説苑 / 權謀
蔡侯、宋公、鄭伯朝於晉。蔡侯謂叔向曰:「子亦奚以語我?」對曰:「蔡言地計眾,不若宋鄭。其車馬衣裘侈於二國,諸侯其有圖蔡者乎?」處期年,荊伐蔡而殘之。
新字:蔡侯、宋公、鄭伯朝於晋。蔡侯謂叔向曰:「子亦奚以語我?」対曰:「蔡言地計衆,不若宋鄭。其車馬衣裘侈於二国,諸侯其有図蔡者乎?」処期年,荊伐蔡而残之。
書き下し
蔡侯・宋公・鄭伯晉に朝す。蔡侯叔向に謂ひて曰く、「子亦た奚を以て我に語らん」と。對へて曰く、「蔡は地を言ひ衆を計るに、宋・鄭に若かず。其の車馬衣裘は二國より侈れり。諸侯其れ蔡を圖る者有らんか」と。期年を處るに、荊蔡を伐ちて之を殘す。
現代語訳
蔡侯・宋公・鄭伯が晋に朝見した。蔡侯が叔向に「あなたは私に何か言うことはないか」と尋ねると、叔向は答えた。「蔡は領土の広さや人口の多さでは宋や鄭に及びません。それなのに、車馬や衣服の贅沢さは両国よりも度を越えています。諸侯の中には、蔡を狙う者が出てくるのではないでしょうか」と。一年ほど経って、荊(楚)が蔡を攻め滅ぼした。
解説
国力(領土・人口)では他国に劣るのに、見栄えの部分(車馬や衣服)だけは他国以上に贅を尽くす――叔向はこの不均衡そのものを危険信号として読み取る。実力が伴わないのに外見だけを誇示する者は、周囲から侮られるどころか、格好の標的として狙われるという逆説がここにはある。組織や個人においても、実質的な体力が伴わないまま見た目の体裁や派手さだけを競い合うことは、慎ましくしていれば避けられたはずの攻撃を招き寄せる危うさをはらんでいる。実力に見合わぬ虚飾は、身を守るどころか身を滅ぼす引き金になりかねない。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
虚飾身の丈侮りを招く
関連する章句
-
説苑・奉使蔡師強・王堅をして楚に使いせしむ。楚王之を聞きて曰く、「人の名章章たる者多し、獨り師強王堅と爲すか。」趣かに之に見えんとし、次を以てせず、其の人の狀を視るに、其の名を疑いて其の聲を醜しとし、又た其の形を惡む。楚王大いに怒りて曰く、「今蔡人無きか。國伐つべきなり。人有りて遣わさざるか。國伐つべきなり。端に此を以て寡人を誡むるか。國伐つべきなり。」故に二使を發するに、三たび伐たんと謀る者を見る、蔡なり。
-
説苑・權謀楚の莊王陳を伐たんと欲し、人をして之を視しむ。使者曰く、「陳伐つべからず」と。莊王曰く、「何の故ぞ」と。對へて曰く、「其の城郭高く、溝壑深く、蓄積多く、其の國寧きなり」と。王曰く、「陳伐つべきなり。夫れ陳は小國なり、而も蓄積多し。蓄積多ければ則ち賦斂重し。賦斂重ければ則ち民上を怨む。城郭高く、溝壑深ければ、則ち民力罷る」と。兵を興して之を伐ち、遂に陳を取る。
-
説苑・奉使晉楚の君相與に好會を宛丘の上に爲す。宋人をして往かしむ。晉楚の大夫曰く、「趣かに天子の禮を以て吾が君に見えよ、我子の爲に見えん。」使者曰く、「冠弊ると雖も、宜しく其の上に加うべし。履新たなりと雖も、宜しく其の下に居るべし。周室微なりと雖も、諸侯未だ之を易うる能わざるなり。師宋城に升るとも、猶お臣の服を更めざるなり。」揖して之を去る。諸大夫瞿然とし、遂に諸侯の禮を以て之に見ゆ。
-
