淮南子 / 人間訓
屈建告石乞曰:「白公勝將為亂。」石乞曰:「不然。白公勝卑身下士,不敢驕賢。其家無筦籥之信,關楗之固。大斗斛以出,輕斤兩以內。而乃論之,以不宜也。」屈建曰:「此乃所以反也。」居三年,白公勝果為亂,殺令尹子椒、司馬子期。此所謂弗類而是者也。
新字:屈建告石乞曰:「白公勝将為乱。」石乞曰:「不然。白公勝卑身下士,不敢驕賢。其家無筦籥之信,関楗之固。大斗斛以出,軽斤両以内。而乃論之,以不宜也。」屈建曰:「此乃所以反也。」居三年,白公勝果為乱,殺令尹子椒、司馬子期。此所謂弗類而是者也。
書き下し
屈建 石乞に告げて曰く「白公勝 將に亂を爲さんとす」と。石乞曰く「然らず。白公勝は身を卑くし士に下り、敢えて賢に驕らず。其の家に筦籥の信、關楗の固無し。大斗斛もて以て出だし、斤兩を輕くして以て內る。而るに乃ち之を論ずるは、以て宜しからざるなり」と。屈建曰く「此れ乃ち反する所以なり」と。居ること三年、白公勝 果たして亂を爲し、令尹子椒・司馬子期を殺す。此れ所謂 類せずして是なる者なり。
現代語訳
屈建が石乞に告げた。「白公勝は乱を起こすつもりだ」。石乞は言った。「そうではない。白公勝は身を低くして士にへりくだり、賢者に対して驕らない。その家には錠前の用心も、かんぬきの備えもない。大きな枡で量って出し、目方を軽く見て受け取る。それなのにそんなふうに言うのは、当を得ていない」。屈建は言った。「それこそが謀反する理由なのだ」。三年たって、白公勝は果たして乱を起こし、令尹の子椒と司馬の子期を殺した。これがいわゆる「似ていなくて当たっている」ものである。
解説
石乞が挙げた証拠は、どれも人徳の証です。へりくだる、驕らない、戸締まりをしない、多く出して少なく受け取る。それを聞いて屈建は「此れ乃ち反する所以なり」と言い切ります。身分ある者が、そこまでして人を集める理由は何か。行いの中身ではなく、その行いが何を集めているかを見た。前の虞氏と対で、こちらは似ていない徴候から当てた例です。
この章句が説くこと
屈建石乞に告げて曰く白公勝将に乱を為さんとす白公勝は身を卑くし士に下り敢えて賢に驕らず其の家に筦籥の信関楗の固無し大斗斛もて以て出だし斤両を軽くして以て内る屈建曰く此れ乃ち反する所以なり居ること三年白公勝果たして乱を為す徴候
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人生を、一行の式にしてみた。
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