。「それはどういう意味でしょうか。白公は自邸においても格別な暮らしぶりをせず、自分と対等なほど身を低くして交わる士が三人、家臣とする者が五人、衣服を共にするほど親しい者が千人もいます。白公の行いはこのようなものです。どうして乱を起こしましょうか」と。屈建は言った。「それこそ私が乱と呼ぶものだ。君子としての振る舞いであれば、それは国家において(君主として)行うべきものだ。それを臣下の身で行き過ぎて行えば、国家はその者を疑う。そして、家臣に対して身を低くすることを厭わない者は、いずれ自分の君主より高い地位を望むことも厭わなくなるものだ。私はこれによって、あの方がいずれ乱を起こすと分かるのだ」と。十か月ほど経って、白公は本当に乱を起こした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『淮南子』人間訓屈建 石乞に告げて曰く「白公勝 將に亂を爲さんとす」と。石乞曰く「然らず。白公勝は身を卑くし士に下り、敢えて賢に驕らず。其の家に筦籥の信、關楗の固無し。大斗斛もて以て出だし、斤兩を輕くして以て內る。而るに乃ち之を論ずるは、以て宜しからざるなり」と。屈建曰く「此れ乃ち反する所以なり」と。居ること三年、白公勝 果たして亂を爲し、令尹子椒・司馬子期を殺す。此れ所謂 類せずして是なる者なり。
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説苑・權謀石益孫伯に謂ひて曰く、「吳將に亡びんとす。吾子も亦た之を知るか」と。孫伯曰く、「晚し、子の之を知るや。吾何爲れぞ知らざらん」と。石益曰く、「然らば則ち子何ぞ以て諫めざる」と。孫伯曰く、「昔桀諫者を罪し、紂聖人を焚き、王子比干の心を剖く。袁氏の婦、絡して其の紀を失ふや、其の妾之を告げしに、怒りて之を棄つ。夫れ亡ぶる者は、豈に斯の人其の過を知らんや」と。
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説苑・權謀白圭中山に之き、中山王之を留めんと欲するに、固辭して去る。又た齊に之き、齊王も亦た之を留めんと欲するに、又た辭して去る。人其の辭する所以を問ふ。白圭曰く、「二國將に亡びんとす。學ぶ所の者、國に五盡有り。故に之を必ず忠とする莫ければ、則ち言盡くるなり。之を必ず譽むる莫ければ、則ち名盡くるなり。之を必ず愛する莫ければ、則ち親盡くるなり。行く者糧無く、居る者食無ければ、則ち財盡くるなり。人を用ふる能はず、又た自ら用ふる能はざれば、則ち功盡くるなり。國に此の五者有れば、幸ふこと毋く、必ず亡ぶ。中山と齊と皆な此に當る。若し中山の齊に於けるをして、五盡を聞きて之を更めしめば、則ち必ず亡びざるなり。其の患は聞かざるに在り。聞くと雖も又た信ぜず。然れば則ち人主の務は、善く聽くに在るのみ」と。
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説苑・反質趙の簡子弊車瘦馬に乘り、羖羊の裘を衣る、其の宰進みて諫めて曰く、「車新たなれば則ち安く、馬肥ゆれば則ち往來疾く、狐白の裘は溫にして且つ輕し。」と。簡子曰く、「吾知らざるに非ざるなり。吾之を聞く、君子善を服せば則ち益々恭しく、細人善を服せば則ち益々倨ると。我以て自ら備う、恐らくは細人の心有らんことをと。傳に曰く、周公位尊くして愈よ卑く、敵に勝ちて愈よ懼れ、家富みて愈よ儉なり、故に周氏八百餘年なり、此を之れ謂うなり。」と。
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説苑・建本文公、咎季を見るに、其の廟西牆に傅く。公曰わく、「孰か処りて西せる」と。対えて曰わく、「君の老臣なり」と。公曰わく、「西のかた而の宅を益せ」と。対えて曰わく、「臣の忠は老臣の力に如かず、其の牆壊れて築かず」と。公曰わく、「何ぞ築かざる」と。対えて曰わく、「一日稼せずんば、百日食わず」と。公出でて之を僕に告ぐ。僕軫に稽首して曰わく、「呂刑に云う、『一人慶い有れば、兆民之に頼る』と。君の明は、群臣の福なり」と。乃ち国に令して曰わく、「宮室を淫にして以て人の宅を妨ぐる毋かれ、板築時を以てし、農功を奪う無かれ」と。
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説苑・貴德中行の献子将に鄭を伐たんとす、范文子曰く、「不可なり。鄭に志を得れば、諸侯我を讎とし、憂ひ必ず滋長せん」と。卻至又た曰く、「鄭を得るは是れ国を兼ぬるなり、国を兼ぬれば則ち王たらん、王者固より憂ひ多きか」と。文子曰く、「王者は其の徳を盛んにして遠人帰す、故に憂ひ無し。今我は徳寡くして王者の功有り、故に憂ひ多し。今子土無くして富まんと欲する者を見て楽しからんや」と。