『春秋左氏伝』昭公十一年 美悪周れば必ず復る楚の師蔡に在り。晉の荀吳韓宣子に謂ひて曰く、「陳を救ふ能はず、又蔡を救ふ能はず。物以って親しむ無し。晉の不能も、亦た知るべきなり。己盟主為りて、亡國を恤へず。將た焉んぞ之を用ゐん」と。秋、厥憖に會す。蔡を救はんことを謀るなり。鄭の子皮將に行かんとす。子產曰く、「行くも遠からず。蔡を救ふ能はざるなり。蔡は小にして順ならず、楚は大にして德あらず。天將に蔡を棄てて以って楚を壅めんとす。盈ちて之を罰せん。蔡必ず亡びん。且つ君を喪ひて能く守る者は鮮し。三年にして、王其れ咎有らんか。美惡周れば必ず復る。王の惡周れり」と。晉人狐父をして蔡を楚に請はしむ。許さず。單子韓宣子に戚に會す。視ること下くして言ふこと徐かなり。叔向曰く、「單子其れ將に死せんとするか。朝には著定有り、會には表有り、衣には襘有り、帶には結有り。會朝の言は、必ず表著の位に聞こゆ。事序を昭らかにする所以なり。視ること結襘の中を過ぎず。容貌を道ふ所以なり。言は以って之に命じ、容貌は以って之を明らかにす。失へば則ち闕くる有り。今單子王の官伯為りて、事を會に命ず。視ること帶に登らず、言ふこと步を過ぎず。貌は容を道はず、而して言は昭らかならず。道はざれば共ならず、昭らかならざれば從はれず。守る气無し」と。
-
史記 管蔡世家隠太子友は、霊侯の太子なり。平侯立ちて隠太子を殺す。故に平侯卒して隠太子の子東国平侯の子を攻めて代はり立つ。是を悼侯と為す。悼侯三年にして卒し、弟の昭侯申立つ。昭侯の十年、楚の昭王に朝し、美裘二を持し、其の一を昭王に献じて自ら其の一を衣る。楚の相子常之を欲するも、与へず。子常蔡侯を讒し、之を楚に留むること三年。蔡侯之を知り、乃ち其の裘を子常に献ず。子常之を受け、乃ち言ひて蔡侯を帰す。蔡侯帰りて晋に之き、晋と楚を伐たんことを請ふ。十三年春、衛の霊公と邵陵に会す。蔡侯私かに周の萇弘に以て衛に長たらんことを求む。衛史をして康叔の功徳を言はしめ、乃ち衛を長とす。夏、晋の為に沈を滅ぼす。楚怒り、蔡を攻む。蔡の昭侯其の子をして呉に質と為らしめ、以て共に楚を伐つ。冬、呉王闔閭と遂に楚を破りて郢に入る。蔡子常を怨む。子常恐れて鄭に奔る。十四年、呉去りて楚の昭王国を復す。十六年、楚の令尹其の民の為に泣きて以て蔡を謀る。蔡の昭侯懼る。二十六年、孔子蔡に如く。楚の昭王蔡を伐つ。蔡恐れ、急を呉に告ぐ。呉蔡の遠きが為に、遷りて以て自ら近づき、相救ふに易からんことを約す。昭侯私かに許し、大夫と計らず。呉人来たりて蔡を救ひ、因りて蔡を州来に遷す。二十八年、昭侯将に呉に朝せんとす。大夫其の復た遷さんことを恐れ、乃ち賊利をして昭侯を殺さしむ。已にして賊利を誅して以て過ちを解き、而して昭侯の子朔を立つ。是を成侯と為す。成侯の四年、宋曹を滅ぼす。十年、斉の田常其の君簡公を弑す。十三年、楚陳を滅ぼす。十九年、成侯卒し、子の声侯産立つ。声侯十五年にして卒し、子の元侯立つ。元侯六年にして卒し、子の侯斉立つ。侯斉の四年、楚の恵王蔡を滅ぼす。蔡侯斉亡げ、蔡遂に祀を絶つ。陳に後るること三十三年なり。
-
説苑・反質趙の簡子弊車瘦馬に乘り、羖羊の裘を衣る、其の宰進みて諫めて曰く、「車新たなれば則ち安く、馬肥ゆれば則ち往來疾く、狐白の裘は溫にして且つ輕し。」と。簡子曰く、「吾知らざるに非ざるなり。吾之を聞く、君子善を服せば則ち益々恭しく、細人善を服せば則ち益々倨ると。我以て自ら備う、恐らくは細人の心有らんことをと。傳に曰く、周公位尊くして愈よ卑く、敵に勝ちて愈よ懼れ、家富みて愈よ儉なり、故に周氏八百餘年なり、此を之れ謂うなり。」と。